リバプールとビートルズ解散40年。....敦賀
Date:2010-12-31(Fri)

イギリス、イングランド北西部の街、リバプール。ザ・ビートルズ誕生の地として名高い。19世紀にはアメリカとの貿易および客船業務でイギリス第一の港へと成長した。最盛期は80万人近い人口を抱え、イギリス有数の工業都市・交易都市として栄えた。が、第二次世界大戦時にドイツ軍のはげしい爆撃にさらされ、1940年代後半、綿貿易と繊維産業は急速に衰退した。さらに、1950年代以降イギリス全体が長期の不況に陥るのと並行して急速に斜陽化し、次第にその地位を低下させていった。

私もこの街に30年ほど前に訪れている。規模的には違うが、敦賀と境遇も街の雰囲気もどことなく似ていた。私が訪れた70年代後半からさかのぼること10年前、60~70年代には大規模なスラム浄化と再建計画がはじまり、港町でありながら,産業と観光で生きている。現在は港湾部の各種施設やビートルズゆかりの建物などを利用した観光に力を入れている。

まちづくりには、人が関わり,その時その時の環境に応じて,街を変えて行くど努力が必要だ。言葉は悪いが,利用するものは、利用する。近年であっても敬うものは敬う。70年代の中ごろ、リバプール市議会は、リバプールの街の中心部にビートルズの銅像を建てることを決議した。そこから、まちづくりの方向が定まった。ビートルズゆかりの「キャンヴァーン・クラブ」をはじめ、観光地を整備した。

専門的に捉えると土地利用規制や物的環境整備に終始した英国の都市計画は、都市内部の衰退を招いた。その打開策として、地域の住民や専門家がまちづくり事業体(社会的企業)をつくり、企業・自治体と協力して収益事業と社会サービスの提供を行う「ガバナンス型まちづくり」が注目されている。そのひとつの代表例がリバプールだ。

敦賀市は、戦争により全国有数の港町の地位を失ってから、北海道貿易や火力発電の石炭などなんとか取扱量で全国四十数位を維持しているものの、港湾だけではなく、東洋紡を中心とする産業、原子力発電所、そして、最近は大学,研究所と言った総合的なまちづくりが行われるようになった。どことなく、リバプールのまちづくりと似てはいないか。

ただ,気になるのは、企業、市民、自治体にまちづくりの一体感が感じられないことだ。他力本願的な要素が強く、それぞれがバラバラに動き、足し算ではいいのだが、かけ算的な発展性が感じられないのだ。

話をがらりと変えるが、BS-フジテレビで酒場放浪記に敦賀が登場した。敦賀酒造と駅前の「まごころ」が登場。2時間番組でテーマは芭蕉の「奥の細道」と居酒屋を結びつけたもの。確か25日の放映だったか。全国放送だ。

敦賀で食材が取り上げられることは、魚以外、皆無に近い。テレビをみながら、敦賀には、芭蕉や酒、居酒屋など、人を呼び込む素材がまだまだ隠されいるのではないか。古いものを大事しなかった敦賀、見直す時期でもある。

大和田荘七翁に関わる出来事が再来年、2012年には重なる。長浜ー敦賀間鉄道130周年。ウラジオストックー敦賀間定期航路開設110周年。欧亜国際列車開設100周年。戦前の繁栄を顧みることも大事だが、これからいかにまちづくりを行うか、リバプールは参考になる。

話を戻すが、今年はビートルズ解散から40年。ビートルズが解散直前の1969年に発表したアルバム「アビイ・ロード」は、ロック史上不朽の名作。ジャケットのメンバー4人が一列に並び横断歩道を渡る。英国政府は、ロンドンにあるこの「世界一有名な横断歩道」を歴史遺産に指定すると発表した。その理屈が、「文化的、歴史的重要性を考慮した」と説明したという。建物以外の指定は異例だ。

大和田荘七翁の名は、北海道にある。JR大和田駅。敦賀には、大和田銀行の建物は残るが、名前は「敦賀市立博物館」だ。私には、なにかを象徴しているようで、これからのまちづくりの基本を英国に感じる。
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【2010/12/31】 | ページトップ↑
そば談義からうどん談義へ………ついつい長くなる・・。
Date:2010-12-30(Thr)

師走も大詰め。大みそかといえば年越しそば。敦賀でもそば打ち教室が各公民館で行われるようになつた。町内でも和気あいあいと教室が開かれ,ついた後のビールも酒も、そばと合う。趣味で器材一式約10万円でそろえる方いる。若狭町十村まで毎月、出かけるとか。

一方,私の故郷の四国には、讃岐うどんの器材というものが、ものごころついた頃から家にあり、うって作るのが日常化していた。別に趣味とかそんなことでなく、生活の一部であったような気がする.それも少なくなったのか,最近は、うどん屋が増えた。その数もコンビニよりも多いとか。

恒例でもないが、敦賀を離れる。家族4人、普段は携帯家族だが、年に一回年末年始家族となる。昨年は、車での移動を試みたがあまりにもひどいラッシュにギブアップ。今年は夜行バスと列車、レンタカーでの移動。それでも予約で満杯。

しらさぎ、雷鳥は満杯状態が続いていた。JRによると、帰省ラッシュは30日がピークでさらに混雑が激しくなる見通しとか。

そば談義に戻すが、年末は、いかにおいしいそばを打つか、腕の見せどころである。年越しそばは、細く長く付き合うとの縁起を担いで名が付いたというのが通説だが、調べると,面白い。そのひとつが、長く伸びることから延命長寿を願い食べられたとの説。また切れやすいことから、苦労や借金まで切り捨てようとの願いもあったという。そばの実は邪気を払う力があるとされた三角形をしており、大みそかに無事息災を感謝したとの説もある。

一方、うどんは、生活の一部で、年中行事や冠婚葬祭でも、うどんを食べ、ご馳走でもあるが、ほぼ日常化している。讃岐人のうどん好きは半端ではない。朝昼、うどんも珍しくない。かく言う私も朝食はうどん。「うどんが打てぬようでは嫁にも行けない」とう慣習的なことがあったように思う。敦賀市に突如として登場した二つのうどん製麺の形態、商業手法は、商業ベースで確立された手法。昭和30年頃からと記憶している。

特に、全国展開できるようになったのは、機械打ちができるようになったからでもある。ただ、いつ行っても同じ歯ごたえと味ではない。正確にいうと時間によっても変わる。もっといえば、「讃岐うどん」の言葉も昭和30年ころからと記憶する。

家で教えられたのは、食べる時間を考えて打つことが基本。なかでも、食塩水の量。加える水の量を増やすことによってグルテンの均一性を増す事ができるが、多すぎると生地の粘弾性が増して硬くなる。また食塩を加えることで生地の伸びがよくなるが、多すぎると逆に低下する。このため食塩水の量と濃度を調節することが重要であり、古くから「土三寒六常五杯」(土用など夏期は1杯の塩に対して水を3杯加え、寒中の冬期は水を6杯にする)いう言葉が目安にされ、「どかんかんろく」「どかんとかんろく」と子どものころ、何の意味も考えずに言葉を記憶していた。

こだわるわけではないが、家で打つうどんは、季節で塩と水の量を加減し、打ち方も変えた。この微妙な変化で、家ごとにも変わった。一律的な商業主義は、最近のうどんブームでつくられたもの。もっといえば、讃岐うどんは、つゆにもあり、地元のイリコに北海道産のコンブに母は、こだわった。最近は、どうも調味料が使われているのか、家でつくられる「つゆ」とは違う。

うどん談義はついつい長くなる。うどんブームも私が知るだけで、大阪万博以降4回あったと記憶する。最近のブームも去ったが、いずれもうどん戦略あってのこと。このことについては、また述べたい。昭和30年ころ、私の父も香川県の奨励で、出張の折、お土産で、うどん屋で早朝、届けてもらい、それを持って東京に出かけていた。

そばには、そば談義がある。歴史もあるが、全国的に有名になった「讃岐うどん」の欠点は,商業主義的なところで作られ,一律的になり、昔の良さが失われているのではとも思ってしまう。極端にいえば、「讃岐うどん」という言葉は、ブームの中でつくられ、原材料の小麦粉も大半がオーストラリア産。ただし、これは讃岐うどん専門に作れた麦が輸入されている。

そうはいっても、敦賀に突如として出現した全国チェーン展開の店、私にはうれしい存在だが、不満なのは、香川では朝5時から店があいているのにと・・・。うどん談義は終わらない・・・。



【2010/12/30】 | ページトップ↑
1・28有効求人倍率とその裏
Date:2010-12-29(Wed)

昨日は、議会基本条例の素案を話し合った。来年6日の議会運営委員会にかける素案。 分権改革によって、自治体の権限が拡大したことに伴い、議会の役割も大きくなった。これに対応して、議会改革を積極的に進める議会がでてきており、そのような議会改革を継続し発展させることなどを目的として、議会基本条例を制定する自治体が出現している。栗山町議会基本条例(2006年制定)がその第1号であるが、それに続いていくつかの自治体でも議会基本条例が制定されている。敦賀市議会も任期残すところ4ヶ月を切り.どこまでできるかわからにが、次期へのステップアップを目指して取り組む。

ところで、クリスマスの飾り付けであふれていた各商店街は、一転して装いを変えた。今年もあと三日を残すばかり。日一日、ここそこで新年を迎える準備が進む。

元日という節目に、新しい年がいい年であるように気比神宮への初詣。。気持ちをリセットし、明日に希望をつなぐ処世術ともいえる。その知恵は時代を超え、平成の世に受け継がれている。そもそも元日は先祖の霊を迎えて供養する日とされていた。調べると,米の収穫に感謝する日でもあった。前者の意味合いは、仏教の影響でお盆に重きが置かれるようになってから急速に薄れた。以来、元日は後者の色彩が濃くなる。と教えられた。

また、正月飾りに不可欠の松は歳神が宿る木。竹も松と同様、冬の寒さに耐えて緑を保つめでたい植物とされる。飾る場合には日を選ぶ。二十九日は「二重苦」につながり、三十一日は「一日飾り」といって避ける。

稲の収穫と自然は密接だったことが理解できる。労働も同じだ。現代に戻って、福井労働局が昨日発表した11月の福井県内雇用失業情勢によると、有効求人倍率(季節調整値)は前月を0・04ポイント上回る0・94倍となり7カ月連続の改善となった。全国平均は0・57倍で、都道府県別では本県が5カ月連続。敦賀はさらに高くて1・28。建設業,医療が高い。原子力発電所ばかりでなく、雇用が各方面で生まれている。都会からフリーターとして戻る若者も多い。恵まれた地域とはいえ、まだまだ非正規雇用の多さが目立つ。

昨日は、官公庁などの仕事納め。今年も、いよいよ押し詰まってきた。落語で年の瀬を舞台にしたはなしは多い。人情もの,夫婦ものなど、ほのぼのとした夫婦愛を通して「真の幸せ」とは何かを問いかける。年が暮れ、新たな年を迎える場面設定が効果的だ政府は、経済指標だけでは把握できない国民の「幸福度」を測る新指標づくりに取り組んでいる。有効求人倍率は,雇用の尺度だが、あきらかに敦賀の優位性が表現されている。

価値観は個々人で異なる。多角的な尺度への見直しは必要だが、難しいそれ以上に重要なのは、国民の願いを政治がどう正しく受け止め、生かせるかだ。数値の裏にある背景をや雇用環境は大事にしたい。

甘い政策をばらまき、言動が揺らぎ、勢力争いに奔走しているようでは心もとない。落語が時を超えて人々に愛されるのは、庶民の喜怒哀楽や人情の機微を見事にとらえているからだろう。私も含めだが、政治家も、この年末・年始、国民を幸福にする「真の政治」とは何かを見直したい、年の瀬だ。
【2010/12/29】 | ページトップ↑
新幹線問題の影響
Date:2010-12-28(Tue)

馬淵国土交通相は、昨日、政務三役による整備新幹線問題検討会議を開き、来年度政府予算案に盛り込んだ新幹線予算の配分と金沢―敦賀間など未着工区間との考えを明確にした。「まず既着工区間を早く整備し、その後に未着工区間というのが普通」と。

2014年度末開業を目指す北陸の長野―金沢を軸にした既着工区間に優先して充てる。具体的には、来年度の整備新幹線予算2950億円(国費708億円)で、保留予算を除く内訳は北陸が最も多く本年度比80億円増の1780億円。このほか北海道(新青森―新函館)880億円、東北(八戸―新青森)40億円、九州・鹿児島ルート(博多―新八代)60億円、同長崎ルート(武雄温泉―諫早)100億円。といずれも、北海道と長崎県には絡んでいる。福井県は何の絡みもない違いがある。

わずかといえ、新規着工が決まった場合に使える留保予算は本年度と同額の90億円を確保。とあるが、実際は今年度と同様、使われる見込みはない。

既着工区間と未着工区間と明確にし、格差をつけた形ではないか。昨年度よりも後退した結果でもある。

私は、ずいぶんと前だが、山陽新幹線で岡山が終着駅となった時代をみてきた。高度成長下だったからかもしれないが、そのめざましい発展は目を見張った。それまで中国地方の中心地は広島、それを追いつくかのように勢いだった。

敦賀でもそれほどでもないが、福井市の若者は、金沢に出かけることが多い。私も金沢に父の墓があるため、年に何度か訪れるが、福井市と金沢市の格差が目立ってきた。データ上も人口、高齢化率、路線価など、10年、20年単位でプロットするとその格差が目立つ。この違いは「空港」と魅力と金沢の友人ははっきりと答えた。

その上、新幹線が金沢までとなれば、なおさらだ。また、福井という地名の認知度も低い。人口減少社会での福井がどうなるのか、国の社会保障・人口問題研究所の予想もシビアだ。県庁所在地で近隣の大津市、岐阜市と比べても落ち込みが厳しい。

