長続きするまちづくりのヒント
Date:2010-11-30(Tue)

全国のまちづくりには流行というか、ひとつの流れを感じる。古いものを大事にする。高度成長下の破壊から古いものを大事にし、文化を復活させ、最近は楽しいという流れもある。

四国でいえば金丸座だ。琴平町に古くからあった歌舞伎小屋が放置され、取り壊しの運命にあったものが、歌舞伎と言う文化と合わせて復活した。ほどよい大きさと手作り感覚と言うか、手動の奈落の底など、有名な歌舞伎役者も来ることから、いつも大入り満員だ。歌舞伎をやっていなときは館内見学で観光の目玉にもなっている。全国からの観光客も多い。

東京をみれば、その流れは急だ。JR東京駅がその典型、創業当時に3階建て、工事が進む。ライトアップの復活も楽しみだ。全体的にではないとしても、丸の内の三菱グループが中心となって開発した明治以来のオフィス街。「かさぶた」や「腰巻き」を目にすることができるからだ。建ち並ぶ高層ビルのすそには、かさぶたか腰巻きのように、古めかしい外壁が張り付いている。

歴史的建築物を保存しつつ、一等地を生かして建て替える方法の一つ。東京中央郵便局も外観が残る。これに、「三菱一号館」が今年、内装まで復元されて美術館としてオープン。ここまで来たかという感覚だ。

もうひとつは、 文化遺産に加え、食など楽しむ感覚で、近くでは彦根市のキャッスルロードなどが身近な例だ。長浜市の黒壁を中心とした文化と食を活かした商店街も元気だ。

もうひとつの例が、文化遺産だけではなく、楽しみ感覚で、ユニークな組み合わせも客を呼んでいる。栗東のアウトレットは、この時代にと思うだが、エンターテイメントの最先端を駆使している。どこまで続くかとの疑問もあるが、リピーターも増えている。

先月開業した羽田空港の新国際線ターミナルビル。その中でも、旅行者以外の人も楽しめる仕掛けの一つとして、カフェを併設したプラネタリウムが登場した。満天の星を眺めながら飲食ができるそうだ。お酒も飲めて、デートスポットにもあげられ、飛行機に乗らずに、それだけを目的に来る客も多いとか。

教育的な要素の強かったプラネタリウムは、それに楽しみの場所に変わった。敦賀にも子どもの国にある。子ども連れて自分も楽しんだ頃を思い出す。古くなったが、根強い人気がある。

最近はプラネタリウムもデジタル化と技術の進歩でずいぶんと変わった。宇宙船に乗った感覚、CGを駆使した番組を上映する。東京都の各区で公共の施設としてプラネタリウムが人気を呼んでいる。公共施設の考え方も変わってきた。

ここまで書き進めたのも、敦賀はすべて真似する必要もないが、二番手、三番手に進められきた敦賀のまちづくり、各地にはヒントがある。それを生かした敦賀らしい工夫が、これからのまちづくりのヒントではないか。

各地の話を聞いていると、まちづくりで地元も潤うが、同時に住民が楽しんでいるということだ。四国の金丸座は地元の方も歌舞伎を楽しんでいる。四国のお遍路が長く続くのは、「おもてなし」と言いながら、住民も生活の範囲で楽しんでいるのだ。彦根も長浜も観光地でありながら地元の方も楽しんで来る店も多いとか。

JR敦賀駅前が少しずつ変わってきている。ホテルの影響もあるが、飲食の店が増え、居酒屋も増えている。ホテルの利用者もいるが、店主に聞くと圧倒的に多いのが、敦賀人だ。長続きするまちづくりは、そんな要素がヒントのようだ。

今日から12月議会、昨日、市民クラブで議案や請願の取り扱いについて話し合った。今日も市の職員、市長などの特別職の給与も審議される。・・・。
スポンサーサイト
【2010/11/30】 | ページトップ↑
いま求められるのは、言葉の重みや信念を感じさせる政治家であることは確かだ。
Date:2010-11-29(Mon)

防火水槽と防空壕、私には懐かしい記憶しかない。昭和30年代後半、わが家を含め近所には家ごとに防火水槽と防空壕が残っていた終戦から15年以上たった時代であり、それも家の建て替えでなくなりつつあった時代だ。もちろん空襲からわが家と家族を守るという本来の目的はとうに失われていた。水槽は邪魔な存在。防空壕も野菜の貯蔵庫や地下倉庫などとして使っていたように記憶する。

わが家の防火水槽は、コイと亀の池に変身。亀は毎年、晩秋のこの時期に水槽から出してやると何処となくいなくなり冬眠、春になると現れ水槽に戻してやる。この循環が10年ほど続いた。防空壕も、裏庭にぽっかり口を開けた大きな空間は子供の遊び心を刺激する格好の遊び場だった。かくれんぼの隠れ場所だったり、肝試しのルートだったり。水槽と防空壕が戦争の名残ということを知ったのは物心ついてからだったと思う。

北朝鮮から砲撃を受けたとき、不謹慎かもしれないが、懐かしさ覚えた言葉が「防空壕」だ。それだけ日本が平和だということか。

戦争体験で思い出されるのは、「野中広務」という政治家だ。昨年か、今年はじめ、敦賀観光ホテルでの講演を久しぶりに聞いて感動した一人だ。「戦場へ子ども送ってならない」と言う言葉に重みと凄味があった。どう表現したらよいのか、特殊な環境で育った彼が、町議、府議から57歳という年齢で国会議員、あっという間に自民党の権力の幹事長まで登りつめた。

魚住昭さんが書いた「野中広務、差別と権力」(講談社)が、その人となりを説明している。田中角栄以後の政局がよくわかる。野中広務が小沢一朗と、どう張り合ったか、そして野中自身が、いかに日本の政局で主導権を握り、失脚して権力を小泉に渡す。その後の日本の変容を彼の語りは、予感通りだった。先日もテレビで民主党政権を批判したが、その毒舌と凄味はいまも変わらない。

細川内閣が崩壊した1994年(平成6年)6月30日、自社さ連立の村山内閣が誕生した。そのとき、私は東京にいた。その驚きと村山内閣の不思議さが、いまでも残っている。社会党の総理大臣が所信表明演説で、「日米安保堅持」「自衛隊合憲」「日の丸・君が代容認」を打ち出した。

一方で、村山内閣は、95年6月の「不戦決議」や8月15日の「総理談話」で過去の植民地支配と侵略に対する反省とおわびを明記したこと、「被爆者援護法の制定」「水俣病患者の救済」だ。こうした自民党が一番いやがることを実現した村山首相も偉かったが、その裏では野中さんがいたからだというのが通説だ。

観光ホテルでもそうだったが、いまも一貫して、自らの被差別体験を語り、「差別のない社会の実現」を切々と訴えている。そしてまた、自らの戦争体験を語り、平和の貴さを口にする。しばしば沖縄に言及し、現地に足を運び、戦争の非人間性をしみじみと訴えるさまは、経験者しかわからない重みと凄味だ。

これまた、一方で、野中さんは力をもった時期、小渕内閣の官房長官時代。「影の総理」と呼ばれて権力の中枢にあった1998年からその翌年にかけて、防衛ガイドライン関連三法案を通している。周辺有事の際に米軍の軍事行動に官民挙げて協力するという、これまでの日本の防衛政策の枠組みを変える重要な法案であった。さらに、国歌・国旗法案、盗聴法案、住民基本台帳法案など、国民の基本的人権を制限する法案が次々と通している。それまでの自民政治でできなかった法案を通し、それも右も右にに舵を切っている。

韓国の報道を見ると、砲撃から多くの住民を救ったのは避難した防空壕だった。防空壕がいまだに本来の目的で機能している隣国の険しい日常に接すると、危機管理も重要だが、その体験を平和な遊び場することと、ずっと要らないままにする政治も大事だ。

現在、不思議なことに総理にしたい候補者のナンバーワンが小沢一郎、その小沢さんと相対してきた野中さん。それぞれの評価は別として、「戦争に子どもを送ってはいけない」と、いま求められるのは、言葉の重みや信念を感じさせる政治家であることは確かだ。地方政治でも変わらない。
【2010/11/29】 | ページトップ↑
社会保障の難しさと政治
課題は多いが利用者にとっては、年金、医療、介護どれをとっても必要な制度だ。なかでも介護保険は、利用者にとっては優れた制度だ。介護保険制度ができて10年、私の家族もしっかりと利用させてもらった。この介護サービスについても地域間格差が生じている。保険料はもとより、介護サービスも細かく見ると一律ではない。

敦賀市の介護保険は、保険料もそうだが、デーサービスも競争原理も働き、利用者にとっては恵まれているともいえる。敦賀市外で保険サービスを利用すると敦賀の良さが理解できる。その恵まれた環境それでも、養護老人ホームなど待機者は、今後も多くなる。

これからは財政難が伴う社会保障ほど難しいものはない。当然、しわ寄せを受けるのは利用者でもある。

財源難の介護保険制度。改正に向け、軽度者への家事援助サービス縮小の是非が議論となっている。縮小になれば、家事がどうにもならなくて苦しむ高齢者が出てくるにもかかわらず、である。反発の声が上がった。足りないのは、財源だけではない。このまま続ければ、どうなるのかの説明も必要な時代だ。

ところで、テレビは金メダルなど活躍ばかりを報道するが、日本の苦戦は続いている。世界のスポーツ大国になった開催国に遠く及ばず、韓国にも引き離された。アジアの2番手につけ、ロンドン五輪へ弾みをつけるとした日本オリンピック委員会の思惑は夢と消えつつある。

これまで、日本は歴史的にアジアのスポーツナンバーワンだった。しかし各競技でアジアでの序列を下げ、ついに金メダルの宝庫、競泳も中国に完敗する日が来た。陸上ではインド勢が女子1万メートルで負けなしの日本を破った。ともに経済の発展がすさまじい。オイルマネーを操る中東諸国も含めて、成長を続ける経済をアジア各国が競技力向上に結び付けている。

基本的には、財政難の選手強化と少子高齢化がこの分野でも明らかだ。日本の新旧交代の遅れであり、それがもたらす層の薄さに尽きるのではないか。疲れ切った40歳のクルム伊達公子を誰が責められよう。

だが、暗い話ばかりではない。大みそか恒例の紅白歌合戦、ことしは「トイレの神様」を歌った植村花菜さんにスポットが当たっている。トイレを美しく掃除する子はべっぴんさんになると、おばあちゃんに言われて育った女の子が、その祖母を見送る歌である。

一番汚れやすい所を一番きれいにし、他人に見られない所も磨いておく大事さを言っている素手で洗う。心が洗われる。敦賀市内には公園をはじめ、意外に公営のトイレが多い。それを若い女子ではないがおばちゃんが各地域でボランティアとして見えないところで掃除をしている。

毎日のところもある。子どもたちは、これも意外と見ている。ある学校の作文にもあった。紅白ではないが、祖母から孫へ、少女に継がれている。

最近、思うのだが、政治の最大の役割は、甘い言葉ではなく、希望だけでもない。逆に、未来に起こるかもしれない絶望を避けることではないか。そしてそのための最大の努力を、今できることと、小さいことでも続けることと、説明ではないか。

民主党も子ども手当、農業の戸別保障と財源がどう結びつくのか、お年寄りに身近な介護保険制度しかりだ。将来がどうなるのか、説明しきっていないのが現状ではないか。不安ばかりが先行している。

敦賀市も財政を削減も大事だが、出来る公共工事を続けながら、次への時代へのどうつなげるか、どう雇用面での構造転換を図るか、それを増え続ける介護保険などの社会保障と結びつけるか、そんな地道な公共事業の積み重ねと、政策と、説明が大事な時期だ。
【2010/11/28】 | ページトップ↑
大和田さんの遺産がまた取り壊される・・・・。
Date:2010-11-27(Sat)


臨時国会が終わろうとしている。最大の課題と位置付けた補正予算がなんとか成立。予算員会が何度か放映されたが、補正以外に、与野党はののしり合いに終始した印象だ。与党の責任も重いが、首相や閣僚を口汚く責めたり、揚げ足をとる姿に、うんざりとしたのではないか。

