桑原武夫(敦賀名誉市民)と西掘栄三郎
Date:2011-10-31(Mon)

昨日は、「時雨(しぐれ)」という、言葉が合うか、どうか、わからないが、早朝は、寒さから、時雨が合う様な感覚の気候だ。

あいにくの時雨的な雨模様の一日だった。朝はきらめきみなと館の恒例の物産展、一昨日の3万5千人(主催者発表)、昨日も雨模様ながら出足好調だった。ある店舗のおやじさんに聞くと売上は上々とか。出店など前日、トラブルがあったようだが、反省は反省として、関係者に敬意を表したい。

雨模様が続いていたので、自転車を担いで普通列車で南越前町の湯尾駅で下車、三国に走らせた。時雨的な雨が続いた。夜は時雨が土砂降りとなった。夜まで福井市にいたのは、前回の参議員選挙に出馬した「いのべ航太」を育てる会の資金集めパーティーのためだ。

パーティー早々に切り上げ、普通列車で敦賀に戻って、家でTBS開局60周年記念「南極大陸」の予約ビデオを観た。

見ながら思い出したことがある。敦賀出身のフランス文学・文化の研究者、文化勲章受章者の桑原武夫さん(敦賀市の唯一の名誉市民)。実は、桑原さんと南極第一次越冬隊長の西掘栄三郎さんとは、京都大学から親友であり共に登山家として活躍した経歴を持つ。

木村拓哉主演の「南極大陸」は、TBS では開局60周年記念の集大成として、民放の大河ドラマを半年以上にわたり制作、この10月より連続ドラマとして日曜劇場で放送されている。昨日は第2回目。

木村拓哉が今回演じるのは、第一次南極越冬隊副隊長で地質学の研究者・倉持岳志でもある。誇張した場面も多いが、東日本大震災後の日本にとって、決して諦めることをしない、戦後、日本の復活を思い起こさせる物語でもある。

その越冬隊長が、香川照之が演じる星野英太郎こと、実名で 西掘栄三郎であり、西掘さんは、桑原武夫さんと親友でもあり、登山家でもあり「雪山讃歌」の作詞者でもあり、原子力とも縁が深く日本原子力研究所(原研)の理事を勤め、原子力船「むつ」の設計にも深く関わっている。

私は、原研の研修で西掘さんの講演を一度だけ聴いたことがある。黒板に「石橋を叩いては渡れない」と書いた。西掘さんの生き様でもある。南極での越冬を決めるシーンは、この言葉通り、戦後のチャレンジ精神そのものだった。

フランス文学の桑原さんと登山家とは、まったく合わないが、敦賀の偉人、大和田荘七さんと桑原武夫さん、いずれもチャレンジ精神の持ち主だったことに気がつく。

ところで、高速増殖炉もんじゅを発想を変えて、増殖という目的から新たな研究に取り組むとか。機構の鈴木理事長が公表した。これももんじゅの新たなチャレンジだ。チャレンジ精神でこの苦難を何とか乗り切ってもらいたい。

これは余談だが、私が乗った小口径の自転車「BD-1」の設計者は、ドイツ人。走行性能、軽さ、折り畳み性能どれをとっても、申し分ない。これもチャレンジ精神で取組んだ結果とものの本で読んだ。
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【2011/10/31】 | ページトップ↑
90歳の瀬戸内寂聴の受賞
Date2011-10-30(Sun)

私の父の故郷は、金沢市だ。金沢市に泉鏡花文学賞というのを知った。27日、鏡花賞に瀬戸内寂聴さん「風景の受賞が決まり、驚いた。もう90歳である。敦賀女子短大の学長を勤めたのは、もう四半世紀前である。

瀬戸内学長時代、短大の学生は400人を超え、短大が全盛期を迎えた頃でのある。私の女房も聴講生として「源氏物語」]を受講した。満杯で階段教室から放り出されたが、それでも、マイクで発する語り口が魅力があふれて、最後まで聴講したとか。感激して帰ってきた。

地域コミュニティ・カレッジとは、何か。ヒントはここにある気がする。寂聴さんはそれ以前からも、それ以降も常に全力投球で仕事に向かう人だと、感している。過日も敦賀短大を訪れ講演し、かつての学生に新たな感激を与えている。

寂聴さんの描く源氏物語は、人生の出会い、恋愛、別れ、悲しみなど、それも現代語で平易に訳していることのある。今回の受賞も素晴らしいバイタリティを感じる。

数え年90歳のいまも、その語り口には驚かされる。作家の目のすごさが分かる。同じ風景を見、同じ話を聞いても、目の付け所がまるで違う。

福井県でいえば作品で「夜叉ケ池」は有名だ。岐阜県と福井県の県境にある
夜叉ヶ池である。板東玉三郎の白雪姫で舞台や映画も制作され、その妖しい魅力に背筋が凍った人もあるのではないだろうか。

五木寛之さんが「風景」を「日常的な言葉で風景を的確に描写し、技法をいかんなく発揮した」と称賛、まだ読んでいないが、ぜひ読んでみたい本だ。

余談だが、昨日は午前、民主党県連常任幹事会、幹事会、昼からはサンピアで日本昔話学会での敦賀短大の金田講師の講演。夕方は、小口径の自転車を購入したので乗り心地を確かめた、子供みたいなもので、自転車は新車は楽しい。

明日は、みなと館の産業物産展と自転車仲間と雨が振らなければ、木の芽トンネルを超えて三国にむかう。どうも雨模様だが、これも心がけが悪いのか。
【2011/10/30】 | ページトップ↑
木枯らし1号と原子力発電
Date:2011-10-29(Sat)

世界の人口が70億人を超えた。一方で、日本の人口は、減少、福井県も80万人を切ろうとしている。不思議というより、この現象をしっかりととらえて、敦賀市を考えておくことは重要だ。

敦賀市は、この10年近く横ばいを続けている。人口動態から、早晩、人口減少に向う。取り巻く環境を正確にとらえて、将来を考えてゆく。

大事だが、人口の増える、その速度の速さに驚かされる。地球環境問題、エネルギー問題、食糧問題などいずれも難問ばかりだ。原子力発電も感覚的で感情的な議論が多すぎる。いま一度、冷静に考える必要がある。
 
そのなかというのも変だが、関西電力は昨日、定期検査で停止している大飯3号機について、全国ではじめてのストレステスト(耐性評価)の1次評価結果を経済産業省原子力安全・保安院に提出した。

地震に対しては想定した最大の揺れの強さ(基準地震動)の1・8倍まで、津波では想定高2・85メートルの4倍の11・4メートルまで核燃料が損傷せずに耐えられるとした。

国はストレステストを再稼働の前提条件としているが、報告を受けた福井県と地元おおい町は、福島の知見を反映した安全基準が明らかでないと、ストレステストだけでは再稼働は認められないとの考えをあらためて示した。原子力発電の再稼動に向けて、ひとつの段階を迎えた。

敦賀1,2号機も早晩、年末から年度はじめにかけて、ストレステストの段階に入る。安全、安心の観点から大事な作業が続く。現実を冷静に見つめて、妥当な判断が求められる。

ところで、近畿や東京地方に「木枯らし1号」が吹いた。暖かい風を運んでくる「春一番」とは逆に、木枯らしは厳しい寒さを告げる使者でもある。原子力発電の厳しさとも重なる。

 日本人は季節の変わり目に敏感。古人は木枯らしに舞う紅葉に風情を感じつつ、厳しい冬への備えをせかされてきた。この冬の厳しさは、いまも変わらない。
 
今年の寒さは、普段と違った冬備えが必要のようだ。節電対策である。北陸電力、関西電力、それぞれ事情は違うが、電力需給は厳しい季節を迎える。
 
電気はいまや、欠かせない時代だ。ストーブより安全性の高いエヤコンなど、高齢者世帯の節電対策は難しい。当面は一人一人が節電に努め、今後のエネルギーの在り方を考えていくしかないようだ。
【2011/10/29】 | ページトップ↑
気まぐれな読書週間(習慣)
Date:2011-10-27(Fri)