福井市と敦賀市は違うとある人は言うが、路線価など基礎データは、意外に福井市と連動している。

福井県民の世論調査は数字はしらないが、多くは「新幹線はいらない」と答える。米原に近い敦賀市民は「いらない」との答えがさらに多いことは確かだ。

身の丈にあったまちづくりを語る方も多い。けっして間違えではないだろう。だが、長年、金沢と福井をみてきて、駅周辺や商店街、片町や香林坊の違いなど、目に見える格差が気になってしかたがない。それが介護、医療まで影響している。医師の数も、金沢大が関係もあろうが自然と集まり、それも優れた医師も多く、敦賀から福井を飛び越えて、金沢に出かける方もいる。

それが、今後、新幹線問題とどう関係するか、あまりにも時間が長いので、わからないが、新幹線の金沢止まりは、もっと格差を加速するような気がしてならない。敦賀への影響は、どうか、定かではないが、同じ福井県である以上、これからも福井市に引きずられる敦賀と言うことを考えておくことは大事だ。医療、年金、介護といった社会保障まで。

【2010/12/28】 | ページトップ↑
強者は強者なりに、弱者は弱者なりに・・・。
Date:2010-12-27(Mon)

やんわりと日ざし、寒波のなかの晴れ間はいい。それでも寒さはこたえる。20キロほどだが、自転車を走らせると、温まるどころから芯から体が冷える。朝は養護老人ホームでの相談。終るとすぐに家でくるまってテレビ。

師走の京都を高校生ランナーが駆け抜ける全国高校駅伝。福井勢の男子は美方高校が42位、女子は鯖江高校が35位。まずまずか。昼の有馬記念、2番人気が制した。見事に外した。

夜は、「坂の上の雲」。日本が明治期、元気な頃の世相がよくわかる。明治30年生まれの父は、明治38年に金沢で日露戦争の勝利に市内を延々と続くちょうちん行列と人々の喚起をよく話していた。

船と戦は、不謹慎か、どういうわけか、自然と血沸き肉躍る、そんな高揚感に包まれる。カッターや船が出るとつい昔を思い出している。亀田のボクシングにも、つい声が出る。レベルは違うが殴りあう感覚と苦しさが不思議と蘇る。日本初の世界3階級制覇達成、これも見事だ。なんだかんだと言ってボクシングは結果がすべてだ。
 
亀田ではないが、強硬な中国の対応が理解できない。日本だけではなく韓国にも同じ対応だ。黄海で不法操業取り締まり中の韓国海洋警察庁の警備船に中国漁船が突っ込み転覆した事件で韓国当局は25日、乗組員3人を起訴せず中国側に引き渡した。中国は先に韓国に賠償も要求した。尖閣諸島付近で起きた漁船衝突事件の場合とよく似ている。自国の権益確保のため主張を押し通す中国の強硬姿勢だ。

先の北朝鮮のヨンピョンド砲撃事件でも北朝鮮寄りだ。非が明らかなのに目をつぶるような姿勢には違和感を覚える。中国は民主活動家の劉暁波氏のノーベル平和賞授賞式をめぐって対応も異常だった。

今年、国内総生産(GDP)で日本を追い越し世界2位となるのは確実だ。経済面でも軍事面でも存在感を増している。影響力を増せば増すほど、その行動は理性的で抑制的でなければならない。

強くなれば強くなったなりの真摯な対応が重要だ。テレビで、兄の好古が上に立つ者の姿勢を語っていたのも印象的だった。広瀬に対するロシア側の配慮もいい。日本は、日露戦争後、ロシア捕虜の扱いに国際法にそって、親切に真摯に対応した。四国の松山には、ロシア人の写真と対応ぶり伝わっている。

強者は強者なりに、弱者は弱者になりの行動がある。現実に戻すが、弱くなりつつ日本。あと4日。2010年のカウントダウンが始まった。クリスマスのにぎわいが終わると、気ぜわしいまま大みそか、厳かに新年を迎える。

景気悪化による就職難。敦賀でも親元に帰り、若い大卒のフリーターが増えている。学校を卒業しても希望や夢がかなわないのはやるせない。貿易量も伸びたとはいえ、その位置づけは、戦前の敦賀港とは程遠い。港湾部門でも日本全体が沈んでいる。交通事故死者数は減少傾向を維持しているが、高齢者の犠牲割合が依然高いのが懸念される。仕事納めを2日後に控え、市役所では、今年の十代ニュースが公表される。過去を振り返るのもいいが、新年の目標に活かしたい。
【2010/12/27】 | ページトップ↑
めでたさは中くらい
Date:2010-12-26(Sun)

寒波到来。冬至が過ぎ、朝晩の寒さが一段と身に染みるようになった。布団から出るのに最も必要なのは「気合」。寒くなるほど、気合が必要だ。久しぶりのー寒波はこたえる。高速道路を嶺北へ。敦賀より雪は深い。雪景色の美しさと、道路の危なさを感じた運転だった。本格的冬到来。

ところで、昨年の夏の政権交代はなんであったのだろか。政策の継続性などから、2010年度予算案づくりが前政権との継ぎはぎになったのは、やむを得ない部分もある。だが11年度予算案では逃げ口上は許されない。地方でも予算と人事をみれば首長のしたいことが理解できると教わった。

「国の総予算を全面的に組み替える」と民主党は大見えを切って登壇した。そんな大胆な予算なら「国民生活が第一」もできるかもと有権者は期待した。民主党員ながらがっかりした。閣議決定された11年度の一般会計予算案をみると、政権交代は何だったのかと感じる。「いままでは仮免許」と菅首相が語ったのは、予算編成が最も熱を帯びるこの師走である。政権交代で国民が期待した予算とは違う。

ところで、昨日、西川知事は、県議会の自民党会派と会合を持ち、新感線問題で、今回の事態を受けて高速増殖炉「もんじゅ」の安全確保をめぐって国に厳しい対応を取るとする姿勢を改めて示したのに対して、議員からは、「原子力政策への貢献を考えると国にはもっと強い態度で臨むべきだ」という意見が出たとか。

ここまでくると、私には駄々っこのようにうつる。とはいうものの、国の予算の苦しさもわかるが、説明不足も多いのではないか。

政権に戻すと、「これからはもっと自分の色を」と続けても、どのみち初心者マークの危うさが目立つ。一般会計の当初総額は過去最大の92兆4千億円だ。税収が41兆円なのに国債発行は44兆円、2年連続で借金が税収を上回る。6月の改正貸金業法施行で消費者金融などからは、年収の3分の1しか借りられなくなった。なぜ、国だけ税収より多く借金できるのか。疑問だらけだ。地方では、許されない。また、家計でもそれをしたらどうなるのか、破算の道へまっしぐらだ。これがまっとうな庶民感覚だ。

その借金残高も900兆円を超え、国民1人710万円だ。返済計画が分からないから、不安ばかり膨らむ。ここまで悪くしたのは、自民、民主の政権だが、それを託す国民にもあるよな気がする。どうなるのか、思いきった改革を国民は期待したはずだ。なにごとも中途半端でしかたがない。

年末年始は、大きな区切りだ。来年には期待したいが・・・・。
小林一茶の句「めでたさも中くらいなりおらが春」というのがある。正月でめでたいことだが、私の周りには色々なことがあって、私の気持ちはそれほどめでたいという気持ちにならない。どちらかというと中ぐらいというところかという意味の句だとか。とにもかくにも後5日…。
【2010/12/26】 | ページトップ↑
小布施まちづくりの奇跡
Date:2010-12-25(Sat)

「ゲゲゲの鬼太郎」の境港市のまちづくりを参考に、敦賀市もまねて、ヤマトやスリーナインの像になったが、・・・。JR直流化から4年、中高年の観光客も増えたが、リピーターにはならなった。

参考にと「小布施まちづくりの奇跡」(川向正人著、新潮新書)を読む。敦賀市の六分の一、小さな街、長野県小布施町の人口は、1万1千人ほど。総面積も敦賀市の7分の一、19.07平方キロほど。長野県の市町村でもっとも小さい町。

毎年120万人の観光客が訪れる。敦賀市の200万人比べればと思うが、交通の結節点・敦賀を考えれば、あまりにも多い。この小さなまちの何に、人々は惹きつけられるのか。私も数回、訪れているが、なぜか、飽きない街だ。

本を読むと、「修景」というまちづくりの手法が意外に新鮮だ。伝統的な町並みに固執しすぎない。まちの歴史をまったく無視した再開発でもない。いまあるもの、そこに暮らす人々の思いを大切にしながら、少しずつ景観を修復して、まちをつくってゆく。

葛飾北斎が晩年を過ごした街でもある。伝統的な町並み保存と異なり、少しずつ景観を修復してまちをつくっていく修景事業が始まってからでは20年。

江戸時代後期、既に80歳を超えていた葛飾北斎がこの町に足繁く通い、パトロン的存在だった当地の豪商・高井鴻山の元に起居しながら多くの作品を残したことは有名だ。小布施に観光客が来るきっかけとなったのは、1976年開館の北斎館である。当時、田んぼの中の美術館とマスコミに大きく取り上げられた。その後、建築家の宮本忠長氏がアドバイザーとなり、街ぐるみで取り組んだ「修景」事業がさらに観光客を呼んだ。この事業は、市村次夫氏らを中心に行われた。

市村氏は、高井鴻山の末裔で、地酒の老舗「桝一市村酒造場」と栗菓子匠「小布施堂」の社長でもある。地酒とスイーツ、口コミがテレビとなり、観光客が倍増した。民間人が地道にもうけながら、まちづくりに参加していることも大きい。

行政も高速道路を利用した。スマートインターの採用だ。観光バスも多いが、マイカーで来る少数のグループ客が特に増えている。2006年に、ETC搭載車に限り通行が可能で、パーキングエリアやサービスエリアの敷地内に設置される1台分程度のインターチェンジ「スマートIC」が小布施PAに設置され、街の中心部に高速道路からアクセスが便利になった。まさに、舞鶴若狭自動車道の粟野の南部インター(仮称)、このことを考えるとぜひ実現したい事業だ。

スマートICが設置されてから、PA自体も地場の農作物を中心に出店で賑わうようになった。観光バスからマイカーへ、小布施の観光客にはリピーターが多いのも特徴だ。夏に来た人がまた別の季節に訪れたり、友人を連れて出かけ直したりする人もいる。魚まちでは、意外にリピーターが多い。観光バスからマイカーへ。京都、大阪にない海産物を集中的な扱う市場、ここにもヒントがありそうだ。

歴史、地酒、スイーツ、それに交通アクセス。地道なまちづくり、民間と行政の協力。境港、小布施、それぜれに、違った魅力がある。それはそれだが、時間をかけ、じっくりと魅力を生み出す「修景」という手法謙虚に学びたい。まだまだ、敦賀はこれからの街だと思っている。
【2010/12/25】 | ページトップ↑
新しい公共
Date:2010-12-24(Fri)

雪おこしが盛んに鳴り響く。冬型の気圧配置が強まり、気象台は「高波と強風及び雪に関する気象情報」を出して、本格的な雪シーズンの到来か。

今日は、クリスマスイブ。イブはイブニングの略。駅前も、イルミネーションが点滅し、商店街には音楽が流れ、それなりに華やいだ雰囲気を醸し出している。対照的なのは、駅前、本町、神楽、相生の各商店街の人通りの少なさ。

それでも18日と、昨日23日は、地域によっては子ども会のクリスマス会。各地区ごとに頑張っている。私も労働組合の一足早い、もちつき大会に参加。子どもの賑わいが何よりも元気づけられる。

まちづくりや福祉の分野に市民参加を促すのが「新しい公共」の考え方だ。一人一人に出番や居場所があり、世のためにも役立つ。そんな社会の決め手は団塊の世代だ。少ないが、都会からのりターン組も増え始めた。職場から地域に戻り始めた。

軸になる人材がおいそれと見つかるとは限るまい。人手のおぼつかない中山間地域であればなおさらだ。それでも、団塊の世代がエンジン役となることで、さまざまな協働の取り組みが芽生えていることは救いだ。

地区の人口は、小さな敦賀市でも愛発、東郷、東浦、西浦など周辺部の各集落において、高齢化率がいずれ50%を超える(一部にはすでに超えているが)。愛発では小中学校がなくなり、子どもの声が少なくなった。

このままではいずれ、地域の絆が途切れる。コミュニティバスの重要性はいうまでもない。また、スクールバスも抜本的に見直すことも必要かもしれない。

何よりも、中心となるのは、公民館だ。例えば、東浦公民館では18日クリスマス会、23日の門松、しめ縄づくり講習会など、身近なところで頑張っている。

住民が互いを認め、出番をつくり合う「新しい公共」が求められる。一人暮らしの高齢者の家や、空き家も増えてきた。雪下ろしに、休耕田の草刈りや墓守、雨漏りといった困り事を住民同士の余力で片付ける相互扶助サービスもこれまで以上に必要になってきた。行政として、公民館は地域とのつなぎ役だが、どう対応するか、その決め手がない。パワーや人脈に富む団塊の世代を、資源としてどう生かしていくか。地域の行く末もそこにかかっている。書きながら手が止まる。

いずれにしても、師走の風物詩、忘年会も最終版。平和堂、各量販店、スーパーと、たくましい歳末商戦も活発だ。子どもへのクリスマスプレゼント、デコレーションケーキ、ミニコンサートなど、夢の演出にはさまざまな工夫が凝らされる。明るく元気に歳末を乗り切るためには、華やいだ雰囲気で気分一新することが必要ということだろう。

それにしても、何度も雷がなる。少しでも長く寝ていたい。そんな気持ちだ。

「無精さや蒲団の中で足袋をぬぐ」(正岡子規)。布団のぬくもりが、いい季節だ。
【2010/12/24】 | ページトップ↑
成功とは、失敗に失敗を重ねても、情熱を失わない能力のことだ
Date:2010-12-23(Thr)