仙谷、馬淵の問責が可決、来年の通常国会がどうなるのか、国の政治が進まない。来年度予算をはじめ、重要法案があまりにも多い。敦賀市で言えば、原子力関係の特措法の期限が切れる。特措法の延期は与野党ともに一致した案件だ。地方議員個人にすれば、議員年金を担う懐がパンクする。速やかに、廃止の対応をとるべきものだ。

ところで、昨日の福井新聞で報じられた『大正時代に建てられた福井県敦賀市縄間の洋式木造建築物「旧農商務省獣類検疫所神戸支所敦賀出張所」が、12月初めから取り壊されることが25日分かった。所有企業が11月中旬、老朽化を理由に文書で市に解体の意向を伝えた。市は別の場所に復元しての展示ができないかなど活用策を検討する』とのこと。

戦前の敦賀の栄華の基礎を築いた実業家である二代目・大和田荘七(1857~1947)による朝鮮牛の輸入計画の為に設置された建物である。大正5年の築造(1916)で、しばらくはオートキャンプ場の管理事務所となっていたが、敷地がある事業者の資材置き場になり、その役目もなくなり、いつ壊されるか、心配をしていた矢先でもある。

フェンス越しに眺めただけだが、長年の潮風にやられて、青い外装はかなり傷んでいた。敦賀の繁栄の歴史は刻まれ、大和田荘七翁ゆかりの建物がまたひとつ失われる。

私も何度か足を踏み入れたが、二階に上がる階段の手摺やギボシにも、彫刻がなされ、二階会議室天井中央の照明の土台には見事な漆喰の装飾が残され、天井の四隅にはやはり組木の装飾がなされ、古いながらにも、当時の建築のセンスを垣間見ることが出来る。

朝鮮半島から輸入された当時、赤牛といわれた独特の牛が縄間の桟橋から道路下を通って運び込まれたとか。往事の偲ばせる風景でもある。この建物の存在価値、存在意義は、縄間にあってこそと思うのだが、どうだろう。
敦賀市にとって、歴史的には、重要な価値をもつが、建物として洋風建築としての価値、その後の管理運営を考えると、致し方がないと諦めざるを得ないのかとも思っていた。

結果として、明治、大正、昭和と敦賀の一時代を築いた大和田さん残した建物、敦賀市役所や大和田別荘が取り壊され、検疫所も同じ運命をたどる。取り壊しの通知を受け、25日に開かれた文化財保護審議委員会でも、建物の古さから現地での保存や移築して残すことは難しいと判断し「解体はやむを得ない」との意見でまとまったとか、妥当だとも思うが、どこかに寂しさが残る。

大和田さんを研究する方は市内にいらっしゃるが、遺品も含め多くは残っていない。現在の市立博物館こと大和田銀行が唯一トいっても過言ではないだろう。

戦後になっても何度か光を当てたが、語り継ぐにはそれだけの気運と残す努力も必要だ。敦賀青年会議所が30周年記念で大和田さんの生い立ちや業績を映像で取り上げている。戦後の提言などいまでも生き生きとの光を放つものもあれば、北海道の地名になった大和田さんの足跡を刻銘にわかりやすく伝えている。

福井新聞のインタビューで文化財保護審議委員会の外岡慎一郎委員長が語る「市は文化遺産としての価値を生かし、まちづくりにもつながるような展望、理念を持って建物を復元させてほしい」との言葉は、私も同感だ。建物は縄間にあるのが一番だが、取り壊しのやむ得ないとすることに賛成だが、敦賀の多くの足跡と残した大和田さんの偉業を伝え、展望、理念をもった復元を考えることが、少なくとも大和田さんの偉業に報いる恩返しではないか。
【2010/11/27】 | ページトップ↑
駅周辺整備調査特別委員会と議会
Date:2010-11-26(Fri)

昨日は、駅周辺整備調査特別委員会。敦賀市のJR敦賀駅舎改築のバリアフリー化の全容と変更、金額が明らかになった。JR,国、県、市とそれぞれが支出の基本的な割合は決まっているが、財政が厳しいおり、どの団体も出来るだけ支出したくないのが人情ともいえる。敦賀市も当然、市の負担を少なくしたいとの交渉が続いている。

今回も国のバリアフリー化工事の補助対象区分と工期の変更、これに伴う国の費用負担の変更が明らかにされた。これまでの跨線橋幅4メートル、エレベーター4基、エスカレーター接続通路4カ所、エスカレーター5基、階段4基など、こまでの跨線橋2メートルから4メートルへ。国の補助対象が拡張され、総事業費21億8千万の内、国負担が3億8千7百万円(これまでは2億千万円)となった。

また、敦賀市負担も17億5千万円から14億21千万円と減額になった。但し、JRや県の支出金額は、現在も交渉中だ。

北陸線、小浜線の電車を走らせながらの作業、停電時間も深夜上り90分、下り125分とあまりにも短く、巨大クレーンを使った難しい作業が続く。そのため、工期も平成23年度後半に重要な工事が集中する。

特別委員会の委員からは、当然、敦賀市負担分をできるだけすくなくとの努力が続く。

議会は駅のバリアフリー化については、ほぼ同じ方向に向いている。敦賀市負担分もできるだけ少なくというのは足並みがそろう。ただ、議会には執行権がない関係上、JRや県の交渉も見守ることしかできない。

リコール問題でゆれる名古屋市議会と同じ愛知県の半田市の市議4人が、ユニークな構造改革特区を国に申請した。目指すは議会内閣制。国会議員が大臣を務めるように、市議が副市長や部長を兼務し、予算編成に携われるようにする制度だ。半田市に限らず、住民には地方議会の議員が仕事をしているか、見えにくいとよく聞く。

だから議員を減らせ、極端に言えば、議会なんていらないとの声さえある。敦賀市議会もここ数年の改革は速い。議会報告会もその一環だ。

半田市議会の有志が国に要望したのは、仕事の見える議会内閣制を目指すのだという。憲法やそれにもとずく地方自治法は、首長と議会による二元代表制が大前提。地方議会の議員が執行権を持つことを許していない。

考え方によっては、議員が首長に取り込まれ機能を完全に失う恐れもある。半田市議会も、申請はしたものの総意ではない。保守系の一会派の提案にすぎず、先行きは不透明。米国の地方議会は、50万や60万の市でも10名以下の市議で、執行権をもって、責任をもって担当している。河村市長ではないが、いま、地方議会も改革、改革と、その流れは速い。来年の選挙もあり、敦賀市の将来をどうするか、議会をどう改革するか、争点を明らかにすることは大事だとも思っている。
【2010/11/26】 | ページトップ↑
長期的視野と危機管理
Date:2010-11-25(Thr)

今年も残すところ1カ月余り。夜などは寒さが身に応える季節となった。運転中の商業用の原子力発電所としては、国内で2番目に古い美浜原子力発電所1号機は、今月28日に運転開始から40年、最長であと10年間運転を続けたあと、廃炉とする方針を決めている。昨日、関西電力は、1号機の後継となる原子炉の建設について検討を進めるため、候補地である敦賀半島の敷地内や、その周辺での自主的な調査に24日から入ったことを明らかにした。

調査の項目としては大きく分けてふたつ。1点目は、環境への影響、2点目は、耐震安全性。基本的なものだが、大事なものばかりだ。

先月、黒部第四発電所を訪れた。黒部発電所の黒部川水系の水利権を電力会社が取得したのは大正期、本格調査は昭和10年代、建設が昭和30年代、現在も営々と電気を大阪に送り続けている。まさに年月をかけた大事業だ。

日本原電が敦賀半島に土地を求めたのは昭和30年代、現在の北陸電力敦賀営業所の片隅の事務所から調査を始めた。土地取得、調査、設計、建設、運転、廃止措置と時間を考えれば百年の大事業でもある。
「敦賀3,4号の本格着工、また延期ですか」と昨日も話があったが、耐震性の再評価には時間がかかる。「発電所の時間の長さを考えれば・・」と答えている。

話は変わるが、十数年前に、韓国の原子力発電所を何基か、視察したことがある。原子炉建屋が日本より堅牢に建てられていた。理由を聞くと耐震性もあるが、北朝鮮を意識しているとの回答。確かに耐震を考えるなら建物上部は軽くすることが通常だが、天井部の壁は厚く、砲撃、ミサイル攻撃など意識した設計となっている。

警備も軍隊があたり、発電所に銃器が並ぶ。日本では考えられない光景だ、異様に感じたが「何が起こるか分からないのが戦争だ」と韓国電力の職員の言葉でもあった。

一昨日、黄海上の軍事境界線に近い韓国の延坪島に北朝鮮軍が陸地から砲弾を撃ち込んだ。韓国メディアによると延坪島には約1800人が住んでおり、家屋多数が炎上し、民間人を含めて死傷者が出た。住民は防空壕に避難したり漁船で島を脱出したりした。韓国軍も撃ち返した。突然の突発的な出来事だが、境界線だけに常に想定をしての対応とも。

エネルギーの安定供給と厳しさは忘れがちだが、日常の生活の安定確保の中に、韓国と事情は違うにせよ、長期的な視野と危機管理は、これからも重要な視点だ。
【2010/11/25】 | ページトップ↑
ICOCAの普及も速いが・・・・。
Date:2010-11-24(Wed)

気温7度、風を自転車で切ると体感温度はそれ以下だ。雨の残る西浦のアップダウンは心地いい。昼からは東浦のみかん狩りへ。今年は夏の暑さか、小粒で酸っぱいが甘さが残る。独特のうまさだ。東浦のみかん栽培の歴史も古く現在は阿曽・杉津・横浜・大比田・元比田地区と広がっている。温州みかんの北限でもある。

東浦のミカンのネットをみると。1900年当時、敦賀発のウラジオストックへの貿易品の輸入の第一が石油、輸出の第一がみかん。とはいっても敦賀産のみかんではない。大半が愛媛産だったとか。四国のみかんも改良改善と続いたが、労力の割には利益幅の小ささと後継者に悩むとか。東浦も甘さを増しようやく市場へと思うのだが、同じように後継者に悩む。

進化と普及で話を変えるが、驚かされるの東京で言えば「SUICA」。大阪でいえば「ICOCA」、お隣の滋賀県、JR近江塩津まで使用可能だ。JR敦賀駅の使用をとの声が高まったのも直流化だ。京都からお客が敦賀駅で「なぜ、同じJRで使えないのか」と詰め寄る光景があった。先日も議会報告会でも出された。駅舎改築と合わせて設置をしてはと思うのだが、目途は立っていない。

とにもかくにも、ICOCAを端末にかざすだけで切符を買わなくて済む。地下鉄、私鉄、バスから周辺デパートなど使用可能が広がっている。最近では、カードだけでなく携帯電話もだ。まさに電子マネーの普及が都会から地方へとここ2,3年で普及し始めた。

決済できる「電子マネー」が、消費者に急速に浸透している。JR各社や私鉄のほか、全国チェーンのスーパーやコンビニエンスストアなど導入・利用先が広がったことが理由だ。現金をチャージ(残高補充)しながら使う。乗車券代わりになったり、小銭がいらず店での支払いもスムーズ。使用額の1%程度を買い物などに使える「ポイント」で還元するサービスも広がり、普及に弾みをつけた。

総発行数は既に日本の人口を超え、都市部では18歳以上の6割超、首都圏では8割が保有するという調査結果もあるほどだ。携帯電話がからむだけに、国民一人一枚の普及もまじかではないか。それほど速い。

私が着目したいのは、事業者が地方自治体や商店街と連携し、「地元を元気にする」地域通貨として活用する例も出始めたことだ。四国4県では四国遍路の普及を目指すNPO法人の活動に利用額の一部が寄付される仕組みができている。岐阜県白川村は大手スーパーのイオンとともに、決済額の0.1%が世界文化遺産・合掌造りの保全活動に充てられる電子マネーを導入。

「第2の通貨」として暮らしに根を下ろそうとしている電子マネーもある。地域活性化への貢献など、目的意識や付加価値が高まれば、普及も速くなる。まずはJR敦賀駅のICOCAカードの使用可能となるように運動も必要か。JR直流化の完成は、JR敦賀駅でのICOCA使用可能と、滋賀県北部での各駅停車をやめほんとの快速になることではないか。
【2010/11/24】 | ページトップ↑
科学技術予算と敦賀市
Date:2010-11-23(Tue)