今は読書週間らしい。野田首相は代表選で、「司馬遼太郎から夢と志、藤沢周平から下級武士のたたずまいと矜持、山本周五郎から人情の機微を学んだ」と語った。歯切れのいい演説だった。

政治家としての素養は好きな時代小説から学んだという野田首相。ここまで堅苦しくなる必要もないと勝手に思っている。私は、そんな志とかというより、読みやすく、ランキングなど、どうしても流行に流され、当時の主流に目が行き、手が伸び、読んだだけだ。

野田首相よりひと世代前か、中高から大学まで、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」、五木寛之の「青春の門」、さらには北杜夫の「どくとるマンボウ…」と次々と書店に並んだ頃だ。これには手がのびた。

なかでも、どくとるマンボウシリーズは肩を張らずに、マンボウのように気ままに読めた。

若き日の北杜夫さんは船医として水産庁調査船に乗り組み、このユーモラスな魚を外洋で見てすっかり気に入ったという。「どくとるマンボウ」と名乗って書いた「航海記」が、作家として出世作になったのはご存じの通りだ。その面白さにつられて何度も読み返している。

だからいう訳でもないが、父の歌人斎藤茂吉らをモデルに一族の歴史を描いた「楡家の人びと」の純文学的なものまでは、手がとどかなかった。

「航海記」に始まり「昆虫記」「青春記」などと続く「どくとるマンボウ」シリーズほど、気楽に読め、ユーモアある作品も珍しい。    

マンボウのように、「怠け者で弱虫」を自認し、おどけた自己描写で読む人が気楽になった。

人気作を連発した1960年代は高度成長期のまっただ中だ。全速力で走っていた日本人に、北さんは肩の力の抜けたユーモアで安らぎとゆとりを届けてくれたとの感覚が自分にはある。

私の大学の独語の先生が望月教授と言って、北杜夫さんの青春記にも登場し、松高時代の独語の先生の息子さんでもあったこともあり、よけいに、親しみがわいた。

独語の試験は、まったく理解不能だった。北杜夫風に、「降参です…」とへ理屈を書くと、点数を上乗せしてくれ、赤点を逃れられた。北杜夫の青春記さまさまだった。

昨日か、北さんの最後の作品「マンボウ最後の大バクチ」は、是非とも読んでみたい。

いずれにしても、気ままな読書の楽しさは、経験できない世界へ、時空を越え自由に想像力を働かせればいい。魅力的な作品ほど、その世界が鮮明に浮かんでくる。

そろそろ、歳のせいか時代ものが、面白くなっている。次はどんな世界をのぞこうか。新たな一冊を求め、書店に立ち寄る。

秋の夜長は読書にもってこいだ。早朝6時も、暗く寒さがきわだつ。布団の温もりから抜け出せない。自転車で一日の始まりも「やーめた」と、ずぼらに、本に手がのびる。

寒暖の差が激しい時季を迎え、早朝も無理せず、本の誘惑に身を任せる。ぐうたらに、マンボウ的に、生きるのも、それも大事と、勝手に決め込んでいる。

【2011/10/28】 | ページトップ↑
忘れられた「原子力の日」
Date:2011-10-27(Thr)

昨日、10月26日は「原子力の日」。まったく、と言っていいほど、原子力の日の話がなかった。

1956年のこの日、日本が国際原子力機関に加盟したこと、63年の同じくこの日に茨城県東海村の日本原子力研究所で日本初の原子力発電が行われたことに由来する。

調べると、1964年に制定されている。私が中学生の頃だ。高度経済成長期。急速な電力需要の高まりとともにエネルギーの主役も石炭から石油や天然ガスへと代わった。資源に乏しく、情勢が不安定な中東に石油資源の大半を依存しなければならなかった日本にとって、未来のエネルギーとして原子力への期待は大きかった。

その後、大阪万博への敦賀1号から送電など、原子力が時代の花となった。原子力船「むつ」もこの頃、進水式を迎えている。

原子力発電は、地球温暖化の原因とされる二酸化炭素(CO2)の対策としての切り札でもあるが、その声は、いまの日本にはない。

TMI、チェルノブイリ、そして、今回の福島の事故。あまりにも大きな教訓だ。メリットとデメリットことリスクのギャップは大きい。

原子力の半世紀、原子力に夢を見、勉強し、仕事にも携わった私として、いろんなことを考えさせられた一日だった。仕事がらでもないが、リスクや問題点についても、理解しているつもりだが、福島の現実をしっかりと見つめることの大事さを感じている。

この半世紀の報道の変容は、あまりにも大きい。私には、3・11以降の報道の変容も大きいと感じている。あまりにも一方的な報道にも感じられる。けっして、福島の事故から、目を背けたり、深く考えないようにしてはいけないことは確かだが、いまだからこそ、将来を見据えた冷静な議論がほしいとの思いだ。

今年の「原子力の日」は、まったく、忘れ去られた日となった思いだ。いま一度、冷静に原子力と日本がどう向き合うのか、リスクをしっかり見つめ、脱原発ばかりでもなく、安全性をさらに高め、利用する価値を、考え直す議論も必要に思う。そのなかに敦賀の存在価値、存在意義もまだまだあると思っている。

ところで、昨日は、小説家、北杜夫さんの死去の報道が伝わった。中高と「どくとるマンボウ」シリーズを楽しく愛読した。

なかでも、青年時代を綴ったエッセイ『どくとるマンボウ青春記』は、何度も読み返した。文学以外には卓球部のキャプテンを務め、インターハイに出場し、また、日本アルプス登山に頻繁かつ果敢に挑むなどして高校時代を過ごしている。松高の寮生活も面白く描かれている。

「どくとるマンボウ航海記」も何度も読み返した。神戸の商船大学への進学や寮生活、アルプス登山など、どこかで、生き方を幼少の頃の自分の夢と合わせるかのように、まねをしている自分に気がつく。北杜夫さんが愛読したトーマス・マンも読んだが、あまりにも難解ですぐに本を閉じてしまった。それほど影響された北杜夫さんだ。あらためてご冥福をお祈りしたい。

【2011/10/27】 | ページトップ↑
地方都市のしたたかさ
Date:2011-10-26(Wed)

私は、いま、議会改革の調査のために,瀬戸内海に面した山口県防府市のJR駅前のルートインにいる。敦賀と同じように、作業員の泊客も多い。街の生き方がわかる。山陽新幹線から外れ、知名度は低いものの、産業を中心に、観光、自衛隊と、街のつぎの姿を求めている。

古くは、日本初の防府天満宮を中心に栄え、近年では、製塩業で栄えた町である。昭和に入り製塩業が廃れ、塩田の跡地や臨海部には大規模工場の進出が相次ぎ、近年ではマツダ、ブリヂストンなど輸送関連工場の進出で活気を取り戻している。敦賀と同様、少子高齢化も進むがめずらしく人口減少がない町でもある。産業誘致がいかに大事か、よく理解できる町でもある。

市内には、他に、協和発酵バイオ、東海カーボンなどの工場があり工業製品出荷額に於いては山口県内では上位にある。その上、航空自衛隊基地の街でもあり、市街地上空では練習機の姿も見られる町でもある。ただ、将来は円高など厳しい環境にはかわりがない。骨太のしたたかな生き方が地方に求められている。

夕方、防府天満宮、商店街、アーケイド街を歩いた。失礼だが、シャッター街の象徴のところでもある。車社会の到来以来、地方再生、地域商店街再生が求められ、叫び続けながら、衰退は急加速だ。対応策の決め手はない。

かつて、どこの商店街も大型店進出には猛反対だった。そして幾星霜。シャッター街になったいま、商店街活性策には大型店頼みという、かなしいまでの皮肉となっている。解決策ではないが、防府市も駅前にイオンの進出など,新たな中心市街地形成にとりくんでいる。ホテルのルートインもその動きだ。

敦賀は、幸いにも、平和堂が進出後も、改築でも、動かなかった。その後、新木崎通りなど、郊外店の進出も著しかったが、いま、ひとつの落着きを取り戻し、駅前の三つのホテルの進出など、新たな流れが出来つつある。それに合わせるかのように、駅前商店街の新たな店舗進出など、全国の地方都市とは、違う動きが見られる。