難しい時代、どう切り開くか、過去の先人の教訓は大きい。敦賀で言えば大和田荘七の奮闘は、明治以降の敦賀港発展の歴史でもある。その一つひとつにヒントがあるようにも思う。

世界に目を向けると、困難な時、どう危機を切り抜けるか。名言集はありがたい。「ウインストン・チャーチル」の言葉は、いま必要な言葉ではないか。

チャーチルの最大の功績は、ナチス・ドイツ軍に追いつめられた英国を勝利にまで導いた救世主としての手腕に尽きる。数々の名演説や明言には、逆境に立ち向かう指導者の不退転の決意が込められた。なかでもいまの菅政権に聞かせたいのが、

「成功とは、失敗に失敗を重ねても、情熱を失わない能力のことだ。」と。

もうひとつは、これがうってつけかもしれない。

チャーチルは「もし、われわれが昨日のことでいささかでも分裂することがあるなら、われわれは明日敗れるだろう」と、団結も訴えた。

ところで、昨日、県内初のプルサーマルが静かな始動となった。一時期、プルサーマルといえば、新聞やテレビを賑わしたものだ。十数年前、県議会でも相当の議論が交わされた。プルサーマルとは、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを一般の原子力発電所で燃やすもの。

昨日、原子炉を起動し、23日未明、連続して核分裂が起きる「臨界」の状態になったか。福井県でのプルサーマルが事実上、スタート。順調にいけば、25日に発電を始め、営業運転の開始は来年1月下旬になる見通し。
本来であれば、平成11年に国内で初めてプルサーマルを実施する計画だったが、英国製の核燃料の検査記録ねつ造が発覚したことをきっかけに、11年の遅れ。もんじゅの事故後14年も長過ぎたが、11年も長かった。

結果として、国内で初めてプルサーマルを実施したのは、九州電力・玄海3号機が先陣を切った。安全性は第一が何よりも原則だ。ただ、プルサーマルは、現在、運転中の軽水炉でも、ウラン239からプルトニウムが生まれ、運転中に燃やされる。ただ、わかりやすい説明と時間は必要なことは、11年の時間が教えているように感じる。ここでもチャーチルの言葉が生きる。

昨日の、新幹線「先送り」に知事は厳しい発言をしていた。ここはじっくりと構えていくことが肝要ではないか。「もんじゅカード」とか、「離党カード」とか、私は駆け引きにも限界があると思っている。

また、民主党が政権公約に掲げた、子ども手当もそうだが、後期高齢者医療制度の廃止と新制度への移行スケジュールが怪しくなってきた。厚生労働省は来年の通常国会に新制度の関連法案を提出、2013年3月からの移行を目指していたが、ここへ来て民主党が「待った」をかけた。

いくら、統一地方選挙があるからと、理由にはならないのではないか。新制度は、75歳以上の低所得者を対象に実施されている保険料軽減策の縮小や70~74歳の窓口負担の引き上げなど、高齢者に広く負担を求める内容。確かに受けがいい話ではない。

野党の反対で、提出しても成立が見込めないことは確かだが、同じような事態は、12年度施行予定の介護保険制度改正でも起きている。高所得者の利用料引き上げやケアプラン作成の有料化などを盛り込む改正案も暗礁だ。

高齢化が急速に進む中、医療や介護などの制度をやりくりだけで維持していくのは限界だ。高齢者の負担増を避けるとするなら、現役世代の支援、子ども手当も限界だ。税負担の在り方論議など、これも先送り感が強い。昨日、野田大臣は消費税論議の必要性を語ったが、すべてが先送りでは信頼は得られないのではないか。

90歳を迎えたチャーチルは「もうすっかり、いやになったよ」だったが、ドイツとの交戦で極めて苦しいとき、こんな言葉も残している。

「絶対に屈服してはならない。絶対に、絶対に、絶対に、絶対に。」

最後にひとつ、チャーチルの言葉はいい。「未来のことはわからない。しかし、我々が生きてきた過去が未来を照らしてくれるはずだ」・・・。

【2010/12/23】 | ページトップ↑
読み、書き、そろばんの大切さ
Date:2010-12-22(Wed)

今日は、「冬至」。子どもの頃、冬至カボチャとユズ湯と母親が何度か続けてくれた。季節の大きな節目でもある。この日を境に一年で一番夜が長い日からだんだん短くなると、考えるとなぜか希望がわいてくる。寒さに向かうとは違った実感だ。

ただ、この実感も「日の入り」はすでに少しずつ遅くなり、日の出もまだしばらくは遅くなるため、分かりづらい。4年に一回、正月過ぎ、夜6時頃から8時にかけて、歩き回ると実感できる。選挙モード感覚だ。

昨日の続きだが、磯田道史さんの『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)、磯田さんが入手した古文書、猪山家の詳細な入払帳(家計簿)を見つけた。幕末前後36年分が完全な形で残っていたのだから驚きだ。

それを読み解き、分析し、今の貨幣価値に換算しているところが出色だ。猪山家は借金返済のために家族全員の所持品を売り払うことになった。その売却リストと売却額が事細かく記されている。行灯(あんどん)、銀7匁(もんめ)(今の値段なら2万8千円)と、日々の生活感が漂ってくる。何よりいいのは計算書が細かく正確なことだ。家族に宣言し、破産寸前の家計を「そろばん」で防いだ。

昨日は、馬淵国土交通相の記者会見で、北陸新幹線の金沢―敦賀など整備新幹線の未着工3区間の建設について、またまたの先送り。理由は、財源確保など着工のための5条件のクリアできていないこと。これまでも何度も言われたことだ。菅政権になって、なんとなく予想されていたとはいえ、現実になると、・・・。昨年の先送り、夏の先送り、今回の先送り・・、それも国の「そろばん勘定」と、市民は冷ややかだ。

「武士の家計簿」に話を戻すと、加賀藩といえば百万石の名が付くように大藩。その加賀藩前田家でも幕末のこの時期、財政は火の車。「御算用者」と呼ばれる経理係が150人もいたとか。藩の財政をチェックする役目だ。藩の財政が苦しければ、武家の生活も例外ではない。立て直すにはそろばん勘定が大事だということに変わりがない。時代が変わろうと、読み、書き、そろばんの大切さは変わらない。

ところで、昨日は、日本原子力発電が2012年度の開設を目指す敦賀地区新安全研修施設の安全祈願祭。沓見のグランドに久しぶりに上った。ここからの野坂山の眺めはいい。施設はプラントの仕組みを立体的に学べるシミュレーター室や運転訓練施設、宿泊施設などを備えたもの。

研修施設の整備は県のエネルギー研究開発拠点化計画の一環。原子力工学や放射線管理などを学ぶ授業と、プラントシミュレーターなどの最新機器で運転やメンテナンス方法を学ぶことができる。高度な知識と実践的な技術が集中的に学べるもの。

原子力の安全にも、教育分野こと、時代が変わろうと、「読み書き、そろばん」の基礎が大事だということには変わりがない。今日の「冬至」からの日が長くなる、寒くなるが、少しでも明るくなる「希望の感覚」を持ちたいが・・・。
【2010/12/22】 | ページトップ↑
刀でなく、そろばんで、家族を守った侍
Date:2010-12-21(Tue)

映画の原作、磯田道史さんの『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)を読んでみると意外に面白い。地味な映画と思うが、意外に人気とか。原作も丹念に調べての本だけに現実味もある。国も地方自治体もわが家も借金体質だけになおさらだ。

主人公は、幕末の加賀藩の「御算用者」(ごさんようもの)、地方自治体の会計管理者にあたる。金沢は私の父の故郷でもあり、先祖は加賀藩だけに興味深く読んだ。主人公の猪山家、8代目・猪山直之のもと、膨大に膨れ上がった猪山家の借金返済に一家を挙げて奔走する姿と彼らの家族模様、そして藩内の政争や幕末維新の動乱に否応なく巻き込まれながらもそれを乗り越えてゆく直之と息子・成之や家族の姿を描いた作品である。

キャッチコピーは「刀でなく、そろばんで、家族を守った侍がいた」。実直な生き方を曲げない「そろばん侍」と評判で、膨らんだ一家の借金返済のため大なたを振るう。「苦労と思わず工夫と思えば」と支える妻ら家族の絆が描かれている。

つつましい暮らしの中にある幸せとそれを守ることの難しさ。映画はまだみていないが、「武士は食わねど高ようじ」を地でいくホームドラマとか、家計のやりくりに苦労している主婦層にも人気があるとか。

試算によると、猪山家の年収は現代の価値に換算して1230万円、借金は2504万円と収入の2倍。親類付き合いなど交際費が家計を圧迫。猪山家は家財道具や刀などを売り払い、身を削って家を守った。

現実の日本、来年度の予算編成が大詰めだ。24日にほぼ明らかになる。菅政権の家計簿では予算規模を92兆円台半ばとはじくが、収入は41兆円台しか見込めず、不足は新たに借金(国債)するしかない。

敦賀市の借金(市債残高)は平成21年度末で537億7千万円。内訳は、一般会計192億2千万円、特別会計 218億7千万円(内、下水道部門が187億7千万円)、病院、上水道の企業会計が126億7千万円。

今年度の一般会計、特別会計、企業会計を合わせて、約485億円。国の予算や各地方の予算と借金と比べればましと言えばましだが、これ以上はすべきではない、といったところだ。

昨日、来年4月に行われる敦賀市長選挙に、市議で前の議長の岡本正治氏が立候補表明。これで、現職の河瀬一治氏、敦賀短大・教授の多仁照廣氏、それに市議の渕上隆信氏の4人が立候補を表明したことになる。各氏の本格的なマニフェストはこれからだが、大きな柱のひとつが、財政の健全化だろう。

本来なら、この時期、国の予算が報道の主役だが、小沢問題に揺れる。「事業仕分け」で無駄を一掃し、財源を生み出すと大見えを切った民主党政権だが成果は見えない。新幹線予算もほぼ絶望的。いずれにしても、今の時代にこそ、実直な直之のような人材が必要なことは確かだ。
【2010/12/21】 | ページトップ↑
昭和10年ころの敦賀のコンパクトシィティ・・・。
Date:2010-12-20(Mon)

昨日は、朝の冷え込みはきつかったがこの時期にしては珍しい快晴、ポカポカ陽気。まさに自転車日和だが、体調不調で家でゆっくりと・・・。と思ったが、清明の朝市をのぞくやいなや、友人から誘われて近江今津へ。昼から戻って人道の港「ムゼウム」と。日曜の快晴は、重たい気持ちを和ませてくれる。ついつい動いてしまった。そんな感じだ。

清明の朝市は、10周年。盛り上がりもこれまでで最高ではないか。博物館通りの朝市は敦賀の朝市の始まったところでもある。気比太鼓、沖縄エイサ-と音響が一層。朝市を盛り上げた。関係者の当初のもくろみが花開いた結果だ。関係者の皆さんに敬意を表したい。なによりも民間の盛り上げは、敦賀では希少な取り組みだけにうれしい限りだ。

近江今津も晴天も晴天。暖かな日差しはありがたい。訪れた琵琶湖湖畔の浜通り。清明の朝市とは違った静けさ。それでも、新快速の関係か、神戸からのリックの中高年グループがのろのろ。新快速効果は、湖北にもあらわれている。地道な取り組みがなによりだ。

戻って、人道の港「ムゼウム」でボランティアガイド。三重県からの観光客、鉄道資料館と合わせて、昨年からカニ―ツアーと組み合わせて急増。ほどほどの地域性から、応募も多いとか。旅行社の企画で、ムゼウムや鉄道博物館も定着し始めている。

説明で最近は、時間があると、ウラジオストックに往時は、6千人の日本人がいたこと。敦賀港輸出の第一がある時期、みかんだったこと。また、ウラジオストックに青森の会社があり、敦賀にも出張所があった。敦賀市内でユダヤ人にリンゴを与えた少年のリンゴとウラジオストックと青森の関係などをつたえると、興味深く聞いてくれる。意外に、歴史に厚みがあり、そこに生活が加わると逆に興味深く聞き返してくれる。

昭和10年ごろの賑わう敦賀港駅周辺の配置図を眺めると、税関や鉄道駅、貨物駅、荷揚げ場、郵便局など人、ものが動く、賑わいがコンパクトにまとまっている。大和田倉庫もスタンダード石油倉庫も見られる。その周辺には、往時の商店街、遊郭、飲食店、飲み屋、敦賀座など、港街特有の街並みが、コンパクトにつまっている。昭和10年の図面は意外にコンパクトシティとは何かを教えているような気がする。

現在の敦賀市中心市街地活性化計画の範囲は広い。駅前から朝市の博物館通り、ムゼウムの金ヶ崎と囲むのは簡単だが、広く、計画はまだまだ途上。博物館通りも道路の石畳化の整備、電線の地中化と整備が計画されている。私はこの歩みでいいと思っている。どう活性化するかは、行政は行政の範囲でゆっくりとした後押しでよいのではないか。

先週、縄間の検疫所もその姿を消した。とはいえ、貨物の敦賀港駅、ランプ小屋、赤レンガ倉庫と往事の歴史が残る地区をどうまとめるか、大和田銀行、敦賀酒造、魚市場と、これもどうまとめるか、中心市街地の認定の期間は、後4年だが、ポイントを決めてゆっくりと歩んでもよいと思っている。

観光ほど、時期やタイミングなど難しい客商売だけに、あせらず、どう仕掛けてゆくか、これまでの場当たり的な発想では、持続もできなし、JR直流化での効果もまだまだ、これからと気長に行くことが肝要ではないか。