柳田法相辞任でゆれる国会。柳田さんを民社党時代から知るだけに残念という場合でもない。辞任当然という巷の声があまりにも大きい。政治は結果責任でもある。懸念するのは、与野党の駆け引きばかりが目立ち、将来の日本をどう考えるのかなど、あまりにも情けない状況が続くからだ。与党の責任は大きいが、地方からすると「こんな場合か」と与野党ともにいたい心境だ。

データを一つひとつ見ていても、景気の悪化とともに、ゆっくりと転落していく日本が浮かび上がる。2009年に米国で学んだ留学生数と伸び率で、中国がインドを抜いて首位となり、日本は台湾に抜かれて6位に転落した。

1位中国は前年から30%増の12万7600人。2位インド10万4900人(2%増)、3位韓国7万2200人(4%減)、4位カナダ2万8100人(5%減)、5位台湾2万6700人(5%減)。6位の日本は2万4800人で上位10カ国・地域で最も大きい15%の減少。米国留学が過去最高だった09年の4万6000人からは半減に近い数値だ。

このことと、敦賀市との関係も深いと私は見る。かつて、文部科学省の科学の専門の役所が、「科学学技術庁」、1956年から2001年まで存在した。実際の科学技術行政の大半は通産省やその他の所管省庁に握られ、科技庁所掌は主に原子力及び宇宙関係行政であった。とはいってもエネルギーのない日本、大半の予算が原子力。右肩上がりの頃は、日本原子力研究開発機構の前身の日本原子力研究所と動力炉・核燃料開発機構にその大半が使われた。その結果が、敦賀市のふげんであり、もんじゅとなった。そこに雇用も生まれ、その果実が交付金で敦賀市の各施設にもなっている。その予算が毎年、削減されている。

「2番でダメなんですか」で知られる仕分け作業。性急に結果を求めても、すぐに出るものではない。途中に失敗があっても、努力する過程が許されなければ、なにも成功しない。多くの科学者が口にした言葉だ。文部科学省が新年度予算で要求する原子力研究開発機構への支出金について、政府の行政刷新会議は満額を認めず。近視眼的にもんじゅ再開でのトラブルを問題視し、要求額縮減の判定をした。

日本実験棟がある国際宇宙ステーションや惑星探査機のめざましい活躍などで目に見える成果の上がった日本の宇宙技術でも予算査定は厳しい。

さまざまな科学研究事業が厳しい査定のまな板に載せられる日本。費用対効果だけで軽重をはかり、削減の太刀を振るう政府に悲鳴を上げる学術研究機関は多い。

大学などは次代を担う研究者の育成を危ぶみ、教育・研究費の拡充を求めている。地方の大学の福井大学もその典型だろう。敦賀市進出も大学の活路を原子力に求めた結果ともいえる。

科学研究費の削減は、もんじゅやふげんといった研究施設と研究者、関連する従業員、作業員が住むだけに敦賀市の雇用、景気にも影響する。大きくいえば、削減は、日本のエネルギー確保にも影響する。福井大学附属国際原子力工学研究所の民間、国、県、市が支えなければならない存在だ。米百俵の精神ではないが、何かが狂い始めている。
【2010/11/23】 | ページトップ↑
今日の「1122」は、いい夫婦の日だが・・・。
Date:2010-11-22(Mon)

今日の「1122」は、いい夫婦の日。夫婦にとって、最愛のわが子が突然、訳もなくいなくなったら、普通は考えられないことが起きている。

ところで、政治家の失言・放言癖は今に始まったことではない。ただ、菅内閣の最近の失言報道の多さに呆れる。地方にとっても、大事な補正予算ももとより、昨日、拉致関係の集会を開いたが、外交上の進展はほとんどない。

拉致問題は、まさに人権問題だ。数多くの家族と私も接してきた。家族にとって20年、30年と言う月日が流れている。昨日は、北朝鮮による拉致問題や拉致の疑いがあるとされる「特定失踪者」の問題の真相究明と早期解決を訴える集会が昨日、若狭町パレアで開かれた。

県内の4人の「特定失踪者」のうち3人の家族が加わってパネルディスカッションが行われた。特定失踪者の1人、敦賀市の山下貢さんの母親、山下きよ子さんは、「家族の高齢化が進み、残された時間がだんだん少なくなってきている。一刻も早い問題の解決に向けて協力をお願いしたい」と支援を求めた。率直な家族の気持ちだろう。

全国の家族の方と接すると、横田めぐみさんように、元気な子どもがいなくなると現実は、たんなる苦しみだけではない。言葉で言い表せない日々が続いている。

拉致問題も私もすべて拉致ではないと思いながらも、調べれば調べるほど不可思議なことが多過ぎる。30年前も地村夫妻が北朝鮮による拉致だとは誰も疑わなかった。ところが、産経新聞の記者は違った、地村夫妻、蓮池夫妻など失踪を丹念に調べ、裏をとり新聞に書いた。風当たりも強かった。その事実は現実となった。8年前、地村、蓮池夫妻は羽田に帰った。国家の生命と財産を守るとは、いま、政府が問われていることでもある。

この問題にかかわればかかわるほど、どう現実を受け止め、どう対応するか、ご家族に接しても、言葉を失うことが多い。何もできないのが現実である。それほど難しい現実は難しく厳し過ぎる課題だからだ。他の課題にも私は現実の厳しさを率直に語りながら接するようにしている。

それほど、現実は厳しくどうにもならないことが多過ぎる。北朝鮮に対してあまりにも遠慮し普通の国家の対応をしなかった結果が、今日の悲劇を生んでいるともいえる。

拉致はあまりにも理不尽である。人権も、自らの意思とかまったく関係がないところで行われる。昨日は、そんなシュミレーションを模擬してみせた。あまりにもリアルな現実をリアルに扱うのがいいのか、違和感を感じた方もいただろうが、拉致問題はまさに現実の問題だ。それもお隣の北朝鮮が組織と行ってきた現実を見つめておく必要がある。地村夫妻が戻って8年の月日が流れ、何度、集会を行い、何度、署名活動を行ったであろうか。全国の特定失踪者問題調査会の理事を引受て7年・・・・。
【2010/11/22】 | ページトップ↑
賞味期限と消費期限
Date:2010-11-21(Sun)

あるところで、賞味期限、消費期限の話になった。正月の話をするのも変だが、子どもの頃、鏡餅を水につけ、カビをとるのが私の仕事だった。餅のカビはがんのもととか、こんな作業もなくなった。母親がにおいをかいで異臭はしないか、変色はないか、カビなどが生えていないか、そんな姿も懐かしい。

まずは、賞味期限をみる。それから整理する。そうはいっても、納豆など1週間くらいはと食べてしまう。まさに「飽食の時代」だ。

深夜、コンビニでの「賞味期限」まぎわの食品が捨てられていた。どれくらい捨てられるのだろうか。食品を提供する側が示す「賞味期限」の食品衛生法。「消費期限」を示す日本農林規格(JAS)法では、どちらかの期限を表示するよう義務付けている。だが、その意味も私には、よくわからない。

11月はじめ、消費者庁が賞味期限の表示基準を見直す方針を決めた。賞味期限は「おいしく食べられる」期限、消費期限は「安全に食べられる」期限のこと。

読売新聞の用語解説を引用すると「賞味期限」は、『総菜や弁当など傷みやすい食品を安全に食べられる「消費期限」とは異なり、冷凍食品やスナック菓子など、主に日持ちする食品に表示される。食品衛生法や日本農林規格(JAS)法に基づき2005年に作成された現在の指針では、メーカーは、食品中の大腸菌量を計測するなどし、実際に算出した日数に「0・8」など1未満の数字(安全係数)をかけて期限を設定している。』
とか。

冒頭での「賞味期限」「消費期限」の話は、情けないかな民主党政権の話だ。今国会で最大の焦点とされていた総額約5兆900億円の追加経済対策を柱とする2010年度補正予算案の議論が、参議院予算員会で、ほとんど進まないまま、柳田法相の問責がどうのこうのだ。菅政権の支持率は大きく低下した。

自民党との支持率も逆転。公明党も距離を置く立場を明確にした方が得策と判断して反対に転じた。
他の重要案件と位置付けられた法案審議にも影響が及んでいる。郵政改革法案、労働者派遣法改正案は棚上げに近く、先週、経済産業省で松宮衆議が成立に向けて語った、来年3月で期限の切れる「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法」がどどうなるのか。

日本の置かれた厳しい状況を考えれば、より建設的な質疑の充実こそと思うが・・・。「熟議を」と語った菅首相の賞味期限と言う話が敦賀の巷で話題にのぼる。与野党の非難合戦もいただけないが、内閣自体、しっかりしてほしいとしかいいようがない。もどかしさを感じる。

賞味期限、消費期限も見直してもわかりにくい。それだから話題になるのか。消費期限は「安全期限」とすれば分かりやすいか。いずれにしても、あくまで目安で、最終的に判断するのはやっぱり自分であり、本人である。

【2010/11/21】 | ページトップ↑
就職活動も世相を映す鏡
Date:2010-11-20(Sat)

就職活動は、高校生にいろ、大学生にしろ、社会の厳しさを知る最初の機会でもある。大学3年生など再来年の春に卒業予定の学生を対象にした就職説明会が福井市で開かれ、過去の2倍以上の600人余りが詰めかけ、学生の安定志向を反映してか公務員コーナーが大きな人気を呼んだとか。まさに就職活動は世相を映す鏡かもしれない。その後を読み取ることもできる。

私の頃も(昭和51年)、オイルショックで就職氷河期と言われた。船会社の就職がまったくといってなかった。就職説明会も形ばかりで船の学校でありながら、船会社に入ったのはごくわずか。多種多様な業種に散って行った。昭和50年代、4万人とも言われた外航船員は、いまや十分の一も満たない。時代の転換期でもあった。

当時は、海員組合も強く「日本船は日本人」という主張が通った時代が、競争力か、市場原理か、人件費の高騰で船員の多くを海外に求め出した頃とも重なった。夢を求めてか、臨時職員として、船員になり、賃金も安く、何度も船会社を変え、家族を持たず「船乗り」を貫き、ようやく船を降りた。これも人生だ。

話をがらりと変えるが、いま、小林一茶の「ひねくれ一茶」(田辺聖子著)を読んでいる。田辺さんが生み出した一茶はほんとうに人間臭い。江戸も好きだが、故郷もこよなく愛し、金儲けのための俳句を厭い、父の遺産である田畑や家、現金をなんとかして継母からぶんどってやろうと思案をめぐらせる俗人としての一茶の姿がじつに生き生きと描いている。一茶は、故郷で、高齢にも関わらず、三度も結婚し、子どもや奥さんにも先立たれ、言語障害になっている。人間臭い以上に哀歌でもある。

また、当時の江戸中期の「浮世」、まるで現代の閉塞感のある日本の姿とダブつかせている。小説のなかで、

一茶は、「これ、どういう世の中でしょうねえ、月船さん。世は枝も鳴らさぬ泰平の御代のように思うのに、人の心はすこしずつ殺伐に、むごくなってるのだろうか」

と答えている。まるで今の日本の姿を見事に映し出している。

もうひとつは、作詞家の星野哲朗さんは人生の哀感を歌にし、逆境に寄り添う応援歌を世に送り出し、昨日、葬儀を終えたが、大変な愛妻家でもあった。作詞家生活50周年の節目に出版した『妻への詫び状』も人生の哀歌でもある。

星野さんの原稿はすべて妻朱実さんが清書していた。作品が売れず生活が苦しかったころは、朱実さんが質屋に通った。1994年、朱実さんがくも膜下出血で急逝したとき星野さんはゴルフ場だった。その9年後に著した作詞以上の想いを綴っている。

ある一面だけをとらえると、いいように思えても、長い目であるいは、裏側をみると苦しみの連続だったりする。不況か、人間臭い「浮世」を何度も見せつけられる。国会もそうだが、市民と直結する市議会も世相をうつす鏡ともいえる。自らも反省の連続だ。
【2010/11/20】 | ページトップ↑
情報発信の難しさ
Date:2010-11-19(Fri)

長く暑い夏と短い秋がすぎて、本格的な冬が迫る中、喪中欠礼のはがきが届き始めた。あらためて季節の移ろいを感じる。昨年は、わが家も年賀状から急きょ、喪中欠礼に変えた。