原子力発電の果実をどう生かすか、駅前の福井大学の国際原子力工学研究所も新たな動きだ。いま、新たな敦賀市を求めて、総合計画に取り組み始めたばかりだ。

その敦賀市の将来を左右しかねない国のエネルギー政策の議論、原子力発電をめぐる議論。本当に大事な時期を迎えている。骨太に取り組む、したたかさがいまほど、求められるときはない。
【2011/10/26】 | ページトップ↑
タイの洪水と中世の敦賀に学ぶこと
Date:2011-10-24(Tue)

気比史学会の歴史講座の中で戦国、中世は面白い。福井大学の松浦教授、敦賀短大の外岡教授、いずれも戦国武将も語るが、庶民の暮らしぶりも興味深い。大谷吉継の敦賀城ができるまでの敦賀平野は、洪水の連続だったらしいが、洪水が肥沃な農耕地を形成するとか。福井平野も同じこととか。

洪水を受け入れながら生活をする。水とうまくつきあう、受け入れるとの感覚だ。洪水の中で気比神宮だけは難を免れたとか。だから、そこに気比神宮があるとも。納得できる話だ。

ところで、タイの大洪水がついに首都バンコクに押し寄せた。市内を流れるチャオプラヤ川の防水堤が決壊し、1200万人を抱える首都全域が1カ月にわたり50センチ~1メートルも冠水する見通しという。

報道では、中部アユタヤでは工業団地が冠水し、日系企業400社以上が操業停止に追い込まれたとか。タイでは昨年も東北部で大洪水が発生。この30年足らずの間にこう何度も「50年に1度」が起きる。その原因とは、

現地では、農地を犠牲にした乱開発の付けが回ってきたとの懸念が強まっている。外貨を稼げる製造業を誘致しようと森林を伐採し、水田をつぶして工業団地を造成してきた。そのため国土の保水力が弱まり、洪水が起きやすくなったというのだ。近年は全国各地で洪水被害が頻発しているが、地球環境の異常気象だけが原因とは言い切れまい。

地球環境問題もあるが、耕作面積の減少も大きな要因のようだ。敦賀平野も耕作地を緑で塗った地図を数十年単位の比較で見せてもらったことがある。見事に耕作地が減少し、宅地化されてきたのが一目瞭然だ。

水上マーケットのような「水の都」が点在するタイも、中世の日本も敦賀も、昔から水と上手に付き合ってきた。経済発展で忘れかけたその大切なことに、今回の洪水は気付かせたといえる。日本も警鐘と受け止めるべきだろう。ただ、タイも日本も昔に戻ること出来ない。それだけに、備えあれば憂いなしだ。

笙の川の洪水、井ノ口川の洪水、いずれも説明がつく要因が重なる。どうしようもないでは、すまされない課題だ。県予算の関係もあり、笙の川の改修計画も遅々と進まない。ハード面の整備はもちろん、現実を踏まえながら、防災計画と訓練も大事だ。

余談だが、外岡教授など中世の古文書の指摘もあり、昨日、関西電力、日本原電、日本原子力研究開発機構は、若狭湾沿岸で過去の大津波の痕跡を調べるためのボーリング調査を福井県若狭町気山の中山湿地で始めた。美浜、若狭両町にまたがる計9地点で、約1万年前の地層まで掘削して堆積物を採取する。分析結果は、公表し、安全対策の基礎データとなる。イエスか、ノーか、感情の議論ではなく、データを積み上げた安全対策を踏まえた上での原子力発電を利用を考えるべきとも思う。
【2011/10/25】 | ページトップ↑
改正NPO法
Date:2011-10-24(Mon)

昨日は、曇り。自転車を早朝、立石に走らせると汗がにじみでる。気温、20度前後、湿度が高い。西浦のコースはアップダウンと、海と山、往復すると約30キロ、ほどよい疲れを感じることができる。書き出しを探っている。

走らせながら思い出していたのは、一昨日、市立図書館で開催された気比史学会の市民歴史講座。内容は、現在の大河ドラマにあやかってか、福井とも馴染みが深い戦国武将、柴田勝家とお市の講座。

およそ8年にわたった勝家の越前統治とわずか一年のお市の生活を古文書をもとに誠実に語ったのは、福井大学特命教授の松浦 義則 さん。中世の歴史に関しては、敦賀短大の外岡教授を上をゆく福井の第一人者だ。小説とは違った史実ともいうべき世界だが、それでも、人の世のはかなさを感じる語りだ。

話を発展させて、中世と言えば必ず登場するのが信長。敦賀には訪れている。「人間五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」。誰もが思い浮かぶ織田信長の舞の一節だ。解説すると、「人の世の50年は天上ではたった1日のことであっという間だ」とか。勝家とお市、信長、いずれも、この世のはかなさを感じる語りとなる。

またまた、前置きが長くなった。昨日は昼、勝家の福井市で過ごした。民主党福井県連の勉強会のためだ。

内容は、NPO法人への寄付を税制面で後押しする改正NPO法の勉強会。福井県、敦賀市などの各自治体の担当者を招いての勉強会でもある。

講師は、社民党から無所属、そして今月、民主党へ入党した辻元清美衆議だ。「総理、ソウリ…」の国会での追及は有名だが、辻元さんは早稲田大学時代にNGO「ピースボート」を立ち上げて以来、市民活動、NPOに関しては、日本の第一人者といってもいい。

現在、国会のNPO議員連盟の幹事長をしている。今回のNPO法改正の最大の功労者でもある。90年当時、NGO組織の実践では第一人者、この当時も原子力発電には、反対運動の最右翼。それでも、欧米のNPO法に明るかった。連合の役員と高田馬場にあった事務所に訪れてたことがある。

東日本大震災前後と成立するまでの、国会の生々しい話をなじませての全会一致に持ち込んだ経緯などの説明が続いた。東日本大震災後の復旧で、国、自治体、警察、自衛隊はもちろんだが、ボランティアの存在も大きい。その運営主体のNPOも忘れてはいけない。

改正NPO法の内容は、全国約4万3千のNPO法人のうち、寄付優遇税制を受けられる認定NPO法人は、現在、二百を超えるほどしかない。改正法は、認定NPO法人を大幅に増やすため、認定の権限を国税庁から都道府県と政令指定都市に移し、手続きを迅速化する。また「事業収入のうち寄付が5分の1以上」という認定基準を緩和し、「3千円以上の寄付をした人が100人以上」「条例指定」を加える。というもの。

改正の目的は、NPOの促進にほかならないが、寄付優遇税制の拡大とNPOの税控除で、内容は難解。活気的なことと、理解できるが、漢方のようにじわじわときいてくるのではないか。それほど、まだ私には理解不足だ。

冒頭の話に戻すが、桶狭間の合戦を前に、「人生五十年…」、信長がこの一節の舞を披露、その後に出陣した、と「信長(しんちょう)公記」などに記されている。死を覚悟しなければならない状況の中で、信長は何を思ってこのくだりを謡い、そして舞ったのか。

この世のはかなさは昔から文人らがさまざまな形で語ってきたが、達観するのは難しく苦悩が消えることはまずない。現代でも、少子高齢化に人口減少、さらに東日本大震災は、数々の試練を国民に与えている。それだけに人々の絆が大事になる。これまでは町内、消防団などの組織だが、NPOは、絆を深める新たな組織として定着するか、まさにこれからだ。

現代も「夢幻のごとく」の人の世だが、人々の絆で乗り切りたい。そのひとつがNPOだ。
【2011/10/24】 | ページトップ↑
みなと町、敦賀と、大運河計画とカラオケ
Date:2011-10-23(Sun)

昨日は、気比の松原を愛する会の恒例の清掃から始め、西地区の敬老のつどい、昼は気比史学会の市民歴史講座、夜は観光ボランティアガイドの定例会と続いた。

敦賀のそれぞれの分野でそれぞれに頑張る皆さんに敬意を表したいと思う一日だった。なかでも小浜の語り部コンテストに参加する観光ボランティアの「疋田の船川」の語り部の演習を聞くと、わずか5分間に敦賀から琵琶湖をつなぐ大運河計画を、平安の平清盛から昭和の大野伴睦まで、見事に語りあげた。皆の拍手が起こった。