ところで、近江今津で、滋賀県のノロウイルスの流行が伝えられた。大津市内の保育園で集団感染が一昨日あったとか。ことしはノロウイルスなどによる感染性胃腸炎が全国的な流行となる兆しを見せていて、今津でも、こまめに石けんで手を洗うことや食品を十分に加熱することなど予防の徹底を呼びかけていた。富山でも鳥インフルエンザが検出されたとか。

今日は、朝から市立敦賀病院に出かける。
【2010/12/20】 | ページトップ↑
来年はウサギ年・・・。
Date:2010-12-19(Sun)

一昨日、年賀状の印刷を依頼。来年はウサギ年。チラシをみると人形や置物、ふっくらかわいらしい雰囲気だ。月でもちつきをする動物だから、夢がある。とはいえ、ふと思い出したのが、私が高校生の頃か、70年代「ウサギ小屋に住む日本人」というか、「ウサギ小屋」は、1970年代終わりの流行語、いまでは死語かもしれないが、マンション、家屋も、70年代からそれほど広くなったとは思えない。

昨日は、午前中、民主党県連の常任幹事会、昼からは労働団体「ゆうあい倶楽部」で政治研修会、「もんじゅ」の視察と一日が過ぎた。

福井へは、8時13分発のJR普通列車で出かけた。休日だが、意外に乗客が多い。途中のJR武生駅。特急の待ち合わせでしばしの滞在。バリアフリー化の完成の、記念の式典が終了したばかりで、くす玉が割られ紙吹雪がホームに散らばり、歓迎の園児たちが余韻を楽しんでいた。駅のこ線橋にエレベーターが2か所、設置されていた。駅舎や新幹線問題で、JR敦賀駅のバリアフリー化は、先を越された。

常任幹事会は、大きな議題は統一地方選挙、来春行われる県議選をめぐり、民主党県連の候補者擁立が難航している。当初のもくろみは、議員を増やし、基盤強化を図る戦略だったが、菅政権への逆風から一変。先月の千葉県松戸市議選は民主党公認候補11人のうち当選が新人2人、先週の茨城県議選で民主党24人に対して現有6議席。地方選挙でも逆風が強い。福井でも現有議席が維持さえ、難しい情勢が続いている。

もうひとつの議論が、来年度予算。北陸新幹線の敦賀までの延伸問題。県議の民主党・一志会は17日の会合で、政府が約束した年末の結論に進展がない場合、「離党を含めた強い覚悟」で対処することを申し合わせ、20日に党本部、政府関係者に申し入れする。それでも難しい状況は変わらない。また、もんじゅカードもちらつかせるのはいただけない。

冒頭の話に「ウサギ小屋」に戻すが、北陸地方、富山、石川、福井は、家の広さは、全国でも有数。ただ、敦賀は世帯数が多いせいか、広い家はさほど見かけない。それでも、家というすみかの歴史は、家族の歴史。広くて大きな家は子どもが巣立てば、広すぎる家になる。

東浦、西浦、山、愛発、池の河内など郊外では、高齢者が手放した空き家が増えてきた。都会の「ウサギ小屋」と呼ばれてから、およそ40年。ついのすみかをどうするか。高齢化の勢いは強いが、対応策はカメの歩みのようになかなか進まない。先の見えない世相に気も重くなりがちだが、来年のウサギにあやかり、ささやかな夢でも持ち続けたい。
【2010/12/19】 | ページトップ↑
そろそろ選挙モードなってきた・・・・・
Date:2010-12-18(Sat)

全国学力テストでもだが、全国体力テストでも頂点に立った。まさに文武両道だ。敦賀っ子がどうかは不明だが、とにかく喜ばしいことだ。

とにもかくにも地道にやることが大事だ。私も運動、読書と地道に続けよう。結果は後からついてくる。歴史に「もし」は禁物という。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」。略して「もしドラ」。発行部数が200万部を突破した。村上春樹さんの「1Q84BOOK3」などを抑え、年間ベストセラーの1位である。読むと面白い。つい一気に読んでしまった。

ドラッカーは「経営学の父」と呼ばれる学者で、「マネジメント」は企業経営の理念をまとめた代表的な著作だ。管理職のお父さんが読むようなビジネス書の古典を、女子高校生がひもとけば…。そんな設定で物語が展開される。主人公のみなみ、弱小チームが甲子園を目指すにはどうすればいいのか。「組織の目標を明確に」「人は最大の資産」「成功には準備が必要」。本の言葉をヒントにして部の改革に乗り出す。青春ドラマと教養書を合体させた印象で、確かに読みやすい。

私もそうだが、みんなが分かりやすい道しるべを探し求める。それほど生きにくい時代。菅政権の政治も小沢問題で迷走を続けている。今日は、民主党の福井県連の幹事会。統一地方選を控えているだけにどうなることか。

本題に入ると、議会の12月定例会は、補正予算案や総合計画の基本構想など、すべての議案を可決し、閉会した。本会議ではまた、TPP(環太平洋パートナーシップ協定の交渉に参加しないよう政府に求める意見書や原子力発電所の国からの電源立地交付金について維持を求める意見書など、いずれも可決。

定例会最後に、河瀬市長は、「厳しい時代だが市民の審判を仰ぎたい」と述べた。敦賀市長選挙という言葉は出さなかったが、事実上の立候補宣言。「荒波を乗り切る自信があるので・・・・」とも語った。敦賀市長選挙には、敦賀市議会議員の渕上隆信氏と敦賀短期大学教授の多仁照廣氏が立候補を表明。あともう一人と続く。そろそろ選挙モードなってきた。
【2010/12/18】 | ページトップ↑
、「夢を持つ」「自ら学ぶ」「自ら行う」
Date:2010-12-17(Fri)

昨日は、衆議院第15控室へ。目的は、舞鶴若狭自動車道の粟野のスマートインターチェンジ設置の今年度の連結許可を求めて、河瀬市長と共に民主党の陳情要請対応本部の糸川正晃副幹事長(衆議)を訪れた。敦賀市として、来年2月、3月でも連結許可申請を行える準備をしている。
工事費は当然、本体工事と合わせて行うことで、安くなる。費用対効果いわゆるB/Cもなんとか確保できる。

もうひとつ、昨日の話題は、敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」。国は、運転を再開して出力を上げる次の試運転を来年度末までに行うとし、計画は予定より半年遅れることを明らかになった。落下した装置を引き抜くための大がかりな改修工事を来月から始めた上で、運転を再開して出力を40%まで高め発電する次の段階の試運転を来年度末までに行うとし、計画は予定より半年遅れるとのこと。資源のない日本にとって、独自の開発技術でもある。

研究開発の歴史は、苦難の連続が続く。もんじゅは、国が進める核燃料サイクル政策の柱、今回の計画の見直しで「もんじゅ」の本格運転も予定より遅れて、平成25年度にずれこむ見通しだが、じっくりと見守ることも必要ではないか。税金を使った技術開発は、ほんとに厳しいが、それだけの価値がある。

ところで、自転車技術が世界初のフライトにつながった日、今日17日は、ライト兄弟が12馬力のエンジンを搭載した飛行機(ライトフライヤー号)で初フライトに成功した日である。1903年のことだ。その日の4回目のフライトが59秒、256メートル。これが最長記録だった。それから5年後には2時間20分、125キロも飛ばすほどの飛躍的な技術革新があった。

調べると、兄弟の職業は自転車屋。苦労も相当だったようだが、自転車技術を駆使した。当時のアメリカ政府は、別に予算を含め設計、開発を行っていたばかりだ。政府のメンツはなくなった。当然、不思議にその業績をなかなか認めようとしなかった。

その後、ライトフライヤー号はその後、ロンドンの博物館に保管展示されていたが、それを知ったアメリカの国民世論は高ぶりをみせた。その迫力に圧倒された政府は、ワシントンで保管することを決め、兄弟に謝罪した。それまでに実に45年もの歳月が流れていた。成功の裏にはさまざまな歴史があるといわれるが、この話を知ると、成功した後も苦難の歴史があることが分かる。

もうひとつ、文化勲章を受章した建築家、安藤忠雄さん、建築家になる夢を抱き、独学で建築を極めた。普通ではあり得ない苦労と体験があった。自伝『建築家安藤忠雄』を読むと面白い。自分を磨く手段は建築にかかわる本を読むことと旅をすること。

世界の建築を巡る10カ月におよぶ放浪の旅に出たのは24歳の時。横浜港からナホトカまで船で行き、シベリア鉄道でヨーロッパの国々、アフリカやインドまで足を延ばした。安藤さん曰く「最も心が飢えていた時期に、建築と風土、人間を含めた“世界”を、自分の目で視て、体験出来た・・・」と。ところが、生い立ちは、大阪の下町に生まれ育ち、ガキ大将で成績は悪かった。高校時代にボクシングを始め、プロのライセンスを取ったが、自分と次元が違うファイティング原田のスパーリングを見て、ボクシングを断念した。

ライト兄弟も、安藤さんも自転車、ボクシングを通して何かを学び、「夢を持つ」「自ら学ぶ」「自ら行う」の姿勢を貫いている。生き方も意外とシンプルだ。昨夜、敦賀に戻って、18歳から58歳、職種もカメラマンからさまざまで、ある若者の送別会をおこなった。敦賀の未来を担う若者は、それぞれの道を歩んでいく。粟野のスマートインターも、もんじゅも50年後、どう敦賀に役立っているのか、想像はつかないが、敦賀なりの発展のサイクルもあるようだ。
【2010/12/17】 | ページトップ↑
心は錦、志は高く、そんな時代ではないか・・・。
Date:2010-12-16(Thr)

冬型の気圧配置と強い寒気の影響で、平野部でも雪となる。気温も上がっていない。本格的な雪のシーズンの到来。今年の雪はどうだろうか。

先週の11日、民主党の小沢一郎元代表が、越前市の講演で、「党が掲げる『コンクリートから人へ』は、インフラ整備を否定するものではない」と説明。「地域住民の切実な要望は痛いほど分かっている」と述べ、地方の衰退を食い止める政策の必要性を強調した。舞鶴若狭自動車道の開通は、JR直流化以上の変化を及ぼすことが考えられる。大事なことだ、どう都会と、地方をつなぐか、地方の雇用をどう維持するか。
低迷の最前線は地方でもある。

ところで、日本経済は「失われた20年」ともいわれるくらい低迷が続く。そんな現状を考えると、返す言葉に窮する部分があるのは確かだ。昨年9月には、自公政権に向けられていたが、いまは、民主党政権だ。現時点の評価を尋ねても、似たような答えが返ってくるのではないか。

敦賀市でいえば、もんじゅ建設が終って15年。公共工事は減少を続けている。本町をはじめ、飲み方が変わったとはいえ、店の減少は顕著だ。雇用、景気、給与いずれも低迷のままだ。

歌謡曲ではないが、『ぼろは着てても心は錦』という言葉がある。もっと格調高く言えば、「太った豚より痩せたソクラテス」。これは、東大の卒業式で大河内一男総長のことば。流行語にもなった。

大河内さんは、生活に困窮しても信念を貫いた方が人間らしい、60年代世相のようだ。日本の地位低下を招いた原因は「愚かさと質の悪い指導層、ビジョンの欠如」。自国の政府をこれほどまでにけなされたら、腹の一つも立ててみなければならない場面だが、謙虚に受け止めることも大事だろう。

「希望、失望、絶望、そして怒りへ」と自民党の石破茂政調会長が民主党への国民感情をこう表現した。政策も政局も行き詰まり感漂う民主党。期待した分、国民の落胆も大きいということだろう。「怒り」とは思うが、これも謙虚さが必要だろう。

政党支持率は正直だ。自民に逆転されるありさまだ。政策の迷走、党内の足並みの乱れが支持率低下を招いている。「脱小沢」と「親小沢」の対立、内部抗争や権力への執着は、自民党政権時代とさして変わらないと映る。政治はある意味では権力闘争だが、政策そっちのけのように映っている。政治へのあきらめは無関心を呼ぶが、無関心になるほど政治は危険な方向へと進む。やはり、あきらめずに政治を注意深く見るという姿勢が大事になる。話を戻すが、かつての日本、バブルのころに日本は帰ることはないだろう。

敦賀にとっても、もんじゅ景気の頃の本町の賑わい、いくら敦賀3,4号があっても、雇用や景気の質は異なる。どう次世代につなぐか、悪い悪いと無関心を装うよりも、60年代とも、バブル期とは違った「心は錦」、「志は高く」、そんな時代ではないか・・・。
【2010/12/16】 | ページトップ↑
男は、タフじゃなくては生きて行けない・・・・
Date:2010-12-15(Wed)

昨夜の「センカンドバージン」どのくらいの視聴率であったろうか。NHKのHPをのぞくと、作者の大石静さんが書いている。
『恋愛は人が生きる上での「糧」でもあり、「試練」でもあります。
 昨今は大人も子供も「試練」を嫌い、困難な恋には近づかなくなりました。
 しかし、しあわせや人生の手応えは、傷や痛みのない所には存在しません。
 年齢を越え、困難な状況を越えて求め合い、命さえもかける主人公達のスリリングでセクシーなラブストーリーが、皆さんの心の中の既成の価値観を、一瞬でも打ち破れたら…と念じます。』

考えさせられる言葉だ。なかでも、最終回は「誇り高き女たち」とあるように、最後は、女性のタフさが、一層印象づけられたドラマではなかったか。るいのイメージはあまりにも残る。

昔話で恐縮だが、昭和56年の敦賀発電所の事故で、当初、原電の存続さえ危ぶまれた時期があった。当時、東京電力社長の平岩外四さんが「原電の必要性」を語って流れが変わったと覚えている。

その後、会長、経団連会長と経済界のリーダーとして華麗なキャリアを持つ平岩外四さんだったが、自宅の書籍の数も半端でなく教養人でもあった。

平岩さんの好きな言葉に、出典は「プレイバック」だが、
 
 「男は、タフじゃなくては生きて行けない。
 やさしくなくては、生きている資格がない」
 
 もとの英語で示せば、
 
 "If I wasn't hard,I couldn't be alive.
  If I couldn't ever be gentle,I wouldn't deserve to alive."
 