年を重ねれば、取れば喪中の通知が多くなるのは仕方がなく、知人や友人の親族の不幸を悼むときとなる。そして同時に思い浮かぶのが年賀状だ。その年賀状、書くことが楽しいか、面倒か、どちらだろうか。若いころはせっせと手書きしたものだが、いつの間にか業者に印刷を頼むようになった。

ところで、NHKは17日、総合テレビで日曜朝に放送中の「週刊こどもニュース」を来月19日で終了すると発表した。1994年4月にスタート。おとうさん役のキャスター、池上彰さんの分かりやすい解説が人気を集めた。議会報告会でも「池上さんニュースにようにわかりやすく説明してほしい」と要望を受けたばかりだ。当初は日曜朝の放送だったが、2000年4月から土曜夜に移動。橋田賞、放送文化基金賞を受賞するなど高く評価された。

が、今年4月に日曜朝の放送に戻った後は、視聴率が振るわなかった。また、最近では当初想定した子供でなく、議会での要望ではないが、高齢の視聴者が大半を占めるようになったため、番組の位置づけを見直すことになったとか。

国家に関する情報は、大本営ではないが、「お上」といって、せき止めれば庶民にはなかなか届かなかった。ただ、戦争末期、高い所から低い所へと水が流れるように、庶民は、日本の敗戦を知り始めた。いまは、いかにわかりやすく伝えるか、これが議会にも求められる。このことを議会報告会でしみじみと感じた。

話を飛躍させるが、「覆水盆に返らず」。情報は器からこぼれただけではない。インターネットという手段を個人が手にし、情報発信できる水路が張り巡らされた現代。映像はコピーされ、あふれ出した。縦横無尽に流れた情報は大河のような広がりと力を持ち、政府を慌てさせた。大河をつくったのは見ず知らずの個人の集まり。情報は蛇口をひねるような手軽さで、不特定多数の人に届いた。

映像が流れてから12日余。国会は「流出」をめぐり混迷し、是非についての議論も続く。流出元への捜査も曲折している。身近な市議会もRCNで一般質問などが流れ、そのやり取りを茶の間でみている。昨日、メールで「身近な議会を目指しての『議会報告会』と議員は語っていたが、RCNですでに身近だ。議員に期待するのは、わかりやすい報告ではない。ぼそぼそでもいいから、どう敦賀を考えるのか、どうしたいのか、それぞれの意見を聞き、一緒に考えたい。それが報告会ではないか」と、意見、要望も多種多様だ。

情報をどう伝え、意見をどううかがうか、ほんとに難しい時代だ。RCN,ネット、膝を突き合わせての対話と、議会も難しい時代だ。それでも、工夫と知恵をめぐらす時代でもある。

冒頭の話で、勝手なもので、こちらから出すのは面倒でも、届いた年賀状を手にするのはやはり楽しい。そう感じるうちは、年に一度の初便りに精を出すのがいいかもしれない。
【2010/11/19】 | ページトップ↑
満身創痍
Date:2010-11-18(Thr)

満身創痍。この言葉があまりにも似合いすぎる。柳田法相は、本来は厚生族。脇が甘いと言われればそれまでだが、民社党時代から知るだけ見るに忍びない。内閣も政党も近ごろは支持率の動向ばかりに一喜一憂しているように感じる。重要な案件が多いだけに、じっくりと考える姿勢がいま、国政には必要ではないか。

満身創痍の探査機「はやぶさ」は違う。一昨日の大ニュースだ。今年6月、7年ぶりに地球帰還を果たし流れ星のように燃え尽きていった探査機「はやぶさ」。太陽系誕生の謎の解明をもたらす小惑星「イトカワ」の岩石試料を持ち帰っていたことが明らかになった。

はやぶさは最後の最後まで務めを果たした往復60億キロに及ぶはやぶさの旅はトラブルの連続。エンジンの燃料漏れに加え、通信も一時途絶。しばらくは宇宙の迷子になった通信はその後奇跡的に復旧したが、地球まであと半年というところで今度はエンジンが寿命間近の1台しかないピンチに-。が、JAXAスタッフらが壊れたエンジン2台の部品をつなぎ合わせる離れ業をやってのけ、危機を乗り越えた。

冒頭の話ではないが、小泉政権以来、内閣は支持率に一喜一憂、新聞報道も、短期で評価することが多くなった。企業の中間決算発表が相次いでいるが、これも、株主利益の極大化とばかりに企業も短期的成果を求められる時代だ。

本当に価値ある成果を得るには長い目が必要なときがある。政治の本当の成果が表れるのは5年先、10年先のはずだが、はやぶさが身をもって人々に伝えたのは岩石試料だけではない。

話は変わるが、高速増殖炉「もんじゅ」の原子炉内でのトラブルで、16日から行われた原子炉内での本格的な調査の結果、装置を原子炉から引き抜くことができない変形が確認された。日本原子力研究開発機構は、原子炉のふたの一部を取り外す大がかりな工事に踏み切ることを決めた。運転再開から半年、本来はじっくりと見守る時期だと思うのだが、多額な税金を使うだけに、事業仕分けなど批判が渦巻いている。あまりにも短期でものごとを見過ぎる。

冒頭の話に戻すが、「イトカワ」のこうした命名にも先人の意志を継いでいこうという研究者らの思いがうかがえる。最先端の研究を支えているのは意外に、こんな古風な精神なのかも。粘り強い努力の積み重ねが偉業につながった。直ぐに成果を求めたがる風潮がまかり通る時代だが、もんじゅは、100年、200年のエネルギーの安定供給を考えての研究だけに、現場では昼夜を通して仕事をしている。じっくりと見守る姿勢も大事ではないか。
【2010/11/18】 | ページトップ↑
待ちの姿勢もときには必要かも・・・。
Date:2010-11-17(Wed)

「京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの
神戸じゃ渚と 名乗ったの
横浜の酒場に 戻ったその日から
あなたがさがして くれるの待つわ
昔の名前で 出ています」

これは、一昨日、亡くなった星野哲郎の作詞だ。

神戸の三ノ宮で夜、バイトをしていたとき、流れていた曲だ。作詞は最後の「二行勝負」との言葉はよくいったものだ。「兄弟船」は、敦賀に来てから流行歌だが、当時、カラオケでよく歌った。「おれと兄貴のヨ 夢の揺り籠さ・・・」。「アンコ椿・・・」は、小学校の頃だが、「三日おくれの便りをのせて」と自然に出る。「函館の女」も中学か、「はるばる来たぜ函館」と。「三百六十五歩…」は高校時代、「しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」。と、何も見なくて書いてる。心に沁み込んでいる言葉が多い。港だとか、船だとか、一時、憧れただけに、いま振り返ると、何気なくカラオケか、なにかで歌っていた。昨日のNHKの放送を聞き流しながらふと思った。今日は何を書こうか思案していたがこのまま続ける。

星野さんは、官立清水高等商船学校の卒業(戦前、神戸、東京の商船学校が統合されていた)で私の大先輩でもある。乗船実習で当時,同級生の船長から、星野さんの逸話をきかされたことがあった。日魯漁業(現・マルハニチロ食品)に入社、遠洋漁業の乗組員となる。が、挫折と言うか、郷里、周防大島にて4年にわたる闘病生活。船乗りをあきらめて、看病してくれる母親を助けたい一心で懸賞に応募し、作詞家になったとか。

感傷的なるが、若いころの辛酸や経験が作詞になっている。何気なく流してきた歌が、意外に心に残っている。人生を重ねるようになったせいか、振り返ると不思議なくらい心にしみ込んでいる。

一昨日か、「はるばる来たぜ函館」の函館港は歌手になるために両親と別れた港。と北島三郎さんは語っていた。誰もが年を重ねると、歌と土地を結びつけていることが多い。「三百六十五歩のマーチ」は、当時、私の高校時代で、反発してか、変なマーチだ、くらいにしか思わなかった。が、「しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」と、歌詞は、あじわい深い。どれだけの人が励まされたか。私もしらずしらずに励まされたいたような気がする。

昨日の寒さで、秋がすっかり深まって敦賀平野の落葉する木々が増えてきた。市役所通りの歩道にイチョウの葉が散乱して「きょうは2回目」などと声を掛け合いながら掃き集める姿が見られた。落ち葉に悩まされる時季でもある。今朝も寒い・・・。

最後に、冒頭の歌、三番
「あなたの似顔を ボトルに書きました
ひろみの命と 書きました
流れ女の さいごの止まり木に
あなたが止まって くれるの待つわ
昔の名前で 出ています」と、待ちの姿勢もときには必要かも・・・。
【2010/11/17】 | ページトップ↑
内憂外患だけではすまない時代・・・。
Date:2010-11-16(Tue)

今朝は寒い。「ぶっる」とくる寒さだ。白鵬も負けた。敗因は「スキあった」と語る。GDPも世界第2位から3位への転落。何か暗すぎる。

足元の地方自治では、その基本の社会保障費は年々増加し、敦賀市でも福祉は一般会計の約4割を示す。憲法25条「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と、これは当然、守らなければならない権利だが、これも財政事情から、脅かそうとしている。

国民健康保険の未納が、敦賀市でも15%を超える。この不景気で未納がさらに増える。病院受診をためらう家族もある。全国的にも「無保険の子」が問題になっている。敦賀市でも例外ではない。

保護者が国保の保険料を滞納したため、18歳以下の子どもが「無保険」状態になっている。憲法26条で定められた「だれもが等しく教育を受ける権利」も揺らぎ始めている。今年から高校の授業料が無償化されたが、校費、小中学校の給食費の未納の問題も顕在化している。

敦賀市も有効求人倍率も1.0を超えても、臨時やパートが多く以前と質が違う。出口の見えない不況。大人社会の経済状況の悪化は、弱い子どもを取り巻く環境にダイレクトに響く。虐待など弱いものにそのひずみが必ずいく。

行政も削減、削減が美徳となり、景気対策の公共工事対策は、なりを潜めた。税収の右肩下がりも顕著だが、前に書いた未納、格差と年々、ゆっくりと拡大している。無駄使いはよくないが、必要なインフラや公共工事は、構造改革も進まず、この時代からこそ最低限の公共工事は大事ではないか。

国会でも昨夜、補正予算が参議院へ送られたが、外交の尖閣問題、中国漁船衝突と映像流出事件、内政では景気低迷や小沢一郎元民主党代表の国会証人喚問などで菅内閣はまさに内憂外患。

天下国家を論じる国会らしい論戦もときにはあるが、テレビ中継で「責任をどう取るのか」「(大臣を)辞めるのか辞めないのか」などと、不毛な質疑を見るとうんざりする。野党5党そろっての不信任案もいいが、そんな議論よりも地方は悲鳴をあげている。

論戦で与党を攻めるのは常道だが、閣僚の首を取ったり、議案に反対して解散総選挙に追い込むことだけが野党の仕事ではない。確かに今の民主党政権は頼りない。だが、昨年まで半世紀以上も政権を担った野党第一党の自民党が、危機的状況にある日本をつくったのは、民主党政権であるかのように攻める姿勢もいただけない。

弱腰外交や補正予算のあり方などを批判するだけではなく、これまで培った外交ルートで対中関係修復に動いたり国会審議に協力して存在感を示すべきではないか。

いまが危機とみるのがいいのか、これからが危機とみるのか、大連立的な政治のダイナミズムというべき決断も必要な時期が必要な環境が整い始めているような気がしてならない。
【2010/11/16】 | ページトップ↑
地方議員年金制度の廃止
Date:2010-11-15(Mon)

季節外れの黄砂に驚いた。先行きが見えない日本社会のようだ。国民年金もいまや制度維持が可能かどうか、その将来を見通すような例か、どうかわからないが、地方議員年金が破たんの寸前にある。

ある先輩議員から、「恩返し」という言葉で説明されたことがある。まさに「受けた恩に報いること」だが、いまは、その考えは、ほとんどなく、国民や市民から特権的な優遇策に取られているのが現実ではないか。

昨日から始まった相撲の白鵬の記録達成、相撲に期待がかかるが、相撲用語にはこの「恩返し」に別の意味もある。けいこをつけてもらった先輩力士を土俵上で破ること、または番付や記録で抜くことを指すとか。恩返しは金で返すよりも、これが本来の姿だろう。