大運河計画は、みなと町、敦賀ロマンともいっていい。それも千年近い未はてぬ夢でもある。

平清盛は、神戸の福原に都をつくり、今の三菱の造船所のあるところで日本初の埋め立て工事をした。水深の深い神戸の海に当時の土木技術で岸壁をつくりあげた。深坂地蔵で止まったが、財力と技術、それに執念があれば、と想像めぐらせると面白い。

千年も前の話だ。もし運河が出来ていれば日本の歴史も敦賀の歴史も、と思えば楽しくなる。

ところで、港町には、夢が多い。敦賀の大運河の夢もいいが、港町と言えば神戸だ。それだけ神戸で始まったものが多い。ゴルフも神戸が発祥の地。今でも六甲山頂に、18ホールのコースが現存している。競馬場もそうだ。

私が知るものをならべるだけでも多い。市の中心である三宮の北側に生田神社があるが、そこに競馬場もあった。マドロス相手の港のバーも、日本初めて。チョコレートの小売もそう。ドイツのパンの製造販売は、朝ドラで有名になった。

異説があるかもしれないが、スライス・チーズも六甲バター、プリンと食べ物をあげるとキリがない。
 
意外に知らないのが、カラオケ。これには異説もある。それでもいい。神戸の始まりの大半が、外国から輸入物が始めだが、カラオケは違う。神戸から上海もとより、ロンドン、パリでも世界中に広がっている。

忘年会、正月に新年会。親しい人間が集まってカラオケを楽しむ、いまやごく普通に見られる光景だ。それが世界中に広がっている。チェルノブイリ事故後に出来た町にもカラオケがあったのは驚きだった。いまや、カラオケ市場は約一兆一千億円とも。

カラオケが普及してから、音痴も歌える。また酒を飲んで酔いつぶれる人が少なくなったとも。暗いニュースばかり目立つが、大運河計画とカラオケ、まったく違うが、みなと町からみる夢は楽しい。


【2011/10/23】 | ページトップ↑
岡山県西北部の小さな街の大学と敦賀
Date:2011-10-22(Sat)

昨日は、岡山県西北部の3万3千人ほどの小さな新見市を訪れた。私は、友人の誘いで学生時代に訪れたことがある。この頃は、いまと違い4万5千人を超える人口があった。地方都市の少子高齢化という大命題に取り組んでいる。

新見市の中心地の新見銀座という商店街があったと記憶する。全国に「銀座」と名がつく商店街は400近くあるという。全国が東京の銀座にあやかろうと名付けた名称だ。地方がまだ、元気な頃の子供が街にあふれていた。半世紀の間に街の様相は大きく変わった。そこに1980年に新見女子短期大学を開学した。

看護学科、幼児教育学科、定員100名でスタートした。設置の目的は、はっきりしていたよう思う。若者を集め地域の活性化をはかろうというものだ。

ここで、学長のメッセージをHPから紹介しよう。

「本学は岡山県北西部、中国山脈の麓にあり、豊かな自然に恵まれた地域にあります。また、住民の方々の温かい人情が溢れています。したがって、新見は安全性が高く、そして、静かに落ち着いて勉強に集中できる大変良い土地柄です。

本学は2010年に創立30周年を迎えました。その間、約4000名の学生が卒業し、多くの職場で活躍し、高い評価を得ています。本学の方針として、「教育力」で輝く大学を目指しています。勉学に適する自然環境、教育に熱心な教員、学生と教員との距離の近い血の通う教育現場などの利点を生かして、優秀な学生を育てます。

本学の基本理念は、「誠実」、「夢」、「人間愛」ですが、具体的には、次のような教育を目指しています。
人間をつくる
教養を深める
専門的知識・技能の習得
本学のこれまでの実績は、ある受験雑誌の短大・専門学校編に次のように報告されています。

「資格取得のカリキュラムが充実」・・・中国・四国・九州地区で第1位

「就職支援が手厚い」・・・同地区で第2位

「就職率」・・・同地区で第1位」

と競争倍率や定員充足率もさほど落ちずに、96年には、地域福祉学科(定員50名)を加えて、順調に地域のコミュニティカレッジとして30周年を超え、昨年、看護学科を看護学部(定員60名)の短期大学に大学を併設することとなった。(なお、短大の看護学科は募集を停止) 

これにより現在、413名の学生が短大、大学に通う。街の声を聞いたいないが、この時代にあって、りっぱに地域の活性化に役立っていると評価したい。

意見交換を進める上で、大学と役所との関係や市民の理解がなによりも大事と冒頭、語ったのが印象的だった。地方都市でありながら、定員割れを起こさなかった要因は、大学の頑張りも相当なものだが、市役所、市民の協力があって、今日の大学があるものと感じた。

この点は、敦賀は反省しなければならない点だ。大学をつくるには、一生懸命だが、その後、市役所との大学のもたれ合い構造、市民理解など、今日の敦賀短大の学生募集停止につながっているとも言える。大学改革も何度も挑戦したが、現実否定から始まり、要因分析など、私も不十分なままに次の改革が行われ、失敗を繰り返しているといっても過言ではないないか。

現状の敦賀短大の評価が不十分なまま、ご和算で願いましてで、次の改革が進んでいるような気がしてならない。新見公立大学は、30年の歴史の積み重ねで、今日の大学の姿がある。

私は、敦賀短大の評価をきちんとすべきでないかと思っている。地域のコミュニティカレッジとして、十分とは言えないまでもその存在価値と意義は役割を果たしていると思っている。

コミュニティ・カレッジとは、いかなるものか、市民の税金を使って大学を運営するには、それだけの覚悟と決断が必要だ。勢いだけで、大学を設置すれば、との思いも強い。急がば回れの言葉がある。私は地域のコミュニティカレッジ、なんとか残したい。その検討と覚悟がまだまだ不足しているように思う。

【2011/10/22】 | ページトップ↑
新たな防災案30キ圏内
Date:2011-10-21((Fri)

昨日20日も素晴らしい天気に恵まれ、各務原市内にある中山道鵜沼宿の脇本陣と、アルツーハイマなど認知症の医薬で有名なエーザイの工場を視察。

脇本陣は市の予算約13億円をかけて復元。復元にあたっては、地域との話し合い、予算など議会での議論を重ねてようやく実現にこぎつけたとか。復元後も交通の苦情や維持など保存にあたって悩みも多いようだ。

視察の間、何度かトンボメールがなった。午前10時ごろの敦賀市内の松島町の火災の通報だ。約1時間後に鎮火し、焼け跡の1階から高齢の女性の遺体が見つかったとか。ご冥福を祈りたい。

現場は松原小に近い住宅密集地。細い路地でもあり、高齢世帯という安全対策は、これからの課題を突きつけたとも言える痛ましい火災ではなかったか。

ところで、防災面で昨日、原子力安全委員会の事務局は、原発から半径10キロとしているこれまでの防災対策重点実施地域(EPZ)を、一気に30キロ圏(緊急防護措置区域=UPZ)に広げる見直し案を明らかにした。

福井県内の対象は6市町から福井市を含む12市町に拡大。隣接する京都府、滋賀、岐阜県を合わせれば計23市町にも及び、モニタリングポストの増設、避難経路や手段の検討、原子力安全協定の在り方などさまざまな課題が予想される。

まだ、具体的な対策が示されていないので、国の議論を見守るしかないが、防災訓練のあり方、避難経路、避難道路など新たな課題はもちろん、事業者と結ぶ安全協定や国の交付金のあり方の課題とも重なり、まだまだ、時間がかかる大きな課題だ。

敦賀市も30キロ圏内にすっぽりと入る。避難方法や放射線量モニタリングなどの安全対策や今後避難経路や避難施設、監視体制、資機材配備、防災訓練、市職員の研修など、地域防災計画を新たな視点で作成するため、時間がかかりそうだ。

UPZという新たな区域がEPZ並みの位置付けとなるか注視していく必要があることは、これまでの防災計画とは、人の数、物量とも格段の違いがあるだけに、どうあるべきか、地域にあった深い議論と検討が必要にも思う。 