セリフ上は「男は」ついていないが、引用するときに平岩さんは「男は・・・」と語ったようだ。私も遠くからしか、お会いしていないが、事に当たっては芯の固い、人当たりはソフトな、そんな印象の昭和の経営者だった。翻って平成の今、試練が絶えない日本経済はタフな経営者を多く生んだ。一方、やさしさを兼備したリーダーはどれくらいいるだろう。

ところで、良いにつけ悪しきつけ、政治の中心人物、小沢一郎・民主党元代表だが、地方で見せる顔、飲んで語る顔、やさしい顔は、語ることのできないギャップを感じるのである。そのギャップが魅力なのかもしれない。代表選を終えても地方をくまなく回っている。先日も福井の越前市に来たばかりだ。

政権交代後の政治状況を占う意味で大切な来春の統一地方選挙。その前哨戦として注目された茨城県議選(定数65)の結果、民主党の惨敗。推薦を含む24人を立て、現有の6議席しか取れなかった。昨日も現場で選挙運動をした仲間に聞くと厳しさが伝わってきた。民主党茨城県連の選挙後のコメント、「逆風というより北風。そこに氷雨まで降ってきた」と、言葉通りの厳しさだったようだ。

福井県も同様、自民党に比べて圧倒的に少ない民主党の県議数、敦賀市でも同様だ。中央、地方のねじれは政権政党に厳しい。茨城では北風と氷雨に見舞われて惨敗したが、年が明けて春までに寒さは緩むだろうか。春の雪に震えながらの選挙にならないとは言い切れないのだ。まさに、政治の一寸先は闇といえよう。今週末も来春の選挙をにらんで、県連幹事会が開かれる。

前置きが長過ぎた、昨日は、議会の予算決算常任員会、議会運営委員会と続いた。12月補正が賛成多数で採択され本会議に送られた。議会運営委員会では議会基本条例制定に向けての3月議会までのスケジュールが示され、任期も少なく、難しい時期だが、やるしかない、そんな心境だ。タフで、やさしくとも思うのだが、難しい時代だ。

【2010/12/15】 | ページトップ↑
一、二、三、四秒立った五、六、七、八秒立った昨日今日明日
Date:2010-12-14(Tue)

天気予報で雪マークが出てきた。今日14日は、赤穂浪士の討ち入りの日。最近は物騒な話より、小林一茶の句

「めでたさも中位なりおらが春」

が心に添う歳になった。田辺聖子の「ひねくれ一茶」が実に人間くさく描かれている。わずかな遺産相続でもめ、一生を貧乏の中で送る一茶。それでも江戸三大俳人の一人だ。

現代ではと、思うものほどでもないが、俵万智さんの「生まれてバンザイ」が実にユーモラスに描かれている。

「ぽんと腹をたたけばムニュと蹴(け)りかえすなーに思っているんだか、夏」
「バンザイの姿勢で眠りいる吾子(あこ)よそうだバンザイ生まれてバンザイ」

とほのぼの気分になる。わずか1300円ほどの本だ。

ところで、民主党も小沢問題でゆれているが、一方で子ども手当の財源もままならない。「子ども手当」、と名が付いていても、月1万3千円を実際に受け取るのは親だ。両親がおらず児童養護施設に暮らす子は対象外となる。敦賀でいえば、白梅学園が該当する。

それはまずい、と制度開始の直前に、国などの基金から同額の支給が決まった。これでめでたし、めでたし・・とはいかない。支給方法が変なのだ。第一に現金給付ではない。旅行や買い物に使った分を後日精算する。しかも、本年度中に使うこと、残った分は返還せよ、貯蓄はまかりならぬ−。国の通知である。単年度の特別事業で基金を財源にしているためという。

詳しく述べると、施設や里親家庭にいる子どものうち、保護者がいなかったり、ネグレクト(育児放棄)などで市町村から保護者へ手当が支給されていない場合は、本年度の手当分(中学卒業まで1人月1万3千円)を安心子ども基金から施設などに支給する。2011年度以降は新たな仕組みをつくって対応するとしている。

しかし、厚生労働省によると、基金は10年度の事業のため、貯金は認められていないほか、年度内に使い切れない場合は返納しなければならず、どうにも施設側は納得ができない。使用期限はあと3カ月半と迫っている。

つぎはぎで体裁は整えたものの、困難な状況にある子への目配りも大事だ。子ども手当の増額も大事だが、施設で暮らす児童にもきちんと支給されるよう、法に明記するような目配り、気配りが大事ではないか。今年度から制度、課題も多いが、それだけに誰が考えてもおかしいことは、素早く直す対応がほしい。

俵万智さんの「生まれてバンザイ」に戻すが、

「一、二、三、四秒立った五、六、七、八秒立った昨日今日明日」

と、子育て時代が蘇る、かけがえのない瞬間を切り取った一首一首はのびやかで新鮮だ。一方、一茶は

「ほちやほちやとくるまる在所かな」

と、私も寒さでくるまっている、今の私にはこれがあっている。今日は、議会の予算決算常任委員会と議会運営委員会。
【2010/12/14】 | ページトップ↑
原子力研究教育の拠点としての敦賀の将来
Date:2010-12-13(Mon)

昨日は、日射しはあるものの寒かった。朝は人道の港「ムゼウム」で過ごし、昼からはハーツで労働団体「ゆうあい倶楽部」が行う歳末助け合いカンパ、夕方は立石への自転車で、夜は、町内のある団体の忘年会と休日を久しぶりに楽しんだが、気になったのが、茨城県議選の結果。

政権の支持率低下も顕著だが、茨木県議選も厳しかった。苦しい政権運営が続く民主党。わずか1年2カ月前の「政権交代の熱狂」が嘘のように、地方選挙で激しい逆風が吹く。茨城県議選では、水戸市で市議からの友人で民主党公認の佐藤光雄さんの当選はなによりもうれしいが、佐藤さんを入れて現有勢力の6議席にとどまった。一喜一憂することではないが、県下の情勢も同様とみるべきだろう。

情勢がどうなろうと、長期的な政治の課題は大事だ。東の東海村、西の福井で、取り組んできたエネルギー研究開発拠点化計画も具現化の時期を迎えた。一昨年、福井大学付属国際原子力工学研究所が新設し、再来年度、敦賀市に進出してくる。北陸・中京・関西地方の大学などとの連携。地の利を生かした立地点の研究教育拠点としての取り組みが、これから大事になる。

背景には、8年ほど前に姿を消した原子力の学科・専攻の復活が急速にある。原子力の再評価やこれまで支えた団塊の世代の引退など技術者不足といった事情がある。この敦賀でのこの数年、建設、運転と支えてきた世代が定年を迎え、現役を去る技術者が急増している。

数字をひろうと、「原子力工学」「原子核工学」など「原子」の名が付いた学科は、84年度は東北大、大阪大など10大学にあったが、90年代に入って減少し、02年度には、ついにゼロになった。大学院の専攻でみても、9大学のうち7大学で姿を消した。                        
                                   
減少した最大の理由は学生の人気の低下だ。その陰には86年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故など、相次ぐトラブルや事故による原子力ヘの「逆風」があったことは確かだ。一方で、最近の復活の背景には、石油の高騰、地球温暖化と原子力発電所の再評価だ。そして、現場では、技術者不足だ。              
復活の動きとして早かったのは、元の武蔵工大の東京都市大は3年ほど前に、工学部に原子力安全工学科を新設した。都会の真ん中ともいえる川崎市に原子力研究所があり、89年まで原子炉も運転していた。医学治療の研究にも役立ったところだ。定員は30人だが、倍率が高い。

廃炉での運転シミュレーションや茨城県東海村にある日本原子力研究開発機構の研究炉での実習など実務的な教育に力を入れて、現場で管理・監督にあたるような技術者の育成を目指す。

08年度には東海大の復活など、今年度でも10年度には、早稲田大と原子力の共同大学院も設置など、動きが活発化している。       

人材教育でもそれぞれの特徴を生かしたすみ分けや地域性を活かした内容も大事だということは言うまでもない。幸い、敦賀市で設置される原子力工学研究所は、防災など地域性を活かしたカリキュラムもある。また、敦賀市には発電所という実用炉、もんじゅも発電を伴う実用炉に近い。

議会の一般質問でも和泉議員から研究炉設置の提案がなされたが、これまで、都会にあった研究炉や茨城県東海村にあった研究用原子炉も老朽化を迎え、あらたな研究用原子炉も検討されている。ただ、資金や運用面などでこれまでの一大学では建設、維持管理は難しく、連携が何よりも重要だ。ふげんの跡地利用、格納容器利用など具体的な検討も大事ではないか。

私の経験では、発電所の原子炉運転経験も大事だが、東海村の原子炉や大学での小さな研究炉でのあらゆる動きが体験できる機会が必要で、原子炉主任技術者の免許取得には欠かせない。研究用原子炉は、研究開発にも新たな目的もあり、逆に、教育に最も適した装置である。原子炉を使った実習では、机上の学習やシュミレーションでは得られない経験をすることができる。

研究用原子炉は、学生の教育実習のみならず、研究者、技術者、作業員、行政専門職員等様々な原子力専門家の実習や、一般人に原子力や放射線についての正しい理解を深めるための教育にも研究用原子炉の経験は大事にも思う。
                               
ちなみに、研究炉は私が勉強した80年代が世界で370基が最高で最近では減少傾向をたどり、270基ほどになっているが、米国が五十数基を最高に日本が第2位を占める約20基(研究炉との定義により数値は変わる)となっている。

敦賀市の人口減少や少子高齢化を迎えているが、少子化対策も必要だが、一方で雇用や所得の安定といった将来をにらんだ政策も大事だ。産業、観光などの施策もも大事だが、現在の不況下でも有効求人倍率は全国有数の高さで、発電所の寄与は大きい。もう一歩進めた原子力教育の大学の誘致、さらに、将来をにらんだ研究所、研究炉の誘致も私は大事だと思っている。                                 
【2010/12/13】 | ページトップ↑
小沢さん、美浜事件、選挙と・・・。
Date:2010-12-12(Sun)

選挙が静かに街の話題の中心になってきた。知事選、県議選、市長選、市議選と四つが来年4月に重なるだけに、当然ともいえる。9月の渕上市議の市長選出馬表明、一昨日の和泉市議の県議選出馬表明と、その動きが活発化している。市議選も新人、元職の数名の立候補がうわさされるようにもなった。市長選も2名の名前も取りざたされ、議会の最終日、17日が焦点にもなりつつある。今週から年末のかけて、話題も現実実をおびてくる。。

昨日は、「松宮いさお政経セミナー」の準備で越前市へ。民主党の小沢一郎元代表のニュースでまた、騒がれているだけに全国版の番記者を入れて記者、カメラだけで30名を越えた。なかで、小沢元代表は、菅政権の現状に関し「別に誰彼を批判しているのではないが、民主党が掲げた大義の旗はかすんできていると支持者から言われている」と指摘。小沢さんらしい遠回しの批判だ。

また、「現実の壁にぶつかったままでは政権交代の意義はなくなってしまう。もう一度、国民の期待に応えられるような民主党政権にしなければならない」とも批判。今回も、冒頭で自らのことを「一兵卒」と言う言葉を使った。今の時期も全国をくまなく歩き、笑顔で切々を訴える姿勢が、まだまだ人気は衰えない原動力となっているのかもしれない。一方で、国会招致の方向性で明日、民主党本部の役員会で決まりそうだ。分裂、大連立など話題を欠かない。

いずれにしても、外政、内政とも閉塞感が漂う日本だ。身近では、昨日、福井市で20年前北朝鮮の工作船が美浜町の海岸に漂着した「美浜事件」で、警察が押収した資料が公開された。これまでの公開は何度か行われている。身近に現実に拉致問題を考える機会でもある。「美浜事件」は平成2年の10月、美浜町の海岸に北朝鮮の工作船が漂着し、工作員とみられる2人の男が遺体で見つかったもの。ほんとに身近に起こった現実だ。

毎年、この時期の公開は、12月10日から始まった人権デーを記念してのもの。1948年12月10日、国連は総会で世界人権宣言を採択した。冷戦のさなかだったから、「奇跡の成果」と言われ、この日はその後、「世界人権デー」となっている。

くしくも、言論の自由の保障などを求めた、劉氏へのノーベル平和賞授賞式も12月10日。新聞報道であるように、平和賞授賞式に本人も親族も出席できないのは、1935年受賞のカール・オシエツキー氏以来のこと。記者としてナチス・ドイツの秘密再軍備を暴露し、収容所送りとなる。オスロの会場に置かれた受取人用のいす。主人公は存在していなくても、存在感は十分にある。

まさに拉致という事件と変わらない。小浜の浜本夫妻の拉致から30年を超える。風化も始まり、拉致問題は一向に解決のめどがたたない。理由はわからないが、この30年でも敦賀でも数名の行方不明者が発生している。行方不明だけに事件にはならない。

韓国在住の脱北者団体(北朝鮮から脱出した方の団体)は今月初め、韓国の映画やドラマのDVDを見た「犯罪者」として「教化所」に収容された北朝鮮国民が約1200人に上ると発表した。南の同胞の豊かな暮らしぶりを人民が知ることを、北の権力者たちがいかに避けたいかを物語っている。これも拉致問題だ。

敦賀でもイルミネーションが冬の夜を彩っている。駅前もそうだが、粟野など、住宅でも白や青、赤などさまざまな色で飾る光の造形、飾り付けが目立つようになった。政治の混迷、拉致問題を忘れてはいけないが、イルミネーションは、ささやかな幸せを感じさせてくれる空間でもある。
【2010/12/12】 | ページトップ↑
難しい時代だからこそ、「前向きに捉えて次に生かせ」。
Date:2010-12-11(Sat)