先週、民主党本部は、敦賀市議会が廃止を求めていた地方議員年金制度が、ほぼ廃止する方向で最終調整に入った。これを受け、総務省が月内にも廃止案をまとめる。来年の通常国会に関連法案を提出する見通しだ。ただ、廃止の場合にも現在、年金を受け取っている先輩議員の今後の支払いや掛け金を支払った現職議員に返還される一時金などで多額な税金がかかる。

地方議員年金制度は、都道府県議会と市町村議会のふところがふたつある。都道府県議会は余裕があるが、市議会は余裕どころか本年度で底をつく。いずれも、自らの報酬から給付には、国の交付税措置に加え、自治体も補助しており、維持よりも廃止が税金がかからないとすれば、当然の成り行きとも考えていた。

今月5日、民主党本部で地方議員年金プロジェクトチームが開催され、それぞれの関係議員から存続意見、廃止でも、掛け金総額の8割の返還を求める意見などが相次いだようだ。総務省に詳しい民主党職員によると7割前後でまとまるのではとの話もある。

地方議員年金制度は、市町村合併に伴う議員数の減少などで財政が悪化し、来年度に積立金が不足して破綻する。この制度の存続、廃止の権限は、地方議員にはない。すべて国会で決定される。すでに、国家議員の年金制度は廃止されている。私の任期中11年間にも総務省の改革案が示され、給付が減り、掛け金は当然、増えていた。その時の見通しは、いま辛抱すれば、なんとかなるという説明だった。まさに見通しの甘さが露呈された結果が現在である。掛け金そのものも報酬の中では限界にきていた。

市町村議会議員は月額報酬の16%と制度改定ごとに多くなり、年金の運営にあっては、市町村より約40%の公費が支出されていた。財政がひっ迫する地方財政において議員自らの特権的な制度維持には限界どころか、破綻となれば、当然とも言える。

ただ、都道府県議会は平成33年度まで余裕があることから、町村議会議長会と同様、現在でも存続を求めている。一方で、市議議長会は、廃止と意見が変わった。これも時代の流れだと受け止めたい。
【2010/11/15】 | ページトップ↑
おばさんパワーの凄さ
Date:2010-11-14(Sun)(写真は粟野のふるさと夢市場の看板)

『ビルマからの手紙』(アウンサンスーチー著)の軽いタッチの本を読んだことがある。昨日、アウン・サン・スー・チーさんが解放された。四半世紀前、京都大学でともに研究した方に話を伺ったことがある。彼女は普通の娘さんと変わらない、底抜けに明るい性格とか。ニュース報道に伝わる指導者とは縁遠い性格だったとか。

昨日は、粟野の農産物直売所「ふるさと夢市場」がオープンした。自転車で西浦の立石からの帰り、思い出したように新木崎通りをまっすぐ粟野にペダルを踏んだ。10時過ぎ、車は列をなし、直売所は人盛り。オープニングには狭すぎる。豚汁、手打ちそば、餅の振る舞いと続く。JR駅舎改築の説明会はすみもすみに追いやられていた。この賑わいは、今後に期待の持てるオープニングだ。スーチーさんとは違うが、おばさんパワーが元気に作業をしていた。

昼からは、総合福祉センターの福祉大会。動員にせよ、各地区から多くの関係者が集まる。ここにもおばさんパワーの凄さを感じる。

話をスーチーさんに戻すが、「独裁体制下で異議を唱えるのは犯罪とされかねない。生きていくのが難しく、ときには危険になる。だから退屈しない」と。「ビルマからの手紙」に出てくる。7年半ぶりの解放。振り返ると22年前、母の看病のため英国から戻って以来、軟禁がついて回った。3度の軟禁は計15年になる。軍政が彼女の存在をどれほど恐れてきたか、の証しだろう。

スーチーがいつも髪に差している鮮やかな花の髪飾りは、再会することなく死別した英国人の夫(ビルマに何度か足を踏み入れようとしたがかなわなかった)と、かつて誕生日に贈りあった品種とも。彼女にとってこれをつけることが無言の抵抗の証とも。スーチーさんは解放されれば、選挙の不当性を訴え、軍政をただす行動に出そうだ。それをとがめられ、再びとらわれる、その繰り返しだ。それほど強い人だ。日本の終戦の年に生まれ、年齢はもうとっくに60歳を超えている。おばさんとはイメージはほど遠しが、それでも強い人だ。
【2010/11/13】 | ページトップ↑
長岡京市視察、記者懇談、議会報告会と続いた一日・・・。
Date:2010-11-13(Sat)

パナソニックのファンヒーターではないが、商売繁盛のコツを説くハウツー本は「ピンチはチャンス」と書いている。PRではなく、誠実に何度もお詫びし、危ないファンヒーターをいまだに探している。この姿勢が信頼感を醸成しているとか。

市場原理は、家電製品でも冷たい。ファンヒーターは命にかかわる不具合だが、過ちを素直に認め、謝り、改善を重ねる。こつこつと誠実に優れた製品を作り、サービスを続ける。それが何よりのPRとなる社会が日本に残っている。

行政は、真面目に働いて市民から評価される仕事でもない。ほめられることはほとんどない。それが市民サービスだ。失敗や不祥事は徹底的に糾弾される世界でもある。確かに税金は血税でもある。それだけに襟を正すことは大事なことだ。

昨日は、市民クラブのメンバーと長岡京市のJR駅再整備を視察した。JR敦賀駅改築、福井大学国際原子力工学研究所と建設が本格化する中、その中心部ともいえる駅前駐車場とするエリアに敦賀市の市のサービス機関、原子力機構の研究所、さらにはカフェなどの店舗などの施設の検討が本格化している。

イメージとして、長岡京市の総合交流センターの建物が近い。長岡京市立総合交流センターは、市民の交流の場として、教育、福祉及び生活支援に関わる施設があり、市民サービスに重要な行政施策が入っている。

「市民交流フロア」「市民活動サポートセンター」「オープンラウンジ」「観光情報センター」「総合生活支援センター」「中央生涯学習センター」「教育支援センター」「女性交流支援センター」の8つの市施設と、関連施設として「勤労者福祉サービスセンター」「駅前保育施設」や、2番館には駐車場やフィットネスクラブなど駅前の交通の利便性を徹底的に利用した複合施設となっている。

さらに、マンションや病院も合わせた再整備。それに道路など周辺整備も含めて事業費は約200億円と高額だ。既済0億円とこれも大きい。ただ、JR長岡京駅は約4万人と敦賀駅の約8倍。完成から5年。駅の利便性から総合交流センターの利用率は高く、交流センターに入る店舗も商売繁盛とか。結論としては、5年がたって駅の再開発は交流センターも含め、各施設が相乗効果となって利用率を高めていることは確かだ。

夕方は、敦賀に戻って、米国のカリフォルニア州の記者との懇談。カリフォルニア州にも原子力発電所建設の動きがある。懇談ではトラブルにも関わらず「もんじゅの働く人がエネルギシュだ」と答える記者の言葉が救いだった。

夜は議会の報告会第3弾。松原公民館で38名の市民の参加。どの会場もわかりやすい説明の難しさを感じていた。司会からは何度も「分かりやすい言葉」が口から出された。ただ、聴衆からは議会説明会開催の評価はどの会場も多い。明日14日午後7時は北公民館。最後の報告会となる。ぜひ参加を!

12月議会、3月議会と、任期も残り少ない。報告会などを盛り込んだ、議会基本条例への検討、制定へと作業は続く。真面目にコツコツと、議会改革を進める大事さを言い聞かせている。
【2010/11/13】 | ページトップ↑
何事にも良し悪しがある(民活導入)・・・・。
Date:2010-11-12(Fri)

海上保安庁のビデオ流出。大阪地検もあり、権力の裏に潜む表と裏、国家の権限を持った組織だけに興味本位的な報道も目立ち始めた。

平和堂で上映されていた「海猿」。海難事故などではどんな困難も克服して人命を救助する。少数の潜水士を含めて、海上保安庁には1万人を超える海上保安官。

敦賀にも港の警備はもちろん、原子力発電所あるため、海難事故だけでなく、海が舞台の犯罪や事件の防止、処理にも当たる。「海猿」人気も手伝って志願者が急増した、という報道もあった。

警察官と同様に、海上保安官も映画などでの人気とは別にもともと正義感の強い人、海の男と、不況のご時世から、競争率のあがった、あこがれる職業だ。

流出発覚時は「義憤からでは」の見方もあった。実際はどうだったのかはさておき、義憤からと思いたい空気が世論には混じる。愛国心、領土問題ともからんだでいるだけに、容疑は容疑として、複雑化している。
公的な権力が背景だけに、裏事情もしっかりととらえておくことも必要だ。

ところで、JR敦賀駅改築に合わせて、駅西再整備の動きが福井大学国際原子力研究所の建設と活発化してきた。まだまだ検討段階だが、駅前駐車場を中心とする建物(原子力機構の研究所、駐車場、店舗など)の検討も始まっている。

共同の建物でもあり、国からの補助がないだけに、建設費用の捻出も大きな課題だ。新しい手段としてPFI方式というのがある。PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)とは、難しい言葉での解説だが、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う手法でもある。

日本では、「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」(PFI法)が平成11年7月に制定され、小泉政権下で、国や各地方自治体でその動きが活発化した。指定管理者制度をはじめ、PFI方式も英国など海外での成功例をもとに、病院、図書館、駐車場などの公共施設等の整備等、再開発などの分野で成果を収めたが、一方、すべたがバラ色ではない。失敗例も出始めた。

成功例の視察も大事だが、失敗例も調査しておくことは今の時代、それ以上に必要と考えて、市民クラブのメンバーと昨日、滋賀県の近江八幡市立総合医療センターを訪れた。本来なら、失敗だけに、なかなか応じてくれないところだが、親切に経緯を説明してくれた。

結論を一言で語るのは難しいが、PFI方式がすべてうまくいくと考えると間違える。公立病院は、不採算部門もあり、すべてを委託できず中途半端になりがちで、失敗になりやすい。ということばではないか。

だからといって、PFI方式がダメだとは言えない。むしろ経営リスクの少ない安定した企業、研究所がはいるとしたら、基本に立ち返っての、民間の資金や経営ノウハウを活用して公共施設として、建設コストや維持管理の削減になる。近江八幡市は、必ずしもすべたが失敗ではなかった。本来の病院経営が順調ならPFI方式での運営の効果はあったが、試算の甘さと管理運営会社(SPC)との契約条件から契約解除に至ったと解説した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考までに、経過を詳しく説明すると・・・・

近江八幡市とPFI方式の主役である病院の建物を建設から運営管理にあたった特別目的会社(SPC)との関係は、民間活力という美名だけではない難しさを率直に話してくれた。

医療センターは、黒字だった旧市民病院を移転新築する形で、大手ゼネコン・大林組が全額出資するSPCが建設し、2006年10月にオープンした。30年分の金利99億円などを含めた総整備費は244億円。

近江八幡市が医療業務を担い、SPCが保守管理や清掃、警備、病院給食などを受託している。30年後に市が施設の無償譲渡を受ける契約で、市は直接経営と比べ68億円の節約になると試算していた。

だが、「新築となって上がる」と見込んでいた病床利用率が横ばいにとどまったため、増えた減価償却費を収入で補えず、2007年度に27億円の赤字を計上。一方、SPCに委託し、市が税金から支払う保守管理や清掃などの年間費用は、旧病院時代の6億6千万円から、15億4千万円に膨らんだ。

市長も変わったこともあるが、近江八幡市は2008年、管理運営会社のSPCとの契約を解除し、市の直営方式とした。

これまでも、全国で運営しているPFI方式の公立病院は近江八幡市立総合医療センターを含めて赤字となった。

もう一つの失敗例である公立病院で初めてPFI方式を導入した高知医療センター(高知市)では、初年度の2005年度から病院収支の赤字が続き、3年目の2007年度も当初見込みを約2億円上回る約18億9千万円の赤字となった。

公的部門の民営化、民間導入は大きな流れだが、すべてがいいというものでもない。失敗例も具体化しつつある。それを勉強するのも今の時代、必要なことだ。
【2010/11/12】 | ページトップ↑
転んでも前に転べば前進する・・・・
Dat:2010-11-11(Thr)