午後から、各務原市を後にして、岡山県にバスにゆられて、渋滞にもあい6時間をかけて、敦賀短大検討委員会のメンバーととにむかった。今日は、わずか3万人の街で看護学科の大学化を成し遂げた新見市を訪れる。
【2011/10/21】 | ページトップ↑
姉妹都市、各務原市と…
Date:2011-10-20(Thr)

昨日より岐阜県各務原市に来ている。平成元年より姉妹都市になり、書道、囲碁、スポーツなど文化交流など、民間部門でも交流の成果をあげてきた。議会も意見交換、交流会を重ね、今日に至っている。各務原市は、航空自衛隊、川崎重工などがあり、財政的にも敦賀市と同様、豊かとされたが、近年の高齢化により市民税の減収が目立つとか。

いずれにしても、災害時の相互扶助など、姉妹都市の役割は、有形無形に役割を増している。

ところで、早いもので、10月も半ばを過ぎると、もう冬の気配を感じる寒さだ。昼の温かさに比べる朝の冷え込みはきつい。自転車を走らせるとなおさら、風の冷たさを感じる。

11月になると、おなじみの「今年の漢字」の募集が来月から始まるという。清水寺の師走、恒例の漢字が話題になる。

今年の漢字が募集がスタートした1995年は阪神大震災や地下鉄サリン事件の連想から「震」。

米同時多発テロに象徴される2001年の「戦」。台風など天災が相次いだ04年は「災」。昨年は記録的猛暑の印象の強さを物語る「暑」。

今年は、東日本大震災を抜きにしては考えられない。いまの時点で思うのは、前向きでは「絆」、津波の被害を考慮すると、阪神大震災が「震」であったことを考えると「波」という言葉も浮かぶ。

漢字一字、考えるにしても、災害に関連する言葉が多くなっている。先月の台風12号、そして、南のタイの洪水も気象庁の観測によると、地球温暖化よの声が多い。が、タイで洪水被害については、気象庁の見方はやや異なる

洪水をもたらした大雨について、夏のモンスーンが平年よりも活発化したのが要因と分析。だが、もともと雨が多い地域で、過去20年間で最も記録的な多雨とは言えないことから、森林伐採などほかの影響も否定できないという。

地球温暖化にしろ、森林伐採にしろ、どれも人災的な要素が強い。

今年の漢字がどうなるか、そんな時期になった。
【2011/10/20】 | ページトップ↑
滋賀県の長浜市、高島市と敦賀市の協議会
Date:2011-10-19(Wed)

昨日、中央町の我が家から東洋紡のナイロン工場前をサンピアまで歩いて往復した。桜の葉が紅葉し、そろそろ秋が深まってきた。秋は移動性高気圧が周期的に通るため、気候が変わりやすいのとか。

季節感か、男心や女心の変化と結びつけることくらいが、私にはすぐに浮かぶ。が、調べると、「飽き」が「秋」の有力な語源だとは、知らなかった。シャレでもないが、「飽きがきた」と使うが、「飽き」には「十分に満ち足りること」の意味があるという。農耕民族のコメの収穫期と結びつくのか、勝手に解釈している。

秋の天候は変わりやすいことから、私には「女心」と重ねたいが、どうやらこれは「男心と秋の空」をもじった言い回しとも。

いずれにしても、変わりやすい気候と重ねることは、不謹慎かもしれないが、原子力発電に対する考えが、3・11の前後で、これほど変わるとは、それほど、敦賀にとって、今年の秋ほど、原子力発電と安全、安心を考えさせられる秋はない。

サンピア敦賀で昨日、夕方、敦賀市と隣接する滋賀県長浜市と高島市の3つの議会で組織する協議会が開かれた。

そこで、原子力発電を立地する敦賀市と隣接する滋賀県の2つの市の議会が合同で原発の安全対策に関する要望書をとりまとめまた。

県をまたがり、立地地域と隣接地域との間でこうした動きは異例であることは確かだ。

協議会で、福島の事故を受けて国に対して要望書を提出する方針で一致し、要望書の位置づけをめぐって異論もあったものの、一部の文言を修正した上で、立地地域と隣接地域が合同で住民の安全・安心と信頼の確保を求める要望書をとりまとめた。

原子力をめぐってスタンスが異なる立地地域と隣接地域の違いが、報道で取り上げられること事態、この問題の難しさがある。これも敦賀市にとって、大きな試練だが、是か非ではなく、お互いを尊重することは大事だ。

これからも、滋賀県の長浜市、高島市と敦賀市の関係は、医療、介護、観光など生活する上でも密接な関係にあり、親睦を深め友好関係を築くことは、県内の市町の関係同様に、重要だ。

原子力発電についてはまだまだ安全、安心の議論は、必要でもあり、敦賀にとって、どれほど原子力発電と密接に関係しているか、夜、開かれたささやかな交流会でも両市の議員も理解してくれていた。

話を冒頭に戻すが、気象衛星の時代だが、先人の秋に対する思いは深く、収穫の「飽き」にも通じ、気温が同じくらいの春に比べ、秋は日照時間が短く、暗くなるのが早いといいながらも、古来の表現に、現代人が遠く及ばない先人の鋭い観察眼と豊かな感性があるようにも思う。長浜市、高島市と敦賀市の関係は、生活面もさることながら、防災面、敦賀港の物流も含め、これまで以上に、必要な時代でもある。
【2011/10/19】 | ページトップ↑
県選出国会議員への要望
Date:2011-10-18(Tue)

昨日は、東京に出向き、県内9市の市議会の正副議長で、県内選出国会議員へ、それぞれの課題を要望した。

敦賀市からは、6月議会にまとめた原子力発電所の安全対策を求めた。松宮、稲田、高木、山崎、松村、糸川各国会議員から、それぞれに原子力発電に関するコメントを頂いた。

それぞれの国会議員が、9市の要望と合わせて述べるほど、原子力の課題は大きい。また、北陸新幹線の課題も共通事項だ。国土交通省の見解と財務省のギリギリの調整があることも披露された。敦賀までの認可は、民主党政権で、ほとんど進んでいない中で、北海道、長崎と合わせて、どう対処するか、12月にむけて政治力が問われる段階にきている。

ところで、昨日、県庁では河瀬市長を先頭に、県道敦賀美浜線と国道27号線を結ぶ都市計画道路の未着工区間について早急に整備するよう県に要望した。

昭和45年に着工された県道敦賀美浜線と国道27号線を結ぶ約5.8キロの道路都市計画道路・岡山松陵線は、粟野地区の約620mが40年余りたった現在もまだ着工されておらず、早期に着工するよう求めた。

舞鶴若狭自動車道と合わせて、粟野インター(仮称)もまだ認可が降りていない。今回、要望した道路と粟野インターは、敦賀にとっても重要な道路であり、そろそろ大詰めと期待したい。

余談だが、話を昨夜の国会議員との意見交換にもどすが、稲田衆議と自衛隊の話になった。原子力発電所の警備と自衛隊も、安全対策面で考えることも重要だ。北朝鮮のテロを考えると真剣に検討すべきときでもある。近隣の中国、勧告、台湾はもとより、諸外国の大半が、原子力発電所を軍隊が警護している。

警察の原子力発電所の警備も重要だが、現実の課題として、国家観や防衛論を超えた現実の問題も考えたい。

東日本大震災の後、国内の組織や個人の中で、国民の信頼度が最もアップしたのは自衛隊だ。福島の事故にも真摯に向き合った。

救助、捜索、生活支援など被災地に派遣された自衛官はピーク時で10万7千人。当初は家族の安否を確かめられないまま現場に向かい、過酷な任務に就いた隊員もいたと聞く。

私も岩手県陸前高田市でうかがった話しで、自衛隊員は被災者と真正面から向き合い、日常の過酷な作業しながらも、被災したお宅のがれき片付けを助け、ときにはともに悩みに悩み、傷んだ心潤していた若者もいたとか、意外な側面を伺った。その存在を現実の課題として受け止めて考えてみたい。
【2011/10/18】 | ページトップ↑
スポーツの一日
Date:2011-10-17(Mon)