昨日は、議会の常任委員会。私の所属する委員会では今後の10年間の大きな指針でもある総合計画が議論された。数値目標では、10年後の敦賀市の人口が6万5千人とする国の予想がある。それを総合計画では2千人多い6万7千人に止める計画。今、全国の地方都市の人口減少圧力は強い。

敦賀3,4号の建設、もんじゅの運転と着実に原子力政策の実施を基盤に雇用を安定させ、それによる果実を新たな雇用に結び付ける。産業団地、観光、大学と重要な施策が続く。なによりも4年後の舞若線の開通は敦賀の交通体系を変える力がある。素通りの敦賀になるかもしれない。その意味でも粟野に設置が計画されている南部インターの役割は大きい。

人口減少社会は歴史上、三度あったと教えられたが、最後の江戸中期も、いずれも新たな文化などを受け入れることで乗り切った。過去の敦賀の発展は交流都市がその原動力だと思っている。人の流れを生む施策が重要なことだ。

ところで、話を探査機「あかつき」の失敗にむけるが、6年後に再挑戦を試みる。「失敗学」というのがある。本を読むと、失敗にもいろいろあり、当然なすべきことを怠り失敗する例もある。ただ、今回の「あかつき」の失敗は、経験したことのない未知の世界に果敢に挑んだ結果で、むしろ、あり得ておかしくなかった失敗でもある。

人口減少社会をどう受け止めるか、減少の期間は長い、どう克服するか、気長い施策が重要だとも思っている。

最後に、今年1年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」が、京都の清水寺で発表され、この夏が記録的な暑さになったことなどから、猛暑の「暑」の字が選ばれたとか。

「暑」の字を選んだ人たちは、この夏の猛暑で、熱中症になる人が続出したほか、野菜の値段も高騰して健康や生活に影響が出たこと、など負の側面と、南米チリの鉱山の落盤事故で閉じこめられた33人が、暑さに耐えて救助されたこと、それに世界で初めて小惑星から微粒子を持ち帰った探査機「はやぶさ」が地球へ突入する際、1万度の高熱をくぐり抜けて帰還したことなど、前向きな理由もある。

繰り返しになるが、「あかつき」の失敗は、冷たくとらえる方も多いが、経験したことのない未知の世界に果敢に挑んだ結果で、むしろ、あり得ておかしくなかった失敗。私には、「前向きに捉えて次に生かせ」、そんなふうに聞こる。議会は継続審査もあるが、大半が白黒の結果を出す。考えれば非情の場面もある。ほんとに難しい時代だ。
【2010/12/11】 | ページトップ↑
本町のネオンから、今、イルミネーション・・・・。
Date:2010-12-10(Fri)

今日、1年間の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」が、京都の清水寺で発表される。はたしてどんな漢字か。ストックホルムでノーベル賞も受賞される。敦賀駅前の夜のイルミネーションが美しい。師走の慌ただしい毎日だが、少しでも、1年を振り返り新しい年を展望する心のゆとりを持ちたい。

昨日の県議会でもんじゅのトラブル、核燃料税などが議論されているが、14年ぶりのもんじゅ再開など、今年も原子力が敦賀市の話題の中心であったことは確かだ。昨日、敦賀市会の一般質問3日目の始まりも原子力政策だった。

あまり報道されなかったが、今年6月にスウェーデン議会が、脱原発を目指す政策を30年ぶりに転換し、古くなった原発を建て直すことを認める法案を賛成174票、反対172票のわずかな差で可決した。

スウェーデンはチェルノブイリ事故の6年前、1980年の国民投票の結果を受け、欧州でも政策として原発を2010年までに全廃する方針を決めたところ。日本でもその経過が注目されていた。これまで2基を閉鎖し、現在は10基が残るが、昨年2月に政府は脱原発方針の転換を表明。国会で同じ場所での建て替えを認める法案を審議していた。 英国、イタリア、フィンランドに続いての転換だ。先月も米国カリフォルニア州の記者が、敦賀を訪れたが、原子力発電所の建設の伴う取材だった。

二十数年前のこの時期、スウェーデンのフォシュマルク原子力発電所を訪れたことがある。従業員に「2010年廃止で不安はないのか」と聞いたところ、「2010年までは仕事がある。それでも石油を考えれば廃止にはならないよ」との答え。その通りになった。当時は石油枯渇が大きな課題だったが、最近は温暖化と、様相はずいぶんと変わった。

ちなみに、フォシュマルク発電所は、敦賀1号炉同じ沸騰水型原子炉3基が並び、現在も運転中。当時、発電所の放射線検知器が西側ではじめてチェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)の発生を知ったところでもある。

5日ほどの滞在だったか、ある従業員と親しくなり自宅を夜、訪問。小さなお宅だったが、玄関や窓など、そこかしこにイルミネーションを飾っていた。彼曰く「冬の時期、暖炉と灯(あか)りは暮らしを豊かにし、ぬくもりと安心感を与える」と。この時期、夕方3時には暗くなる北欧のならではと思っていた。

ところが、日本でも光の技術が、欧州をまねてか、ここ10年で格段に進歩した。敦賀でも赤レンガ倉庫、敦賀港駅とライトアップは美しい。駅前のイルミネーションも冬の澄み切った夜空にあう。

これも、ちなみに、イルミネーション技術の進展だけでなく、都会に限らず、各地域で名所ができる背景にはLEDの普及がある。LED照明は消費電力が少なく、寿命が長い。そんな特性を生かし、二酸化炭素排出を削減してランニングコストを抑えようと自治体や企業でLED導入の動きが広がっている。

蛍光灯と同等の明るさのLED照明は消費電力が半分程度抑えられ、耐用年数も5倍ほどになるという。昔はろうそくや油に火をともし、ランプからガス灯、電灯へ。灯(あか)りの変遷は暮らしを豊かにし、ぬくもりと安心感を与えてきた。

30年も前は、私も本町のネオンによく誘われたが、その光も寂しくなった。この年末だけでも、賑わってほしい、そんな思いをする。いずれにしても、寒い時期は、光の空間に身を置くと、心が癒やされる。電力のまちともいえる敦賀、来年はどんな年か、どうもゆとりがない。今日は議会の総務厚生常任委員会、敦賀市の10年間の総合計画基本構想が議論される。
【2010/12/10】 | ページトップ↑
地域を支える民生委員
Date:2010-12-09(Thr)

寒さが身にしみる。今日はどうも、寒気を伴った低気圧が接近するとか。強風と高波、雷と予報の言葉が気になる。そろそろ雪おこしか。

昨日は議会の一般質問2日目。総合計画基本構想で敦賀市の一番に来る課題が福祉の向上との話があった。福祉を地域で地道に地道に支えているのが民生委員だ。なり手も誰にでも任せることもできないが、引き受けても少ないのが現状だ。

以前、ある民生委員から相談を受けた。民生委員は、法に基づき、地域の人が委嘱される。身分は「守秘義務のある非常勤の地方公務員」。福祉の世話役として頼られる一方、秘密が多いだけに評価されることも少ない。本来、ブログで書くことも許されないことが多い。ただ、地域で事件が起きれば、批判を受けることもある。まさに、「縁の下」的存在だ。

最近は、民生委員の活動のうち、一人暮らし高齢者の見守りが大きな比重を占めるようになった。ある町内でも高齢化が進む地域が敦賀市内でも増えている。

今年、全国で次々と明らかになった不明高齢者問題で民生委員の活動に注目が集まったが、個人情報保護の時代、その活動は決して容易でない。個人情報保護法との関係はほんとに難しい。

民生委員は守秘義務を守る立場。引き継ぎも慎重だ。自治体からの情報も限られる。民生委員というのは基本的に支援を求める人のための制度。高齢者だからといって、すべての人が助けを必要としているわけではない。

当然、情報も限られる。現実は、引き継ぎの中で得た情報や区長さんからの助言など、自分の足で地域の情報を得ている。毎日、一人暮らしのお年寄りを訪ねる方もいれば、それなりに活動する方と、一人ひとりを評価することすら難しい制度だ。

マンションが増える地域では、民生委員が自分の足で得る情報には限界がある。高齢者を狙った詐欺事件、悪質商法などが多発する中、人間関係への警戒感、不信感から、民生委員とのかかわりをも拒む人がいる。

一人暮らしの多い敦賀市。マンション住まいも多くなると、そのかかわりが一層難しくなる。昨日の議会でもDVや虐待が話題になったが、民生委員の関わり方、自治体からの情報、今のままで充実した活動を継続していくことが可能か、超高齢化社会になる中で、どう対応したらよいか、慈善事業だけでは済まない割り切った対応しかできないのも現実だ。難しい課題があまりにも多い。

災害時の安否確認、支援、救助となれば、それは限界だ。個人情報保護法も足かせとなっている。だんだんとご近所付き合いをしなくなった社会、無縁社会ともいえる社会をどう支えるか、ボランティアだけではどうにもならない。区長さんは「誰もなり手がいなので、なんとか民生委員に」と懇願してやっと引き受けてくれる現実を見つめ置く必要がある。
【2010/12/09】 | ページトップ↑
レノンの死から30年・・・。
Date:2010-12-08(Wed)

12月8日は、まず、思い出されるのは1941年の真珠湾攻撃の日。重ねて思い出すのは、ジョン・レノンが、ニューヨークで凶弾に倒れたのも1980年12月8日。なぜか衝撃だった。30年前のこと。レノン享年40歳。

この年は、確か、大平正芳首相の急死で自民党大勝。四国香川の出身だけに鮮明に覚えている。ニュースをあげると、レーガン米大統領が誕生、ソ連のアフガン侵攻。身近では、この年、12月末からしんしんと雪が降り始めた56豪雪の始まりの年。四国生まれの私には、56豪雪は強烈過ぎた。いずれにしても、あまりいいイメージのない1980年でもあった。

私も一応ビートルズ世代の終わり、レノンの死は、私には衝撃でもあった。レノンでいえば、平和運動とかで、公然と、オノ・ヨーコとのベッド・インがニュースで報じられたり、5歳の息子をいとおしむ歌を作ったり、男の家事育児といった新しいライフスタイルを身をもって示したり、いま風に言えば「イクメン」の先駆的存在だったかもしれない。1980年、結婚2年目の私も、このころから女房の尻に引かれ、家事育児を共に行うようになっていた。

レノンの死から30年だが、生誕70年でもある。話をがらりと変えるが、今日の議会の一般質問で大和田荘七翁を取り上げる。今年ではないが、再来年の2012年が、大和田荘七と深く関わった記念すべき事項が目白押し。100年、110年、120年、130年の記念の年を迎える。

古いものからあげると、ひとつは、敦賀市と滋賀県長浜市間に日本海側初の鉄道が開通して2012年に130周年。1872年に日本初の鉄道が開通した10年後の1882年3月10日、日本海側の重要拠点である「敦賀港」への接続を目的に、金ヶ崎(現在の敦賀港)‐長浜間の鉄道が開業。この路線から北に鉄道が延伸し、現在のJR北陸線になった。いわば敦賀は「日本海鉄道発祥の地」でもある。

ふたつは、1892年の大和田荘七が大和田銀行を設立から120年。

三つは、1902年 2月には、これまた、大和田荘七の努力により敦賀・ウラジオストク(ロシア)間に日本海命令航路が開設されて110年。

さらに四つは、1912年 ウラジオストク航路(ロシア)に接続する欧亜国際連絡列車が新橋~金ヶ崎で運行されて100年周年。

明治以降の敦賀にとって、これだけとっても画期的な出来事が続いた時期はない。それもすべて、大和田荘七が関わっている。まちづくりを進める上でも重要な2012年と言えるのではないか。

ちなみに、2012年は、1882年3月10日 敦賀駅から130周年。1962年の北陸トンネル完成から50年周年と敦賀にとって、鉄道にとって記念すべき年でもある。

最近の鉄道ファンの動向を考えると、逃してはならない年ともいえる。それも、交通の要衝、敦賀の歴史を考えても、大和田荘七翁抜きには考えられない。

レノンに戻すが、「想像してごらん/みんなが平和な人生を送っている姿を・・・」の『イマジン』は、色あせない。死んでからの30年だけをみてもイラク、イラン戦争、バブル崩壊、テロあり、大和田荘七さんの北陸線130年から、もっと激動だ。ふたつの世界大戦。70歳のレノンの目にはどう映るか。イマジンの旋律は、単純なメッセージが、時代を経ても色あせず、むしろ時を経るにつれ重みを増している。

【2010/12/08】 | ページトップ↑
鹿児島県阿久根市の市長リコールに思う・・・。
Date:2010-12-07(Tue)

鹿児島県阿久根市は、竹原信一前市長の解職請求(リコール)が成立した住民投票から一夜明けた昨日、はやくも1月下旬までに行われる出直し市長選に向け、早くも臨戦態勢に入っている。

一方、前市長派議員が中心となって議会リコール運動も進んでおり、11月29日に有権者の3分の1を上回る9266人分の署名を市選管に提出。有効署名と確定すれば、議会解散の賛否を問う住民投票が行われる。有効投票の過半数が解散に賛成すれば、今度は出直し市議選が行われる。

ここまで来れば、まさに市長、市議とも泥仕合だ。双方や市民を部外者が批判するのはたやすいが、そう簡単な問題ではない。背景には、阿久根市の疲弊する財政と市政運営にある。まちの商店街はシャッター街が進み、高齢化や人口減少など全国の地方都市が抱える悩みを阿久根市は極端に市長と議会がまともに受けたと言えるのではないか。