敦賀半島の原電道路を発電所に向けて車を走らせると、紅葉が目に一杯に飛び込んでくる。楽しみな季節だ。半島の西方ヶ岳岳(764m)・さざえ岳(686m)、そこそこの高さのためか、紅葉の段差がある。理屈を並べると、紅葉が始まるのは、明け方の最低気温が7度以下になってから。7度以下になると葉緑素が分化を始め、数日後に紅葉が始まる。夏の間、天候に恵まれた年は葉の生育がよく、秋になって気温差の大きい年は鮮やかな赤色の葉ができる、という。

さざえ岳のてっぺんの紅葉は遠目だが、相当に進んでいる。紅葉は、まだまだ理屈ではわからないことが多いらしい。何のために紅葉するのかなど、そのメカニズムも全て解明されているわけではないという。不思議だが、理屈に合わない美しいがいい。

先月末に訪れた黒部、立山も高くなるに従い紅葉も終わっている。夏の暑さの「ため」か、今年の紅葉は、例年と比べ、いまひとつ、期間は短いという予測もある。シャレではないが「ため」に点々をつけると「だめ」と昨日、教わった。

昨日は、昼から自治会館(福井市)で県内市議会、町議会議員の研修会。講演のテーマは議会改革と小布施のまちづくり。いずれも地方議会に求められる課題ばかりだ。ふたつ目のテーマは、北斎が好きで何度か、訪れた小布施の街だけに興味深い講演だった。

講演者は、17年前に来日し、信州小布施を舞台に、国際北斎会議の企画・運営をはじめ、老舗酒蔵枡一市村酒造の活性化、町おこしと精力的に活動を続けているセーラ・マリ・カミングスさん(講演会場で40歳を超えたと語った)。「台風娘」の異名をとる行動力で周囲の人々を巻き込み、失われつつある日本文化の復活に精力的に取り組んでいる。セーラさんは、小布施の酒屋さんの取締役。

田舎の観光地、小布施、普通であれば夕方5時には店は閉まり真っ暗になる。そこで夜10時まで、「蔵部」レストランを開いた。少し高いが、酒造メーカーだけに日本酒は絶品。敦賀から車で約4時間半、翌日の北斎を楽しみに店で一番安い日本酒「スクウエア・ワン」を飲んで眠りにつく。

小布施の町に魅力は、北斎館があることに加え、周囲の山が敦賀と同じように四季折々。秋には、栗、リンゴと観光客を飽きさせない。こじんまりした街で駅からも歩いて15分もかからないところに北斎館があり、最近はスイーツ人気か、栗のケーキ、クレープなど食にも飽きない店がならび、観光客であふれている。車椅子を押しての時間をかけての観光にもぴったり合う。

周りに栗林、リンゴ園があって、観光のためか、農業が地産地消で産業になっている。そうした、小さな地域で、市町村合併もせず、自然のものづくりと観光で成り立っている街でもある。小布施のテーマで「人が環境を作り、環境が人を作る」という言葉がある。講演の映像をみながら、土壁の数百年の味わいや、屋根瓦の上の苔の味わいが浮かんでくる。熟成文化の魅力ともいえるかもしれない。ただ、ここ数年の観光ブームは、静かな小布施を知る私には、変化が速いだけに、「ちょっと」とも思ってしまう。それほどテレビの影響か、ブーム化している。

セーラさんが取締役を務める「枡一市村酒造場」のスローガンで、「産地から王國へ」という言葉がある。昨日も、その「國」の中にある「口」は「酒の杯」とも語った。国をつくる(まちづくり)は、議会の堅苦しい議論ばかりではダメで、酒を酌み交わしての楽しい語らいも大事だと教えてくれた。

小布施で600年以上の背景を持つ栗の文化を大事にしていこうと、小布施のど真ん中に、栗の木のブロックを敷き詰めた「栗の小径」がある。まちの真ん中を通る国道403号線の歩道にも栗のブロックを敷き詰めている。あるいて見ると、硬くてごつごつ、それも段差をつけている。車椅子を押していると、なんでこんな歩道と思っていまう。ところが、逆発想で、地元文化の『栗』を頭にたたき込まれる感覚だ。

先ほどの、夜の居酒屋「蔵部」は、観光客のためだけでなく、地元の人も楽しめる施設が欲しい、ということで夜10時まで営業するレストランをつくったと聞いた。店は丈夫なナラの木を、梁に使ったり、昔の人が使い分けたように、さまざまな特性の木を組み合わせた建築になっている。古い酒蔵と新しい発想があわせ持つ小布施の街は、昨年も聞いた湯布院と並ぶ街づくりの成功例だ。感じる共通点は、昔ながらのその地の文化を大事にし、それを活かし発展させていることだ。それもリーダーに女性が先頭に立っていることだ。

印象に残る言葉で、セーラーさんが語った「転んでも前に転べば前進する」と、失敗を恐れない、含蓄に富む言葉でもある。

また、「本物っぽい、とか本物らしくではだめなんです。本物でなくてはならないのです。」というこだわりもまちづくりに必要とも学んだ。北斎もそうだが、セーラーさんが営む酒屋も本物志向で酒樽にこだわっている。栗も、輸入でない小布施の栗に各店はこだわる。そんな志向が長く続き、リピーターを呼ぶ観光地の秘訣かもしれない。

敦賀にも千年を超える港の歴史と、本物の魚市場、400年歴史を超える酒屋もあるが、いま一つ生かしきっていないもどかしさを感じるのである。昨日感じたのは、一所懸命考えて小布施流ではないが、敦賀ならでは敦賀流の地元の文化を大事にすると民間の熱意がなによりも必要とも感じた。

ところで、秋から冬へと移りゆくこの時期、経験上、自律神経のバランスが崩れて体調を崩し、ゆううつな気分になる人も少なくない。医者曰く、睡眠をしっかりとり、バランスの取れた食生活と体を冷やさないことだと。その上で、移りゆく季節を楽しむゆったりとした気持ちが大切ではなかろうか。紅葉の美しい山に囲まれた敦賀、「紅葉狩り」などもってこい季節だ—。
【2010/11/11】 | ページトップ↑
議会報告会、不法投棄の相談
Date:2010-11-10(Wed)

議会報告会・・・・・・・・・・・・

昨夜は粟野公民館での2回目の「議会報告会」。設営から片づけまで、議員のほぼ半数、議会事務局総出となる。パワーポイントや報告会のルールなどの準備も含めれば相当な労力となっている。これを全議員の協力で報告会開催となった。これも時代の流れと感じていた。

ある参加者の感想は、「テレビ放映や新聞情報だけでは接することのできない議員の姿が見え新たな発見だった」と率直だ。さらに「議員さんが協力してやろうとする雰囲気が伝わってきて、意外な側面がみえた」と、報告会の難しさ、わかりやすい説明の難しさを感じただけに、現場での率直な感想に、ほっとする瞬間でもあった。

アンケート結果も議会HPで報告されるであろうが、議会が組織として全議員が協力して、議会報告会ははじまったばかり。まだまだ工夫の余地があることは確かだ。市内4カ所が終了して改めて、全体的なコメントをしたい。

不法投棄の実態と現状・・・・・・・・・

ある市民の庭に「ポイ捨て的な不法投棄が絶えない」と相談を受けていた。「警察や市役所に行っても相談には親切に応じてくれるが・・」と。この種のポイ捨てが市内各所で増えている。市も警察も違法性の事実は、認識しているものの、悪質なものでない限り対応は難しいとの理由で「相談を受けるのみだ」と不満を漏らしていた。市や警察に訴えても、現状ではなかなか解決できないのが実態だろう。

また、先日も、国道沿いに旧型テレビ3台が捨てられていた現場を連絡したばかりだ。敦賀市でも悪質な不法投棄が繰り返される現場にはカメラを設置しての監視を続けている。

2011年のデジタル化の影響か、全国的にも家電リサイクル法で回収を義務づけている大型家電4品目(エアコン、テレビ、冷蔵・冷凍庫、洗濯・乾燥機)の不法投棄が、2009年度は6年ぶりに増加した。ブラウン管テレビ(旧型テレビ)の不法投棄が全体を押し上げた形だ。

一方、敦賀市内で廃棄するテレビやエヤコンを引き取ってくれる業者が出現し、市民もかなり持ちこんでいた。警察、県、市も違法性が確認できない以上、指導、注意で終わっている。

確かに、大型家電にはレアメタル(希少金属)で再利用価値が生まれ、一方で、人体に有害な重金属が含まれる。ブラウン管には1キロを上回る鉛やカドミウム、スイッチには水銀が含まれるため、適正処理が課題となっている。

環境省が10月末に発表した調査では、家電4品目の不法投棄台数は約13万3千台で、前年度より11.6%増加した。内訳は旧型テレビ65%、冷蔵庫・冷凍庫21%、洗濯・乾燥機12%と、薄型テレビの普及で買い替え需要が増したことよる。また、中国、東南アジアなどレアメタル再利用で輸出したりもして仕事になったことを背景に、敦賀市を訪れた愛知県など、不用品回収業者が増えており、市も県もまだ、指導、監視にとどまっているのが実態だある。

デジタル化で、旧型テレビの不法投棄がこれからも増えることが予想される。不法投棄の監視や違法的な回収業者の動向など、この問題は、根が深く、適正にリサイクルされる仕組みが大事だろう。

話を戻すが、相談を受けた市民の自宅に、自らテレビカメラを十数万円かけて設置し、ようやく犯人らしき人物を特定できた映像を警察に提供し、それ以降、ポイ捨てはなくなったとか。不法投棄の大小はあるにせよ、まさにモラルの問題だ。
【2010/11/10】 | ページトップ↑
考えさせられた会計検査院の報告
昨日は、議会の広報委員会、市長の参加しての不適切会計処理の説明会、議会運営委員会。午後からは、予算決算常任員会、第6次総合計画の説明会、代表者会議、越前市の奈良市長との面談と続き、夜は粟野のグルメ館前で、今日、行われる議会報告会案内のチラシ配りと時間が過ぎた。

なかでも、5日に公表された会計検査院の決算検査報告における平成15年度から20年までの敦賀市分の不適切会計処理で、現在、審査中の平成21年度決算をどうするか、午前中が過ぎた。

結果、予算決算常任委員会では、平成21年度予算執行で、いまのところ、不適切な会計があったかどうか、市の調査結果を待って、再度、審査することとなった。但し、3月の平成23年度当初予算はじまる前までを期限とした。

私の頭の中では、会計検査院は財務省の一部局程度との意識が強かった。ところが、今回の会計検査院の報告は、その存在感を見せつけられた。

余談だが、会計検査院は憲法90条にある行政機関。内閣に対し独立の地位を有すること。国会・内閣・裁判所の三権のいずれからも独立している機関でもあり、相当な調査権限も有する。さらに会計検査院の検査権限は内閣及びその所轄下にある各機関のみならず、国会(衆・参議院)・最高裁判所をも含むすべての国家機関に対して当然に及ぶなど、一般の行政機関とは際立って異なる性格を有している。

話を戻すが、会計検査院による今回の決算検査報告は、これまでと様相が変わった。政権が変わったこともあろうが、やはり国の財政逼迫が相当影響したと見るべきだ。

地方自治体への返還請求など容赦がない。有効活用されていない資金や資産の分析や指摘は鋭い。今回、指摘金額が1兆円の大台に乗った。

新聞でもあるように、1兆2000億円を国庫に返納するよう求めた鉄道建設・運輸施設整備支援機構への指摘は政府の仕分け作業どころでない。

敦賀市分も市の監査では踏み込めない市内業者の経理まで手を入れての調査の結果でもある。これまでは補助金の事務費用まで手を入れていなかったが、今回はこれまで手を入れなかったところまで検査している。

なかでも、1837億円の剰余金を国庫に納付するよう求めた整理回収機構への指摘も鋭い。債権回収業務で得た約10年前の利益が剰余金として埋もれていた、いわゆる「埋蔵金」を見つけ出す力は、政府の仕分け人とは違った『沈黙のプロの仕分け人』と私は呼びたいほどだ。