昨日は、気温20度前後、天気もよくスポーツの秋を象徴する一日。なんと言っても第32回敦賀マラソン。相生商店街をスタート、神楽町1丁目商店街をゴールとするコースになってどれくらいか。全国から過去最多の3999人が出走した。スタート前の独特の雰囲気は、今年は行けなかったが、終了後にみせた満足感ある参加者の笑顔もいい。神楽が気比さん祭り以来の賑わいだ。

今年は、9時から中郷体育館で開催された第13回今尾杯争奪柔道大会の挨拶にでかけた。県内、石川、滋賀県の近隣の小学生の柔道大会。300人近い子供たちが集まった。私も中高と柔道をクラブ活動としただけに、青畳が懐かしい。試合前の緊張感と試合後の満足感、気だるさは、体が覚えている。

敦賀マラソンにしろ、今尾杯にしろ、準備から運営までに携わった方々のご苦労に敬意を表したい。

一方で、県外で敦賀勢が活躍した。長野県で開催された第125回北信越地区高校野球で、敦賀気比が終盤、新潟県央工を大きく突き放し11―4で勝利し、準決勝に進出。

時間があれば参加したかったのが、嶺北の勝山で昨日、開催された自転車の民間団体で運営するグランフォンド福井。昨年まで今庄、奥琵琶湖、上中、小浜、若狭を結ぶコースで開催された。

山、湖、海岸線と起伏に飛んだコースと京阪神に近い地の利もあり、参加者が三千人を超えた。そのため、来場する参加者の車で国道365線が渋滞。クレームもあり、余儀なく勝山にコースを変更。そのためか、どうか、今年の参加者は1500人とか。いずれにしても、自転車を愛好する民間団体の運営だけに、行政や警察の許可に始まり、準備から運営まで、これも大変だ。

余談だが、最近、ピスト摘発自転車が問題となっている。ロードレースの選手は、ゴールするとペダルを止めて惰力で走る。対して、トラックの選手はペダルを踏み続けて周回する。使われる自転車の違いがよく分かるシーン。先日、後輪にブレーキのない自転車で公道を走った道交法違反容疑で、お笑いコンビの名前は忘れたが、交通切符を切られた。

3、4年前から若者を中心に人気のピストは固定ギアが特徴だ。ペダルと後輪が直結し、ペダルを止めれば自転車も止まる。だが、これは理論上の話。止めるのに脚力を要し、後輪がロックして滑る恐れもある。

逆に後輪が回っていれば、ペダルも回り続ける。だからトラックの選手はゴール後もペダルを踏み続ける。速度の調整が利きにくく、急ブレーキの動作も困難。それが公道、ましてや歩道を走るとなると、歩行者には凶器でしかない。

基本的には、自転車でなく乗り手の意識の問題だ。これは、ルールもさることながら、人の命にも関わること。自転車は車両との意識に欠ける日本の交通社会の現実が、ここにも見える。

スポーツ競技は、ルールが基本。自転車のイベントも交通ルールはもちろん、自転車の整備、ヘルメットの着用など義務付けられる。柔道も礼に始まり礼に終わる。それぞれに関係者の苦労によって、大事なことが教えられる。

 
【2011/10/17】 | ページトップ↑
複眼で、鷹の目で敦賀市を見るべき時代では…
Date:2011-10-16(Sun)

昨日は、午前中、中央町の町内会館で、講演というより意見交換会。昼からは、敦賀短大で越前・若狭の漁村研究を中心に、地域史研究に多大な業績をのこされた岡田孝雄さんが逝去されて8年、その業績をふりかえるシンポジウムを聴講。

どちらも有意義な時間だった。中央町会館では、私のニュースレター(原子力と敦賀の状況、介護認定者増加と市税、はじめての避難勧告)と元気に過すための10ヶ条を題材にして話を行った。

その後の意見交換で北陸新幹線の質問があった。「敦賀に必要か、どうか」、この質問は市議のレベルを超えている。敦賀市では、市長を先頭に議会も議員の多数が取り組んでいる。

かつて、国は「国土の均衡ある発展」というスローガンを全国総合開発計画(全総)の中で掲げていた。青森から鹿児島までつながった新幹線といいながら、日本海側でも富山、金沢まで結ばれようとしている。今回の東日本大震災でも復興で東北高速道と新幹線の果たしている役割の大きさは、計り知れない。

一極集中による災害リスクを軽減すること、日本海側の代替ルートのリスク軽減は、重要な国家戦略であり、もう一度「均衡ある発展」を考えさせられる転機でもあったと私は考えている。

ここで話大きくするが、地方を見る上で重要な判断要素に地価がある。

7月1日現在の地価は全国平均で住宅地が20年連続、商業地が4年連続で下落したが、下落率は縮小した。ただ、大津波や福島第1原発事故で深刻な被害を受けた岩手、宮城、福島、千葉4県の計93地点は「判定不能」として調査を休止。その他の地点でも大幅な下落が目立った。

住宅ローン減税などで堅調に推移していた東京圏も下落率が拡大。地価持ち直し傾向にブレーキがかかった。対照的に大阪圏は転入者や企業移転が増えたため、住宅、商業地とも下落率が縮小。震災の影響が東西でくっきりと分かれた。

高知県は住宅地、商業地とも都道府県別下落率で最大となった。四国や紀伊半島では南海、東南海地震への警戒感から需要が減退しているとの見方もある。

こうした動向から見えるのは、震災リスクが地価に影響を及ぼしていることだ。地価の回復には従来の景気対策などに加え、新たに防災対応も必要となったと言える。

一方、北陸新幹線の開業をひかえ、金沢、富山の各市と福井市の路線価の格差が顕著になってきた。

また、九州新幹線鹿児島ルートの全線開業効果で、沿線の福岡、熊本、鹿児島3市で上昇する地点が目立った。新幹線は、いま、地域格差を生む要因である。下落幅は少なくなったいいながらも、敦賀市の地価は、福井市の地価に連動していることは、ここ数年を見ても明らかだ。

いずれにしても、地価は、地域の魅力を映すバロメーターでもある。もんじゅなど原子力発電所の動向、敦賀港や新幹線など、長期の目でどう地域発展を考えるか、敦賀市だけでは、何ともし難い状況にある。ある意味、百年の大計を考えると、大きな転機であるかもしれない。

「新幹線いらない」との意見も多いが、私は、その意見には組しない。今を生きる市民にはそれほど大きな存在でもないにしても、将来を考えると短絡的に答えを出すべきものでもない。戦前は、敦賀港、鉄道、戦後の復興では東洋紡を中心とする製造業、昭和40年代後半からは原子力発電と、その牽引役が変わりながら発展を続けてきた敦賀市だ。

ここは、いま、ほんとに大きな転機か、もんじゅ、敦賀3、4号建設で次ぎなる時代を迎えるか、新幹線問題と同様、じっくりと見るべき時代である。そのなかで継続的な福祉、医療、教育など、ソフト面も含め、複眼で鷹の目で見ることも必要に思っている。 
【2011/10/16】 | ページトップ↑
生活保護世帯の増加

Date:2011-10-15(Sat)

生活保護世帯が敦賀市でも増えている。相談を受けると深刻さ伝わってくる。データを調べると、2010年度の福井県内の生活保護受給者数(月平均)は3268人と、前年度に比べ15%の増加。08年秋のリーマン・ショック以降、増え方が顕著になっており、とりわけ職がなく生活困窮に陥る現役世代の受給者の増加が目立っている。

先日もNHKで、全国で生活保護を受給している人は、6月時点で約204万人、約148万世帯に上るという。過去最多だった戦後の混乱期を上回るのは時間の問題というから事態は深刻だ。

全国的には、不況による雇用情勢の悪化や高齢化、非正規労働者の増加などが原因だ。敦賀市では、健康を害して受給者も多い。社会保障費を抑えようと、窓口で申請を拒否する「水際作戦」を取る自治体もあるという。申請から受給までの期間も自治体によってばらつきがあると指摘されている。敦賀市の対応は親切ていねいである。

生活保護の大きな目的は、受給者の将来的な自立を促すことにある。ところが現状は病気であったりすることも大きく、自立とはほど遠い方も多い。健康を取り戻しても、仕事に就くための支援策となると極めて難しい。ハローワークは市の行政区分からは外れる。就労のあっせんもなかなか難しい。
 