先週の土曜日、福井で私は民主党福井県連の政治スクールの講師になった。政治に参加する若者へどう魅力を伝えるか、いま、ほんとに難しくなっている。やりがいや奉仕的精神だけでは、難しい時代だ。

議員をみるべき目、具体的には議員給与を高額とする市民が多くなっていることも確かだ。議員定数も多いのではとの声も多い。議員年金はもってのほか。と巷の議員に対する風当たりは強い。

先日の政治スクールでも議員年金が話題になった。政府は都道府県議分も含め、来年6月に制度を廃止する法案概要を固めた。行政効率化によるサービス向上などをうたった「平成の大合併」は、地方議員の数を劇的に減らした。報酬総額の抑制にはつながったが、反作用が年金の破綻である。

現在は掛け金を払う現職議員3万6千人が、議員OBの9万4千人の受給者を支える構造。2002年、06年には給付を引き下げ、掛け金と公費負担を引き上げたが、焼け石に水で、市町村議分の積立金は来年度にも枯渇する。

年金どころか、報酬すら大幅に切り下げようという地方議会も目立つ。今回の地方議員年金の廃止は、ここまで来れば、私も廃止は妥当と思っている。ただ、地方議員の年金は、一概に制度が優遇されすぎていたとか、無駄遣いだったという風潮には私は、賛同できない。今回の廃止措置は、財政面だけを考えた、止む得ない判断だと思っている。

年金廃止だけでなく、報酬の減額も、今後も続くだろう。名古屋市も阿久根市も極端な減額合戦が続いている。

どう書いていいのか難しいが、良質な地方政治の担い手ほど、相当の負担を強いられる。議員個人のことを言えば、「百聞は一見にしかず」で議員が全国の地方都市を足で歩き、地元の声を聞き、調査し、勉強することは大事な作業だ。それなりに費用も必要だ。奉仕的な精神だけでは限界がある。議員個人の生活の安定も大事な要素だ。

国会でも、民主党政権が掲げる「地域主権」の看板が、法案名からは外されそうだという。国民主権との関係で、法律用語に適さないと野党側から批判があるためだ。自民党政権では「地方分権」と言っていただけに、背景には面子(めんつ)争いも少なからずあるのだろう。

行政用語はどうであれ、議員報酬の減額であれ、議員定数削減であれ、マイナス思考の風潮が強すぎ、議論の深みがないままことが進んでいる。大事なのは、私たち議員も、財政が疲弊する日本にあって、住民が改革の先にある地域の姿をイメージができていないままの議論が進み、すべてがマイナススパイラルのなりつつある現在、立ち止まる勇気も必要ではないか。地方の元気を取り戻すには、ほんとに難しい時代の到来だ。
【2010/12/07】 | ページトップ↑
11月末で6万9千人に人口が戻った。
Date:2010-12-06(Mon)

これから、年末警戒の季節だが、敦賀市内で、先月末に82歳の男性が軽自動車でなくなった。これも含め、一昨日までの8日間に高齢者ドライバーが起こした死亡事故が県内で3件相次いだことから、県は、ことし2回目となる「高齢者交通死亡事故多発警報」を出して注意を呼びかけるとか。

敦賀市の人口の5人に一人は65歳以上、年齢でいえば、60歳人口が一番多い。世帯数の割合も県下でトップをいく。

ところで、人口が喜ばしいことに、2年ぶりか、11月末で6万9千人を超えた。5,6年増えはしないが、維持をしている地方都市は、県都周辺とか、事情を抜きにして、考えられないことでもある。

それも、本来であれば、11月は増える月ではない。議会でも人口問題を何度か取り上げてきたが、敦賀市の不思議さと言うか、人口が減っていないのだ。全国も、福井県もそうだが、嶺南地域、美浜から西は人口が10年も前から減りはじめ、最近では減り方も多くなっている中での出来事だ。

有効求人倍率も全国トップクラスの1を超え、原子力発電所関係も含め確かに仕事はある。各地が不況で就職口がなく若者のユータン組も存在する。産業団地での雇用も数百人だが、これも維持には貢献しているのではないか。
話は変わるが、先日の議会での敦賀短大同窓生の報告で卒業生2700人のうち、700人程度が敦賀市内に残っているとか。

データはもっていないが、7割を超える学生が、県外市外の出身者だ。それだけに、敦賀市内に残る卒業生の半数か、それ以上かもしれないが、現役の学生も加われば、市外からの転入ということだ。看護学校も
数は少ないが、同じことがいえる。わずか7万にも満たない街が、学校をもった効果が少なからずあるということではないか。

話を飛躍させるが、学生の街、京都の人口は147万人。ほぼこの10年間、維持している。高齢化率も23%を超えるが、若者も多い。東海道新幹線開業の直前まで夢の超特急「ひかり」は京都駅に停車しないことになっていたとか。今となれば信じられない話だが、当時の国鉄の基本方針はそうだった。東京−新大阪間のひかり停車は名古屋だけ。京都に停車すると全体で8分も遅れるというのが理由とか。

3時間で2大都市を結ぶことが目標だった国鉄にとって譲れぬ一線だった。もちろん京都は猛反発。政官業あげての陳情が実り、土壇場で方針が覆った。

内外の観光客であふれる昨今の京都駅の活況と、今日の人口を考えれば大正解の方針転換だったことは確かだ。東北新幹線の青森までの開通がどう変わるか。大都市に人材や資本が吸い取られる「ストロー効果」を心配する声も聞かれる。

敦賀市は、古くは北陸線開通、ウラジオストックとの定期航路開設で明治以降の発展があった。北陸自動車道開通後も人口を増やしてきた。舞鶴若狭自動車道開通がどう影響するか、 逆にどう利用して発展させるか、を考えるのが政策でもある。

現在、敦賀までの北陸新幹線もいらないという声が大半だが、交通の要衝として発展してきた敦賀市だけに経済効果、人口効果はどうか、地元負担もどれほどか、縮小が激しい福井県、嶺南地域の中の敦賀市だけに、その効果を長所、短所からも検証しておくことも大事だ。

話を戻すが、敦賀市が6万9千人を維持している。全国でも珍しいというだけではすましてはいけない。背景になにがあるのか、この11月に2年ぶりに回復した理由など細かいことだが、しっかりと分析することは、将来の敦賀市を考える重要なヒントになると思っている。

原子力政策、産業団地、敦賀短大、子育て政策などの人口問題にどう寄与しているのか、評価をすることは、私は大事だと思っている。それほどの何かがあると思っている。
【2010/12/06】 | ページトップ↑
南部インターの役割
Date:2010-12-05(Sun)

東北新幹線の八戸−青森が開通し、東京−新青森(674.9キロ)の全線が昨日、開業した。東京−新青森の最短所要時間は3時間20分。新型車両が導入される来年3月、3時間10分に短縮される。

一方で、在来の東北本線の八戸−青森はJRから経営分離されて第三セクターの「青い森鉄道」が引き継ぐ。早くも赤字が懸念されている。奥羽本線ではJRが新幹線とローカル車両を走らせる。長短所は交錯する。

北陸新幹線も長所、短所をデータをもとに、議論する時期でもある。しかし、計画が進まないもの問題だ。福井県連の重点要望に新幹線は入れ、週明けにも同本部の枝野幸男本部長らとともに官邸に持ち込む。

重点要望はその他に、中部縦貫自動車道の早期開通②敦賀港の日本海側拠点港選定②電源立地対策費の予算確保なども入っている。いずれも嶺南、敦賀市にとっても重要なものばかりだ。

話は変わるが、昨日の民主党福井県連へ。早朝より出かけた。目的は、粟野に設置が予定されているスマートインターの要請。

2014年度全線開通予定の舞鶴若狭自動車道が通る同市南部に簡易型インターチェンジ(スマートIC)を設置できるよう、民主党福井県連福井地域戦略局に支援を要請した。本年度中に国に連結許可申請したい意向だ。

「敦賀南スマートインター」の仮称で、若狭湾エネルギー研究センターの近くに設置する計画。福井市の県連事務所を訪れた河瀬市長は、敦賀市の人口の3割を占める粟野地区に設け、建設中の舞鶴若狭道と一体的に施工することで費用対効果が確保できると説明した。

民主党副幹事長の糸川衆院議員は、前向きに取り組むとのこと。国土交通省三役クラスの面談も合わせて要請した。この件は、工事を行う中日本土木も計画に加えられ、松宮衆議院議員も尽力していたものだ。

経緯としては、粟野地区からの要請を受け、昨年度、ETC(ノンストップ料金収受システム)専用のスマートIC設置に向けた勉強会を発足。敦賀市も費用対効果など調査を行っていたものだ。国土交通省近畿地方整備局など関係機関と協議してきた。当然、高速道路本体と同時期に行えば、経費も安くなることは確かだ。それに加え、敦賀市内とのアクセスはもちろん、逆に神戸方面よりの観光客を呼び込むことも可能となる。

新幹線もそうだが、高速道路一本の設置でも、良いことばかりでもない、北陸自動車道の開通で東浦の8号線の店舗を盛衰を見れば一目瞭然だ。27号線のさかな町など影響は必定だ。南部インターの設置とともに、その後の対応も考えていくことも大事だ。
【2010/12/05】 | ページトップ↑
今日は何の日?
Date:2010-12-04(Sat)

今日、12月4日は、「血清療法が開発された日」。1890(明治23)年この日、エミール・ベーリングと北里柴三郎が、血清療法開発につながる破傷風免疫体を発見したことから、記念日とされている。血清療法とは、抗体のある血清を患者に注射し、体内に入った毒素を中和して無力化する治療法です。毒蛇にかまれたときなど、いまだも有効な画期的な療法だ。

昨日3日は、「カレンダーの日」。一昨日は、「原子炉の日」、1942(昭和17)年のこの日、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉で、ウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功。イタリア人のノーベル物理学者エンリコ・フェルミらによって、世界で初めて原子炉が誕生した。最大出力は0.5ワット。ちなみに、0.1キロワットの原子炉が近畿大。1961年に臨界、いまでも現役、私学としては唯一だ。昔も昔、私もここで実習をした一人だ。

原子炉実験は、ボイラの火と違い目に見えない。それでもアナログの出力目盛りが動き出す。レポートは計算尺を使う。この頃、電卓が出始めたが、技術分野ではまだ計算尺が主力。何種類かの目盛りを刻み、中央部分がスライドする竹製の物差し。左右に滑らせて目盛りを合わせると、たちどころに掛け算や割り算、平方根などの答えが出た。計算尺の利点かどうかは別にして、意外と大ざっぱだ。四捨五入を多様化する。ようやく使いこなすことができた頃だった。いまでは、そろばんは見ても計算尺の姿さえ見ない。

くしくも2日夜。日本原電敦賀の固体廃棄物貯蔵庫で火災が発生。火災は、放射線管理区域である貯蔵庫で、火災を監視する火災受信機のプリンターや基盤などが燃えた。ごく普通の電気設備だが、火災は許されない。連絡通報後、全国放送になった。原子力発電所は、安全が第一、連絡報告も第一、2日から3日にかけて徹夜をした職員もいた。この件で、6日には議会の原子力発電所対策特別委員会が開催される。

初の臨界を達成したエンリコ・フェルミの頃は、アナログの計器と原子炉設計は計算尺を使ったが、40年を経過した敦賀発電所にはアナログが残るがデジタル化が進む。安全第一に、慎重に正確に、素早くが求められる世界だ。昨日の荒れた天気と同じ厳しい環境が続く。

今日、青森新幹線の朝一番列車が青森を6時半に出発をした。2015年には津軽海峡を渡る。北陸新幹線はどうなるのか、その行方は誰もわからない。朝9時に、市長と共に、福井の民主党福井県連の地域戦略局で舞鶴若狭自動車道の南部インターの要請を行う。舞鶴若狭自動車道もそうだが、南部インターの設置で敦賀は変わる。時代の動きは速い・・・。

【2010/12/04】 | ページトップ↑
給食費未納問題
Date:2010-12-03(Fri)

昨日は、一般質問の通告の締切日。各議員がそれぞれに市民から声を自分なりにまとめて議場で訴えることが多い。が、税金や市営住宅の未納問題、ましてや給食費未納は子どもが絡むだけに議場で取り上げるのになぜか、抵抗感があった。

最近は、何度か取り上げられるようになった。払えるのに払わない人も増え、マナーの問題として増えている。
福井新聞の「文部科学省は1日、2009年度の全国の公立小中学校における給食費未納総額が約26億円に上ったとする推計を発表した。前回調査(05年度)から約4億円増加した。未納者のいる学校の割合は55.4%(前回43.6%)に悪化。未納者の割合も0.2ポイント上昇し1.2%に達した。」とあった。

世相ともいうべきか、今回の報道で、保護者としての責任感や規範意識の問題を挙げた学校が前回の60.0%から53.4%に減った一方、「保護者の経済的な理由」が前回の33.1%から43.7%に大きく増え、不況の影響が色濃く出始めた。

調べると、学校給食の始まりは、1889年に山形県内の私立小学校で貧困児童救済のため実施されたとか。大半は戦後のスタートだ。私たちの給食はパン食に脱脂粉乳。米国の支援も大きかったが、米国の政策的にねらいも見事にあたった。家でもご飯からパン食へと。

議員になって、十年ほど前か、現在の給食を食べた。まさに隔世の感があった。豊かさとはこのことかと感心もした。それほどの変わり様だ。同時に、学校給食法を読んだ。「栄養バランスのとれた食事を通じ心身の健全な発達を図る教育活動」と、施行は1954年だ。社会の変化とともに変わってきた。時々の社会を色濃く反映している。

話を戻すが、給食費未納総額は、約26億円。リーマン・ショック以降の長引く不況が影響しているのはまちがいない。美食がもてはやされる一方、給食費の未納が増え続ける現実がある。