政府の仕分け作業に目がいきがちだが、今回の会計検査院の報告を見る限り、法律をバックにした作業、分析能力は本物ともいいたい。

それだけに、右肩下がりが続く市の税収、当然、使い方をどうするか、補助金の使い切り文化が残る、職員の意識改革、一方で、市の監査、議会の決算認定作業も時代にあわせた意識改革が必要とも感じた。考えさせられた会計検査院の報告だった。
【2010/11/09】 | ページトップ↑
再発防止と言うが・・・会計検査院報告(その2)
Date:2010-11-08(Mon)

昨日は、秋晴れ。町内の敦賀3,4号建設の現場見学会から始まった。現場は生きものと昔、教わった。何度も現場をみているが、その都度、変化している。

ところで、会計検査院の報告の件は、市民からの問い合わせ、本日の議会の対応など水面下の打ち合わせが続いた。毎年この時期、各自治体の検査はもとより、本体の官庁や政府出資法人まで、決算検査報告を首相に提出する。いまや国も地方も財政はひっ迫する中での検査。国も各自治体も借金を抱えているだけに、会計検査院の検査も一層厳しくなっていると聞く。

私も議員になって感じるのは、国の補助金なり、交付金は使いきることが前提となる風潮が強いということだ。私自身もせっかく国からの補助金という感覚が、どこかにあるように思う。

民間企業では、不況が長引いているせいか、できるだけ無駄遣いしないようにあらゆる努力をする。税金の使われ方も財政が厳しいほど、その風潮があってしかるべきだ。ところが、いまひとつ考え方が違うのか、それも国からの補助金は使い切るという発想がしみついていたように感じる。その結果が、今回の不適切な会計処理に結び付いたことも現実と思う。

先日、会計検査院の報告で、2009年度の指摘は979件。指摘総額は約1兆7904億円に上り、前年度の約7.5倍で過去最高。総額の大幅増は独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」に対して1兆2千億円の余剰金を指摘し、国庫返納を求めたのが最大要因。4月の事業仕分けでも「国庫返納」の判定だった。

なかでも、ワイドショーではないが、在外51公館の会計で、公邸地下室に8千本近い高級ワインを貯蔵したり、年間契約で借り上げたホテルなのに50日ほどしか使っていなかったり、指摘も額も内容も、地方自治体の指摘とは、かけ離れた結果が示された。市民感覚では、「えっ」と思ってしまうものがある。在外公館の経理には、地方自治体以上に、市場原理など働かない「使い切り精神」が働いている。

繰り返しになるが、予算が余りそうだから使ってしまえとの現場の姿勢は、単年度決算、現金主義など、市場原理で生きている民間企業とは、違った精神がいまだに生きていることの表れではないか。

敦賀市の会見検査院報告、約3500万円の指摘。なかでも、架空伝票を処理して業者口座に公金をプールする「預け」が約200万円など、信頼関係を前提としている議会の決算審査では指摘もできなかった。

この問題の最大の視点は、てん末も大事だが、再発防止策が一番大事だ。よく外部監査導入など、第三者に委ねる風潮があるが、私の経験上、自らの意識の改革と、自浄能力がなければ、再発は防ぐことはできない。

一方、議会の決算審査は、納税者の負担を考えながら、税金の使い方を審査すること、無駄使い的な審査も大事だが、事業そのものの仕分け的な検証、費用対効果や、有効に使われたかなど、議会の認定の使命は大きくなっている。それだけ、行政や議会の市民の目が厳しくなっていることを肝に銘じたい。
【2010/11/08】 | ページトップ↑
不正経理(会計検査院報告)
Date:2010-11-07(Sun)

昨日、「議会はなにしとんや」と朝一番の市民からの電話。そんな思いをした市民も多いのではないか。

昨日の新聞報道。『会計検査院が5日に公表した2009年度の検査報告で、県内では福井、敦賀、越前、鯖江の4市が、国土交通省と農林水産省の補助事業(2003年度~08年度)などをめぐり、不正経理を指摘された。このうち敦賀市は約3500万円に上り、架空伝票を処理して業者口座に公金をプールする「預け」が約200万円と、悪質な操作もあったため、河瀬一治市長の減給方針も示された。

指摘を受け、5日に敦賀市役所で会見した木村学総務部長は「補助金を使い切らないといけない、という誤った意識があった」と説明。監督者責任として河瀬市長と塚本勝典副市長の減給方針を示したほか、塚本副市長を委員長とする調査委員会を設置し、今後6カ月間をめどに調査していくことにした。』(中日新聞福井)

現在、敦賀市議会では予算決算常任委員会で平成21年度の決算を審議中であり、21年度にも不正経理がなかったか、どうか、だが、それ以前の問題と私はとらえている。

会計検査院の報告は平成15年度~平成20年度の間によるものだが、それまでの、議会の決算審査では指摘することができなかった。補助金であろうと、補助金は使いきらないとの風潮があったにしろ、本来は不正経理があってならないこと。

敦賀市の理事者側の自浄作用が働かなかったこと、監査でも指摘できなかったこと。さらに議会の決算審査でも指摘できずに、会計監査院での指摘で判明したことなど。市長、副市長の減給措置で済む問題ではない。

この種の問題は、トップの責任を明確にすることも大事だが、職員、監査、議会の連帯責任でもある。なぜこうなったのか、原点に立ち返っての、真相、経過、要因分析、膿を出し切ることが大事だと考えている。その上での、再発防止が重要であることはいうまでもない。

まだ、詳細を議会のFAXと新聞情報しか、私も把握していないので、細部のコメントは避けたいが、課題は山積していると思っている。監査にしろ、議会の決算審査にしろ、信頼関係の上に成り立っていることが多い。悪く言えば、なれ合いの中での作業ともとらえられてもしかたがない。

明日8日、予算決算常任員会の予定だが、市長の説明を聞いた上での議会の対応を組織としてどうするか、それほどの問題ととらえている。
【2010/11/07】 | ページトップ↑
都市間格差に潜む文化
Date:2010-11-06(Sat)

「百聞は一見にしかず」とよく言ったものだと最近つくづく思う。ネット社会で多くの情報は手にすることができる。しかし、その場での雰囲気、感覚はその場でしか感じることはできない。なかでも文化という有形無形の存在は、その場、その土地で感じることできる。

格差社会と言われて久しい。所得格差そのものも、日常化するホームレス社会を米国で見せつけられた。ところが、派遣村ではない日常化された食事を提供する、教会を中心とする「奉仕文化」が意外と根付いている。

日本においても、都市間格差、地方格差も地方都市へ行けば行くほど感じる格差だ。東京と地方都市の活気度は違いは歴然としてきた。地方都市間でも、その格差は、丹念に観ればよく理解できる。

温泉地では別府と由布院。動物園であれば旭川動物園と各市の動物園。市の経営では夕張市と各市。観光であれば、境港市、富良野市さらには先ほどの由布院市と各市。

原子力発電立地市町にも共通点と格差がある。格差といっても千差万別。かつては産業政策による街の変容だ。典型的なのが夕張市、かつての石炭産業の衰退と共に人口は10分の一へ、そして市の破綻と格差はそこに住む住民と話せはよく理解できる。それでも映画祭など自らの復興に努力する力は音楽祭に行けば感じることができる。

最近、つくづく思うのが格差の中に潜む、そこの文化性というか芸術というか、「文化を育む力」だ。繰り返しになるが観光政策だけではなく九州では湯布院市と別府市、北海道では富良野市。とくに、夕張市に隣接する夕張山地一つ隔てて東の富良野市と西の芦別市。この三つの市を比べれば、いかに「文化」の自律的な格差という「育む力」が大事かだ。

湯布院は温泉地に新しい感覚と芸術性を持たせて観光地として花開いた。街には東京など都会から不況とはいえ、多くの観光客が訪れる。

富良野市ではラベンダーに夢を託した一人の農家の執念を軸に、観光産業が花開いた。地元が誇る農畜産物の商品開発や雄大な景観をロケ地に生かすことなどによって、強固な「富良野ブランド」を確立。街には年中、観光客がひしめく。

一方の別府市は。一律的な観光政策から抜け出せず、長い低迷が続いている。夕張市は夕張メロンなど自律的な地域おこしに励んだものの、テーマパークなど中央資本に委ね過ぎ、市そのものが経営破たんをした。その借金はもとより、日常生活で病院や学校という社会的インフラのつらさが市民につけとして残った。ご存じのとおりだ。

夕張近くの芦別市も、中央資本に活性化策を委ねた。カナダの街並みを再現したカナディアンワールドは13年前に経営破綻し、市営になったものの、夕張市までとは行かないまでも街の活気度は地方都市そのものだ。

湯布院市、富良野市、境港市に共通するのは、「誇るべきもの、守り育てていくもの」の存在だ。そこに意外と基本になるのが「地域文化」と感じるのである。

それも10年、20年と長い年月をかけてと取り組んだ成果が、都市間格差として出始めている。近くでは長浜市、彦根市がそのお手本だろう。

長々書いたが、文化を大事にしない地方は、人口減少も含め、市場原理は末端ほど荒々しく働くという現実だ。地方の商店街は衰退し、コミュニティーや文化的機能を担った空間が次々と消滅している。中央との経済格差だけではなく、文化格差も深刻化しているというが現実のむごさだ。

この敦賀市も商店街など市場原理は、各地方都市と変わらない、歴然とした地方都市を演じている。原子力発電所の立地で雇用や活性度、数字で言うと人口減少はなんとか維持はしている。

一方で、他力本願的な風潮がはびこってしまっている。そのキーは、文化ではないかとも最近、つくづく感じるのである。

とはいえ、博物館の大谷吉継に象徴される歴史文化や、小さな施設ながらも、人道の港「ムゼウム」の意外な発展性だ。館のボランティアガイドをしていて、先日のスウェーデン記者の遭遇や先日2日もイスラエルからお客さんを多く招いたなど、人道という文化とは違うかもしれない有形無形の意外な発展性だ。そこに敦賀が古来より育んだ港町文化というか、人道の背景に港町ならでは文化性があるのに気がつかされる。

港ひとつとっても、食一つとっても地域なりの文化がある。借り物や人任せでは通用しない。育てる文化度の大切さを感じる。まちづくりのキーは、市場原理も大事だがそれ以前の文化度にもありそうな気がする。幸い敦賀市は港文化、歴史文化、食文化と素材には事欠かない。
【2010/11/06】 | ページトップ↑
ベトナムの受注と美浜、敦賀の長期運転
Date:2010-11-05(Fri)

昨日、「運転開始から40年がたつ関西電力の美浜原子力発電所1号機について、県は、今後10年間、運転を続けることを認める方針を固めました」と。国内では、原電の敦賀1号機が、平成28年までの46年間運転を続け
ることになっているが、美浜1号機が50年間運転を継続すれば、最も長くなる。

敦賀1号機は、日本初の沸騰水型原子炉、美浜1号機は日本初の加圧水型原子炉。いずれもGE社、WH社と米国の技術を受け入れ、安全性向上、廃棄物処理、耐震性向上など、日本の技術的風土になじますか、改良、改善の連続だった。それが今日の日本の原子力技術、ベトナムの受注とつながっていることは言うまでもない。

私は、敦賀1号機の運転開始5年目の昭和51年から保守の仕事に従事した。改良、改善にはまず、設計思想の確認、建設の記録などを読むことからはじめる。ある時、各電力から集まった技術者と米国技術者のメモを読む機会があった。それも、両者がペンで図を入れて、日本語と英語で克明に書いている。黎明期の息吹ともいうべきものが伝わってきたことを覚えている。

敦賀1号機からは、その経験や技術を、北は北海道電力、南は九州電力へ、持ち帰り、建設、運転と働き、現役を引退した先輩も多い。日立、東芝、三菱の原子力を支える技術者も、美浜、敦賀での経験が、その後の改良型ともいえる設計に生かされていることは、言うまでもない。

ところで、ベトナムの原子力発電所2基の受注は画期的なニュースでもある。具体的には、ベトナム南部のニントゥアン省に建設される原子力発電所2基で、2014年の着工、20年の運転開始を目指す。官民一体で受注を働きかけてきた政府の働きも大きいが、一方で、建設、運転などこれまでの実績に基づいた人材育成など地道だが確実な協力を訴える『日本方式』の提案が受け入れられたとも聞く。