 生活保護世帯と密接に関係する、子どもの貧困も大きな問題だ。学用品代や修学旅行費などを補助する就学援助制度の支給対象となった公立小中学校の児童・生徒は、昨年度に過去最多の約155万人を記録した。全体の15%に当たる数字だ。

敦賀市も以下の内容で受け付けている。
(1) 対象者
  経済的理由によって就学困難と認められる市立小中学生の保護者で、市が定める認定基準に該当する方
(2) 申込み時期
  毎年4月(認定期間 4月から翌年3月まで)
  その後は随時受付(認定期間 認定月から翌年3月まで)

(3) 申込み方法
  在学する小中学校で受付

(4) 援助の種類
  学用品費等・学校給食費・校外活動費等

ものの本によると、子ども時代の不利は、大人になってからも持続し、一生、その子につきまとう可能性がきわめて高いという。県内でも敦賀市は、人口の割には世帯数が多く、母子世帯も多く、頑張っても健康を害して、生活保護を受けざる世帯もある。目をはなしてはいけない現実がある。
【2011/10/15】 | ページトップ↑
避難所と耐震性
Date:2011-10-14(Fri)

月曜に敦賀を出て昨夜、戻ってきた。疲れを感じるが、興奮気味か、寝つかれない。車の運転の長さで、東日本の日の出や日の入りの時間の変化が早く、加えること、寒暖の差が大きさが、9月とはあまりに違うことを実感とした。

「秋は駆け足」「秋の日はつるべ落し」などと、今の時季感を十二分に味わった。東北では紅葉も始まり、いい季節が、今年は寒さが身に染みる季節でもある。 

ところで、今回、東日本大震災で、昨日も書いたが、高速道路の耐震性もさることながら、やはり公共施設の耐震性が、いかに大事か改めて認識した。市役所、消防署、警察署は、非常時の地域の司令塔として、どれほど役だったか。とりわけ、避難所となった学校、特に体育館の耐震性は、児童だけではなく、住民の長期の避難場所としてどれほど役だったか、計り知れない。また、津波の被害は、大きかったが、あれだけの地震があっても、耐震基準を満たす建物は高層マンションであれ、しっかりと立っているという現実だ。

これらを考慮してか、国土交通省は、これまで盲点とされた体育館の天井部など多数の人が出入りする大型施設のつり天井を対象に、地震による崩落を防ぐ耐震改修費の3分の1を国が助成する方針を固めたとか。

2012年度予算の概算要求に新規事業として盛り込み、同年度中の導入を目指すという。

東日本大震災によって天井の落下事故が続出したことを受けた対応である。災害時の避難所となる学校の体育館などは、安全性が最優先されるべき場所であることは、現場が証明した。

ただ、専門家に聞くと改修に対する助成は対症療法にすぎないとか。国交省は建築基準法施行令や技術指針の見直しを検討し、本年度中に新たな基準を設ける予定という。

同施行令は地震対策として柱や壁など骨組みの詳しい仕様を規定している。その一方、天井部分は「風圧や地震で脱落してはならない」と記載されているだけで、具体策は技術指針で示すにとどめている。

避難所となる大天井の学校体育館の安全基準は、これからだとか。敦賀市の市役所、消防署の耐震化、各学校の耐震はほぼ終えたとはいえ、細部に当たって点検することも必要ではないか。

話をもどすが、秋の気象の変化で気を付けたいのは「露」「霧」「霜」の三つと教わった。朝露が一段と冷たくなり、秋の深まりを感じさせるころとされる「寒露」は9日だった。野坂山の霧、そして…紅葉…そして、霜が降りる、秋は深くなる。本当はいい季節だが、何か気が重い。 
【2011/10/14】 | ページトップ↑
地方自治体の役割と社会資本の大事さ
Date:2011-10-13(Thr)

岩手、宮城、福島県、それぞれに被害の実態が違い、それぞれに復旧、復興のあり方も違う。そこに住み生活を営む人、それぞれに傷跡も希望も意欲も違う。被災地の現場は、現場にしかわからない苦労があり、それぞれに地方自治体が果たすべき役割は大きい。実感として思うのは、テレビ報道でその復旧、復興が伝えられるが、まだまだ、時間と労力がかかるという現実だ。

共通するとしたら、道路の役割だ。高速道路は、もちろん県道、市道、町道など、一般道の果たした役割は大きい。これからも大きい。大震災では救援物資の輸送はもちろん、自衛隊、消防、自治体職員からボランティアまで、人材をいち早く送り込んだのも高速道路だ。 

福島県では、岩手、宮城とも様相が違う。違うといいながらも、避難指示でいち早く移動できたのも、道路だった。また、緊急時避難準備区域が一括解除され、事故で避難していた5市町村の住民に帰宅へ、復旧に動き出し、古里へ向かうのも道路だった。


福島県人口の1割近い約14万4000人が避難し、仕事の関係もあり、遠く福井県、敦賀市にも避難している。敦賀市民の2倍に当たる。

ところで、避難先の市町村から福祉や保健など一定のサービスを受けるには、元の市町村から住民票を移すことが原則とされる。これを8月に制定された原発避難者特例法で、住民票を移さなくても、元の市町村と同様のサービスを受けられる制度が新設された。介護認定、予防接種、妊産婦の健診・指導など生活に関わる自治体の役割は大きい。市町村窓口で避難者への対応に格差が生じないようにすることも大事だ。

先ほども書いたが、緊急時避難準備区域が解除され、今後は原発事故の収束や除染、復旧工事などの進む。時間はかかるかもしれないが、計画的避難区域や警戒区域の縮小が段階的に進む。避難指示を受けていない地域から自主的に避難した人へ対応も課題となる。同じ立地市町としての支援のあり方も、姉妹都市の水戸市とも同じように、息の長い対応が求められる。新たな防災計画を策定するにも、まず、現場から学ぶことは多い。

道路のがれきは大半が撤去されたが、住宅地、田んぼ、畑、現実には地震、津波のまだまだ、大きな爪跡が残る。復旧、復興再出発までには長い年月がかかる。国、県、市町村は予算や権限の縄張り意識をなくし、避難者が求めるサービスを十分に自治体の果たすべき役割はあまりにも大きい。当然ながら、災害時であればこそ、住民の生の声を行政に伝えるのも議員の仕事だ。遠い敦賀からの支援のあり方、教訓は、あまりにも多い。

道路の話に戻すが、古い話で恐縮だが、ローマ帝国の繁栄と、今日のヨーロッパの繁栄の原動力は、2000年以上前にローマ帝国が築き上げた軍用道路として街道網を建設にあったと、題名は忘れたが、ものの本で読んだ。

石を敷き詰めて舗装する。人と物が活発に動き、繁栄を支えた。災害など不測の事態に備え、目的地までのルートを複数設ける。危機への対処も怠らなかった。ローマ帝国が長く続いた要因でもある。その後、欧州の繁栄、戦争、復興も全てこの道路網で、歴史を語ることができるとか。日本の歴史も街道で語ることができるが、石を敷き詰めての道路は、輸送力は格段に違う。高速道が、まさに現代の日本の繁栄と復旧・復興の基盤でもある。

舞鶴若狭自動車の3年後の開通は、敦賀にとってひとつの転機だ。北陸道に加え、産業、観光、物流、それに災害時の避難、復旧にも果たすべきことは多い。

長々と書いたが、道路網の復旧に加え、漁港はもとより港湾の復旧、復興、さらには市民生活の基本である上下水道など、社会資本の復旧、復興は、それぞれ自治体で進行速度はあまりにも違いながらも、大事さだけは共通だ。

「コンクリートから人へ」の流れもあるが、いま東北は、人のためのコンクリートとの再認識させられた。それだけに、ハードとソフトの整備に膨大な時間と労力、それに資金が必要との再認識だ。
【2011/10/13】 | ページトップ↑
寒くなってきた陸前高田市
Date-2011-10-12(Wed)