昨年、敦賀市議会の3月の本会議での予算決算常任委員会の報告で「学校給食費の未納額についての問いに対し、学校現場では、その月の未納分を立てかえ払いし、保護者には翌月納めてもらうことで対応しているが、どこまで対応できるかぎりぎりのところまで来ている。今後このような問題が起きないよう、教育長名で、給食費を納めることの必要性や義務を理解してもらうための文書を渡し、支払いを促すなど真剣に対応しているとの回答がありました」と議事録にある。

敦賀市内でも、一中学校、一小学校で対応できないぎりぎりの問題となってきている。払えるのに払わない人の見極めも難しい。脱脂粉乳の時代とどちらが豊かなのか。考えさせられる事態だ。
【2010/12/03】 | ページトップ↑
師走の一般質問・・・・。
Date:2010-12-02(Thr)

昨日から、師走、師走と聞いただけで気ぜわしくなる。昨日から今日にかけて、一般質問の原稿もその一つだ。
12月議会もその一つだが、年末年始の休みに向け、済ませておくべき仕事が増える。プライベートでは、忘年会シーズンでもある。ただ、敦賀市内も本町も、この不況で忘年会も減るのではないか。

クリスマスも盛り上がりそうにないから、この歳での二日酔いの頭で机に向かうことも少なかろう。ついでに年賀状書きも少し減らそうかと思うのだが、長年の義理をすっぱり断てるか自信はない。ただ例年通り、整理整頓に大掃除だけは避けて通れそうにない。

この師走の意味は、「先生(師)が走る忙しい月」と教わったことがあるが、敦賀市内の小中学校の先生も最近は忙しい。市の公務員も人員削減で忙しい。

郵便局も、年末の監視で警察も忙しい。忙しいとは「心を亡ぼす」と書く。とやかく言いながら平凡に12月(師走)を迎えたわが身の幸せを思う。

今日は、議会の一般質問にいろいろな意味を伝えたいと思いながら書いた。参考にしていただきたい。
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一般質問(2010.12)

1. 大和田荘七翁と敦賀市のアーカイブについて
 
①大和田荘七と検疫所
 縄間地区にあります旧獣類検疫所については、所有者より取り壊しの意向が示され、これを受けて、先月25日に開催された文化財保護審議会において、老朽化が著しく、現地での保存や移築は困難と判断されたとか、取り壊しは止む得ない判断とは存じます。
しかしながら、市長提案理由で述べられた「本市といたしましては、これまでも保存や活用策等について検討を重ねてきており、既に内部構造などの調査を完了していることから、文化遺産としての価値を生かし、復元することで、今後のまちづくりの活性化に繋げてまいりたいと考えております」とあります。  
具体的には、どのように、どの場所で復元し、今後のまちづくりに活性化につなげるとはどのようなことか、市長としてのお考えをお伺いしたい。
 
次に、検疫所は、明治、大正、昭和と敦賀港の基礎を築いた大和田荘七翁の残した建物であります。結果として、旧敦賀市役所や大和田別荘が取り壊され、検疫所も同じ運命をたどることになります。「解体はやむを得ない」とすることは、現状ではいた仕方がないとは存じますが、どこかに寂しさを感じるのは私だけでもないと思います。

 大和田荘七翁を研究する方は市内にいらっしゃるが、遺品も含め多くは残っていないのが現状です。現在の市立博物館こと大和田銀行が唯一といっても過言ではないでしょうか。
 郷土の偉人をたたえ、語り継ぐにはそれだけの気運と残す努力と必要と思います。
20年前ですが、敦賀青年会議所30周年記念で大和田さんの生い立ちや業績を映像で取り上げています。その中で、北海道の留萌では、大和田さんの偉業をたたえ、留萌線の大和田駅の駅名、大和田町の町名も残っています。
また、戦後のまもない提言などいまでも生き生きとの光を放つものもあります。北海道の地名になった大和田さんの足跡を刻銘にわかりやすく伝えていえます。

敦賀の歴史やまちづくりを語る上で、大谷吉継は欠かせない人物ですが、それに匹敵し、それ以上の人物が大和田荘七翁ではないでしょうか。歴史に学び、未来に期待し、今日を生きる私たちにとって、郷土の偉人を敬い、子どもたちに語り継ぐためにも、平成16年の新博物館建設検討委員会の答申にありますように、新博物館建設と同時に、大和田銀行に戻すことに私も賛成であり、その際、大和田荘七翁のコーナーも必要になります。

残り少ない遺産を集め、資料化し、必要によっては書籍化することも大事ではないかと存じます。教育長ならびに市長のご見解をお伺い致します。

最後に、2012年の大和田荘七の記念すべき年とまちづくりについてであります。

 2012年が、1番目で伺った大和田荘七と深く関わった記念すべき事項が目白押しで、100年、110年、120年、130年の記念の年を迎えます。

 ひとつは、敦賀市と滋賀県長浜市間に日本海側初の鉄道が開通して2012年に130周年を迎えます。1872年に日本初の鉄道が開通した10年後の1882年3月10日、日本海側の重要拠点である「敦賀港」への接続を目的に、金ヶ崎(現在の敦賀港)‐長浜間の鉄道が開業しました。この路線から北に鉄道が延伸し、現在のJR北陸線になりました。 いわば敦賀は「日本海鉄道発祥の地」でもあります。
 ふたつは、1892年の大和田荘七が大和田銀行を設立から120年。三つは、1902年 2月には、これまた、大和田荘七の努力により敦賀・ウラジオストク(ロシア)間に日本海命令航路が開設されて120年。さらに四つは、1912年 ウラジオストク航路(ロシア)に接続する欧亜国際連絡列車が新橋~金ヶ崎で運行されて100年。
と、2012年は、市民とともに、ひとつの通過点でありますが、大和田荘七の偉業をたたえ、まちづくりを進める上でも重要な2012年と言えるのではないでしょうか。最近の鉄道ファンの動向を踏まえると、逃してはならない年ともいえます。教育面でもまちづくりの観点からも、市民を主体とした学校、企業、団体を含めた運動展開も必要と考えます。教育長と市長としてどのようにお考えか、お伺いいたします。

②敦賀市のアーカイブ

 2点目に歴史的、文化的価値のある既存資料及び公文書の保存についてお伺いいたします。
 と申しますのは、大和田荘七さんをはじめ、明治期、大正期に活躍した敦賀の五賢人と言われた方々の資料がほとんど図書館をはじめ資料がないのが現状であります。まして、愛発、東浦、西浦、東郷、中郷のかつての村部の資料もなくなっているのが現状ではないでしょうか。
平成16年3月議会の平川議員の質問に、当時の吉田教育長は、「文化課分室で保管している古文書や古記録などは、博物館資料については逐次デジタル化して整理し 将来的には市民の皆さんに活用いただけるよう準備を進めたいと考えております。郷土の貴重な歴史資料や文化的資料の保存、活用は、博物館活動の大きな柱の一つでありますので、今後博物館整備計画を進める中でその方向等について検討したいと考えております。
 また、歴史文化資産検討委員会からの答申を受けた文化振興ビジョンの中には、特に資料のデジタル化等については触れておられませんが、博物館の資料は研究活用面からも当然デジタル化の必要ありと考えております。
 行政文書等につきましても、各課から歴史的、文化的価値がある資料として引き継ぎがあれば、博物館建設までの間適切な施設において大切に保管し、将来の活用に備えたいと考えております。」と答弁されております。

現在の進捗状況と、今後のデジタル化など本市の歴史的資料や文化的資料の保存について、お考えをお伺いします。

2. 中心市街地活性化とまちづくりについて
 
①直流化から4年と長浜市
 中心市街地活性化基本計画の認定から1年を迎え、この間も、商工会議所を中心とする民間の皆さん、また市長をはじめ職員の皆さんの中心市街地活性化に伴う御労苦に対して、敬意を表したいと思います。
 まずは、昨年も12月議会で同じような質問をさせていただきましたが、JR直流化4年の総合評価と今後についてであります。
昨年の12月議会で嶽部長からは、直流化前、直流化後の比較で、JR敦賀駅の乗降数は13%増加、観光案内所利用数も約2倍、気比神宮の参拝者数は9%増などの成果がある一方で、観光客の数も直流化1年後の平成19年には、直流化以前と比較して19万5000人増加し、196万6600人という数字を示したが、平成20年度は190万3700人と、平成21年度も平成20年度と比べてほぼ横ばいで推移しているとの報告がありました。
 今後については、「観光客数が横ばいの状況にかんがみまして、平成22年度には広域観光圏の整備に、とりあえずまず第一歩を踏み出したいと考えてございます」と答弁されました。
 ここで、長浜市の観光客のデータをご紹介しますと、1989年(平成元)年に黒壁がオープンして以来、200万人台であったものが、 1996年北陸線直流化により新快速が長浜まで来るようになり、500万人台に観光客が急増し、2002年までは年々観光客が増加してきましたが、2003年以降伸び悩んでいました。ところが、2006年(平成18年)のNHK大河ドラマの「功名が辻」の影響で過去最高の約700万人の観光客が長浜市を訪れました。
 長浜市がいかに、タイミングをとらえての直流化や大河ドラマを利用して、民間を主体とする観光戦略などが地域の活性化に寄与しているかが伺えます。 
 さらに、長浜市では、悲劇の武将、浅井長政と、その妻で信長の妹、お市の間に生まれた三姉妹(茶々、初、江)を、大河ドラマにと、3年前からキャンペーン活動を展開。市民団体「姉川の合戦再見実行委」などと連携し、石田三成、浅井三姉妹などの売り込みPRは、官民挙げての取り組みが実り誘致につながったと伺っております。
 長浜市と敦賀市は違うと言いながらも、長浜市と比較しての、敦賀市の直流化4年目の評価と今後について再度、市長としてご見解を伺います。昨年も広域圏観光の考えが示されましたが、今後、新たな事業展開があればあわせて、お伺いをしたいと思います。

②駅周辺開発と中心市街地活性化
 2点目は、駅西地区整備と中心市街地活性化についてお伺いいたします。JR敦賀駅改築や福井大学附属国際原子力工学研究所の工事着エと、中心市街地活性化とエネルギー研究開発拠点化が具現化してまいりました。まずは、市長をはじめ関係者の努力に経緯を表します。
さらに、現駅前駐車場を中心とするいわゆるAゾーンの形成について、周辺整備構想にあるにぎわい交流拠点の大まかな概要が示され、建設とその後の維持管理につきましても、コスト面及び民間ノウハウの活用などPFI方式が望ましいとの報告が9月議会で示され、西地区土地活用検討部会での検討結果が3月末までにまとまるとも伺いました。
 駅西の全体像が具現化するなかで、Aゾーンや駅前のロータリーと合わせ、いま考えられる着工スケジュールと財源確保、また、駅を背にして右側のエリアも民間のホテルの工事も始まりましたが、市として、このエリア整備をどのようにお考えか、あわせてお伺いいたします。

③中心市街地活性化とまちづくり
 3点目は、どうしても市民の視線の中心が駅前に行きがちですが、中心市街地活性化基本計画の範囲は広く、具体的には8号線の2車線化や相生・蓬莱の船溜まりを中心とする計画がどのように進展しているのか、さらに、1点目の2012年の大和田荘七との関係もあり、赤レンガ倉庫やランプ小屋、ムゼウム、港などが立地する金ケ崎緑地周辺をどのように考えているのか、合わせて伺います。

④舞鶴若狭自動車開通とまちづくり
 4点目は、4年後の舞鶴若狭自動車開通をひかえ、粟野の南部インター設置の要望などその動きも活発化してきましたが、高速道路無料化などを考慮し、中心市街地の活性化計画、観光戦略、また敦賀市の活性化をどのように考えておられるのか、あらためて伺いいたします。あわせて、これまでどしても、縦割り的な要素が強かった推進新体制、中心市街地活性化基本計画の認定から5年の期限もあり、市政の第一優先の課題とも存じます、来縁度以降の体制をどのように考えるか、市長のお考えをお伺いいたします。
 
3. 敦賀短期大学と今後について
 12月1日午前9時30分から全員協議会の部屋で敦賀短期大学25周年記念同窓会のパネルディスカッションにおける未来へつなぐ同窓生の想いが、同窓会長をはじめ、卒業生の方から切々と訴えて頂く機会を得ました。
内容は敦賀短大での思い出だけに限らず、その後の人生において、かけがいのない学生生活であったこと、さらには、将来の敦賀短大へのあるべき姿、方向性まで、語って頂きました。

 同窓会長が最後に語った①地域に密着した大学であること、②大学は小規模であること、③地域の人々が気軽に足を踏み入れる大学であること、など貴重なご提言を受けました。
地域の大学として、敦賀市の規模として、非常に大事な視点だと考えますが、まずは、市長としてのこの点をどうお考えかをお伺いいたします。

 次に、以前にも紹介した岡山県新見市にある新見公立短期大学ですが、日本の公立短期大学でもあります。当初は、新見市・大佐町・神郷町・哲多町・哲西町からなる阿新広域事務組合により設立されたいわゆる全国初且つ唯一の組合立短期大学として設置された。これは、1980年前後の文部省が1自治体単独での短大設置に難色を示したため、開学認可を得るための苦肉の策として組合立が取られたものであります。
 2005年、それらの市町が新見市に編入されたことにより設置者を新見市に変更となり、2008年度より公立大学法人化された。学科体制は3学科となっています。幼児教育学科、地域福祉学科を合わせた短大と合わせた大学となっています。人口は敦賀市の半分、わずか3万5千人規模の新見市ですが、国からの交付税を受けながら地域の大学として地域に密着しながら、また、全国各地から学生を集め、運営されていると聞いております。
 
 来年1月には敦賀短大の検討結果が報告されると提案理由で伺っておりますが、地域との密着という観点で、運営も含め、現段階で、市長として、どのようにお考えか、ご見解をお伺いいたします。


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