まだまだ、紆余曲折もあろうが、地球温暖化問題で、世界の原子力は「脱原子力」から「原子力推進」へと大きく舵を切っていることも現実だ。2020年の原子力発電の市場規模は日本が受注拡大を狙う東南アジアで約9兆円、インドは約17兆円、中東は約12兆円に達する見通しとも言われ、ベトナムの1基数千億円規模とみられ、周辺整備なども受注できれば2基で1兆円規模に達するとも。

ただ、昨年のアラブ首長国連邦(UAE)やベトナム第1期工事の原発受注では、武器輸出など含んだ交渉で韓国、ロシアに敗れた。繰り返しになるが、日本は今回、原発に関する技術や実績、人材育成などを売り込んで評価を得た。

美浜、敦賀の原子力発電所の建設、運転が、今回のベトナム受注の礎ともなっていることは確かだ。30年ほど前か、その前身とも言える、三菱重工が、原子炉容器を中国から受注した時、三菱神戸で学ぶ中国人技術者と10数名とたまたま出会ったことがある。当時、三菱の担当者は「中国は最優秀の技術者を送り込み、その貪欲さは目をみはる」と語っていた。その後の経過をたどれば、見事に技術を盗まれたとも言える。

今後、平成24年度に敦賀で始まる「福井大学付属国際原子力工学研究所」との関係は未知数だが、敦賀1号機、美浜1号機からもんじゅ建設、敦賀3,4号建設と、この地域の原子力発電が果たす意義は発電だけに限らず、人材育成という面でこれまでも、これからも大きな役割を果たす、そのことを考えての地道な地域戦略も大事とも思う・・・。
【2010/11/05】 | ページトップ↑
子ども手当の期待感と危うさ
Date:2010-11-04(Th)

民主党政権になって、なかなか腰が据わらない。子ども手当がその典型だろう。政府は3日、来年度以降の子ども手当の支給額について、現行の1人当たり月1万3千円から、3歳未満の子どもに限り7千円増額し、2万円とする方針を固めた。中学生以下の全員に一律2千~3千円上積みする案も検討してきたが、財源確保が難しいことから見送る方向となった。

子ども手当は、確かに子育て真っ最中の夫婦には朗報だし、現実に3人もいれば、月額3万9千円は、相当な支援だ。先日も夫婦合わせて年収300万円を超える夫婦から「子ども手当はありがたい、ぜひ、2万6千円の公約実行を!」と、懇願された。当然、私にあげる力もないが、民主党支持者の若い夫婦の期待感はいまだに大きい。公約の重みは忘れてはいけないと思う。

3歳未満に限定すれば所要額を二千数百億円に圧縮できると判断した。政府は所得税などの配偶者控除見直しで財源を工面する考えだが、世代間での理解が得られるか、しっかりとした説明が必要なことは言うまでもない。

来年度予算をめぐって、この論議も活発化するが、民主党の試算では、子ども手当が現行の支給額のまま据え置かれた場合、所得税と住民税の扶養控除が来年1月以降廃止される影響で3歳未満の子どもがいる年収800万円以下の世帯では手取りが最大月6千円の減収となる。支給があっても、控除が無くなって負担が増えるのは、本末転倒でもある。

政権奪取から1年3カ月、残り衆議任期2年9カ月、「本当に大丈夫か?」と率直な声を頂く。財源問題もからも、「コンクリートから人へ」のビジョンがふらつき始めている。一方で、若い夫婦からは「自民党政権になって子ども手当がなればなくなるのも困る」と率直だ。一度、支給されたものは、月額1万3千円と言えども若い夫婦の厳しい家計では頼りになる存在となっている。

ただ、敦賀市でも不況のせいか、若い夫婦世帯の平均所得は、毎年、目減りし続けており、子どもも一人が精一杯との声を聞いた。敦賀市が行う保育行政、医療費無料化など、若い夫婦の評価は高いが、「子どもをもう一人という感覚にはなれない」と率直だ。

敦賀市の特異なまでに核家族が多い現状や少しとはいえ、シングルマザーが増える実態から子ども手当との関係は、今後とも目が離せない。
【2010/11/04】 | ページトップ↑
秋本番と技術立国
Date:2010-11-03(Wed)

市役所通りのイチョウをはじめ近くの街路樹がここ数日で急に装いを変えた。強風と雨が続き、歩道は落ち葉で秋色になった。カキの実の朱色も加わる。目を凝らせば、ここそこに秋色がある。何度も感じるが、今年の秋はいつもと様子が違う。

昨日は、朝から議会運営委員会、予算決算常任委員会が分科会も合わせて7時半まで続いた。その後もある会合。終えたのは夜9時過ぎ。疲れというよりも会議が2時間限度と先輩から教わったことがある。

議会運営員会では、本会議のインターネット配信をライブとクリックで再放送の5年分が好きな時間に観ることができる。経費は概算135万円。議論の結果、実施の方向で動くことが決まった。

紙面の「議会だより」、テレビの「RCN放映」、このたびの「ネット配信」、さらに市民と直接向いあう「議会報告会」が年数回開催されると、議会が市民にとって身近な存在となる。ただ、予算や職員の労力の問題も考慮しなければならないと思っている。

予算決算常任員会は、委員長の立場なのでここでのコメントはさけるが、税収が縮小する中、予算の使われ方のチャック、仕分け作業的な側面、事業を通して、将来に向けた建設的な側面と決算に求められるものは多い。8日が最終日の採決をまってコメントしたい。

夜9時を超えるとさすがに寒い。秋の叙情に浸る間もなく、冬の足音がひたひたと迫って来たようだ。平和堂では、冬物が本格化している。店員に聞くと、ストーブなどの暖房機器や、コートやセーターといった防寒衣類が売れているという。今年は急に寒くなったのか、本格的な冬の訪れを前に、しっかり準備しておきたい心理か。

とはいえ、いきなり冬将軍がやって来るわけではない。例えつかの間であっても、しっかりと秋を満喫したい、そんな感覚だ。

先日、ある市民から市役所通りのイチョウをみて「これからが紅葉なのに、なぜ坊主にしてしまの」と。ある市民は「落ち葉は掃除が大変」と。意見も様々だ。山と海に囲まれた敦賀、肌でも、目でも普段見逃しがちな秋のたたずまいを身近に感じることができる。今は、ほんとにいい季節になった。

話をがらりと変えるが、国会で「元気がない」「ビクビクしている」と言われた菅直人首相だが、久々の笑顔、原子力発電所2基の受注。技術力は世界一と言われながら、駆け引きで負けてきた日本。久しぶりの快挙だ。その技術力は、敦賀1、2号、ふげん、もんじゅと建設、運転で得た経験や知見が、今日の日本の原子力を支えている。綱渡りの日本だが、技術立国の誇りと夢はいつも持ちたい。
【2010/11/03】 | ページトップ↑
今日から決算常任委員会
Dat:2010-11-02(Tue)

昨日の風と雨、それに夜になっての雷(かみなり)。雪おこしを連想させる。今年は、扇風機を片付けてまだ間もないのに、もうストーブの出番。昨日は決算書と一日にらめっこ。今日も長い決算常任委員会の一日だ。

朝晩の冷え込みでようやくスイッチが入ったのが紅葉である。市役所通りのイチョウも紅葉が始まった。山々の木々も、ほんのり色づき始めた。

その紅葉前線の南下は、50年前に比べると半月以上も遅くなっているそうだ。温暖化が影を落としているのかどうか。

時代は温暖化だけではない。中日とロッテで争う日本シリーズ。かつてはプロ野球最大のイベントとして、秋の風物詩となっていた。ところが今年、第1、2、5戦は地上波の全国テレビ中継がない。表看板を半分外したようなものだ。

若い人に限らず、私もそうだが、野球世代と言える50代以上の中にも、野球をあまり見なくなった、という人が増えている。つまりは、野球しかなかった時代から野球もある時代へ。多様化である。

大相撲も不祥事だけではなく、それ以前からNHKの視聴率も落ちていたと聞く。従来通りのやり方では、プロ野球の大相撲も対応できない時代だ。敦賀3,4号の本格着工延期で敦賀市の23年度予算も減額が予想される。

右肩上がりの時代から右肩下がりの時代へ。議会も変わらなければならない。今日は、21年度の決算、すなわち使い方を審査する。国や各地で行われている仕分け作業にも通じる大事な作業でもある。予算重視型から決算も大事な作業になっている。予算編成に役立てるためにも9月議会へ。そんな議論も始まっている。
【2010/11/02】 | ページトップ↑
「くろよん」の感動
Date:2010-11-01(Mon)

昨日、「黒部の太陽」の舞台となった黒部川をトロッコ電車などでのぼった。この映画が上映されたのは1968年。文部省推薦映画かなにかで、高校の郊外学習で観た。石原裕次郎、三船敏郎と俳優もよかったのか、男たちのロマンとそのスケールの壮大さが高度成長の真っただ中か、振り返ると、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」と合わせた、その後の自分に人生に影響したのではないか。

くろよん建設の1950年後半頃は、高度経済成長期の前段か、地方都市の高松の、わが家に冷蔵庫、洗濯機が数年の間に来たことを思い出す。日曜より7時に月光仮面の番組を近所にいつも見に行くのを、ふびんに感じたのか、遅れてテレビがわが家に来た。

冷蔵庫、洗濯機、テレビの「三種の神器」は、庶民のあこがれ。豊かさのシンボルだった。暮らしのための電化製品の普及はめざましく、買いそろえるのが夢だった。共通点はいずれも電気を使うことだ。

当然、この当時の電力事情は産業復興とものの豊かさで急増した。それが間に合わないとなれば業界も必死なった。それが黒部第四発電所(くろよん)となった。

くろよん建設の要となったのは、資材輸送の要となった関電(大町)トンネルの工事が、最大の山場となった。今でも映画で石原裕次郎が箸を割って示したフォッサマグナを覚えている。その破砕帯突破が最大の見せ場というより難関だった。この工事を熊谷組が担当した。1957年5月、トンネル施工中に岩盤の中で岩が細かく割れ、地下水を大量に溜め込んだ軟弱な地層である破砕帯に遭遇し、この破砕帯を突破するまでに約7ヶ月もの月日がかかった。くろよん全体工事で171名の犠牲者がでた。黒四の現場には171名が刻まれた慰霊碑がある。手を合わせた。

映画を観ての感動は17歳頃か、いまでも覚えている。その後、原作の木本正次の「黒部の太陽」を本で読み改めて感動したものだ。昨日のくろよんの展望台でこの本と出合い買いなおした。

時代が変わり、2009年3月には、フジテレビ開局50周年記念ドラマ「黒部の太陽」がSMAPの香取慎吾・主演で放映された。子ども時代を呼び起こしてくれる作品でもある。

話を冒頭に戻すが、父が買ってきたテレビは、後で話を母から伺うと、どこでも買い始めたことから、私のためよりも、見栄とか、自分がほしかったからとかで、当時、相当無理をしたようだ。

冷蔵庫も、簡単で自家製アイスクリームを作ってもらい食べたのが、きっかけとか。冷蔵庫とアイスクリーム製造器があわせて我が家に届いた。余談だが、冷蔵庫は、スーパーも庶民の食生活を変えた。冷蔵庫が最近、新たな役割を担うことになった。核家族化と高齢化社会のゆえ、である。一人暮らし高齢者らに、持病や服薬の情報を記した紙を専用容器に入れて冷蔵庫などで保管している。女房の実家でも実践している。

昨日も認知症の最前線のテレビがあったが、高齢者にとって、老いの命の情報を託す機器にもなっている。「三種の神器」の時代からすでに半世紀。豊かさを追い求めてきたこの国の、電力事情も落ち着いてきた。

黒四は、中部国立公園のなか、地下発電所の皮切りでもある。環境問題がこの頃からも考慮され、いまは地下発電所は当たり前となった。ただ発電所そのものが、水力から火力、そして原子力と主役が変わってきた。

数年前の紅白31日、100人のスタッフを連れて中島みゆきの「地上の星」の歌った隧道など通りながら、50年の歳月と壮大さを感動を呼び起こしてくれた「黒部ずくし」の一日だった。
【2010/11/01】 | ページトップ↑
| ひとことトップ |