東日本大震災から昨日で7ヶ月。昨日は、各地で黙とうが行われていた。東北全域でボランティアにのべ77万人が訪れたとか。被災地も比較的落ち着きを取り戻したが、再び寒い季節を迎える。復興にかかる予算は、どこも各自治体予算の数倍から数十倍とも、なかには、それ以上とか。陸前高田市などはまだ見積りもできないとか。東北の復興には多額の経費と労力がかかる。被災地の現場は安全、安心とは何か、計り知れないものを教えてくれる。

東京から520キロ、車で約8時間、敦賀から計約12時間で陸前高田市に着く。朝晩の冷え込みが厳しい。一昨日は二十四節気の一つである寒露。早くも冬の足音だ。朝日に照らされて輝く庭草の露も、妙に冷たく感じられた。東北の冬がすぐそこまで来ている。移動販売車などボランティア的な活動も続いている。小中学校も授業が通常に戻る。

敦賀ではエヤコンとストーブ併用が多いが、マンションとなるとエヤコンが最近では多い。電気がないとエヤコンはただのハコとなる。各仮設住宅もエヤコンはついているものの、壁は薄く防寒対策が緊急の課題だ。

ただ、いまは仮設住宅の暖かい。東日本大震災の夜、明け方にかけての体に刺さるような寒さが忘れられないとか。津波の不安と家族、親戚の安否がわからず、寒さの中で不安な一夜を過ごしたとか。

地震発生とほぼ同時に全域が停電になり、津波の被害が合わなくても、全てが真っ暗な寒い夜だったとか。電気で動くファンヒーターもエアコンもその日はただのハコ、雪が舞う冬型の気圧配置。震える子どもを布団の中で抱いて温め、眠れぬ夜を過ごしたという。

暖房も布団も十分にない避難所で、悲しみに耐えながら必死に寒さと闘った人たち。また、寒い冬が襲う。

壁を断熱材で覆ったり、窓ガラスを二重にしたりなど、対策に奔走する関係者には頭が下がるが、建設当初から冬を念頭に置くことはできなかったものか。設置したのは、5月から8月、暑い盛り、それはそれでよかったが、東北の冬は厳しい。

宮城県石巻市に敦賀市の職員が派遣されている。各県、各市からも、長期に渡って復興のため、被災地に各自治体職員が派遣されている。生活基盤の市民生活には自治体職員のノウハウは欠かせない。寒い中での活動に頭が下がる。ただ、石巻市の全避難所は、昨日で閉鎖された。これもひとつの区切りだ。

5月の連休や夏休みに駆けつけたボランティアも、仕事の内容も変わり、数が激減。それでも仕事があり、ボランティアの確保が、寒さのためか、難儀が予想されている。被災者が無事に冬を乗り越えられるように万全を期すのはもちろん、支援活動もまだまだ仕事はある。
【2011/10/12】 | ページトップ↑
水戸市との災害協定
Date-2011-10-11(Tue)

今年の10月は、結婚式が増えているとか。特に東北地方の被災地では、震災や福島の事故で、延期していたカップルもあるとか。待ちわびた日を迎え、喜びはひとしおに違いない。福島県では来春まで予約でいっぱいの式場が多いとか。遠く離れた避難先での結婚式などもあるとか。

両家の親族だけを招く質素な会食形式が増えているという。なかには、披露宴を控えるカップルも多いとか。

一方でこんな状況だからこそ、結婚式、披露宴は、できるだけ元気が出るようにと考える人もいる。形は違っても、周囲への心遣いは共通する。私も父が脳梗塞で寝たきりになり、10月まで延期した記憶がある。

結婚式とは違うが、敦賀市は、昨日、姉妹都市・水戸市と災害時相互応援協定を締結した。自然災害に加え、同市が他市町と結んでいる協定では初めて「原子力災害」を明記した。災害時には人的・物資の応援や住宅の提供などを相互で行う。これは、水戸市の前市長の提案により昨日の締結となった。お互いに苦難を乗り越えようとの結果でもある。

話を結婚式に戻すが、時には苦難を乗り越えて結ばれる。これまで当たり前のようだった幸せな日を苦難があればあったで、日々を大事にすることを教えられる。未来のカップルへの最高の贈り物ではないか。

余談だが、10月10日は、確かに天気がいい。昨日も穏やかな天候に恵まれて松原神社の例大祭が挙行された。1864年、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵。朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀で捕らえら、幕府は厳しい処罰を下し、翌年、来迎寺(松原)で353人が斬首となった。

これらも含み411柱を祭り今年も水戸市、常陸太田市、潮来市の皆さんが来られ、例大祭が行われた。歴史上の苦難が、今日の水戸市と敦賀市の姉妹都市の縁となっている。これも、苦難が結びつけた縁だ。

【2011/10/11】 | ページトップ↑
穏やかな、いっぷく茶屋
Date:2011-10-10(Mon)

昨日こそ、穏やかな秋晴れの一日。自転車で国道365号線を今庄方面へ。敦賀市役所から新保まで約10キロ、JR今庄駅まで行くとほぼ20キロ。往復40キロは、前後の坂道はほどよい疲労感を与えてくれるコースだ。

市内から新保までは緩やかな登りが続く。帰りの木の芽トンネルから樫曲までは、逆に緩やかな下り勾配、木の芽川を横目に秋の田園風景が続く。これがあまりにも気持ちがいい。

途中、葉原のいっぷく木ノ芽茶屋で休憩。いっぷく茶屋は葉原地区にある葉原小学校を利用。平成18年3月に閉校した跡を住民利用しての開催だ。

この校舎を利用し、初の試みとして地元農家の野菜や、パン、小物類などを販売、「木の芽汁」の無料振る舞いや、そば打ち体験などのイベント。平成20年より重ねること7回目。秋は、新保の新米が売られる。晴れも重なり春よりも数段に人が多い。

販売物品をもっととも思うが、秋の午前中を過ごすには申し分ない。この穏やかさと秋晴れは、心の栄養となる。

ところで、農水省が選定した「日本棚田百選」に福井県には、越前町、高浜町が選ばれている。岐阜県の八百津町もそのひとつだ。規模は小さいが、新保、葉原にも棚田が目の入る。谷間の傾斜地に石積みの小さな水田が階段状に整然と並んでいる。秋の日差しを浴びた稲穂が黄金色に輝き美しい。

郷愁を呼び覚ますような景観だ。「国家の品格」の著者、藤原正彦氏は農村の姿に関してこう述べている。「我が国の文化の源泉ともいえる美しい田園が保たれているということは、農民が泣いていないこと。農民が安心して働いている証拠でもある」。棚田の維持管理ほど、地道だが大変なものはない。

昨日の旧葉原小学校のいっぷく茶屋も地元と教育委員会が懸命に支えている。工夫と知恵が集落をこれからも支える。 
【2011/10/10】 | ページトップ↑
小浜市制60周年
Date:2011-10-09(Sun)

8日は、秋晴れのもと、小浜市制施行60周年を記念式典。昼は戻って敦賀市観光ボラティアガイドのメンバーと西川知事と金ヶ崎宮で座布団集会。後、戻って小浜で祝賀会、遅く友人に会って小浜線にゆられて敦賀へ。

小浜では60周年に合わせて食の祭典「OBAMA食のまつり 大屋台村と物産展」が、もとの「つばき回廊」商業棟跡地で2日間の日程で始まった。小浜らしい取り組みだ。

小浜市も若狭松下の撤退以来、人口減少、少子高齢化の速度は速い。なんとか食い止めようと全国でも珍しい食育をテーマにかかげ、観光や食、お箸など伝統産業にも力を入れる。

食文化という意味で、つばき回廊跡地にはご当地グルメの薫製にしたサバの身を使った「サバくんピザ」や「若狭牛串カツ」「若狭のスッポン鍋」など小浜から12品、若狭町から「うな重」、坂井市から「辛みそば」が並んだとか。昨日は、ゆっくりと味あうことができなかったのが心残りだ。夜の祝賀会には、大関の琴欧洲関が来場し、花をそえた。

ところで、柿、ミカンなど秋の味覚がスーパーに並ぶ。古いが文化と食を表す句を思い出す。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(子規)

東京に戻る途中、奈良に滞在し読んだ。この後、子規の病は悪化一途をたどるが、中学で習った、この句は、秋を象徴する句でもある。情景が目に浮かぶ。小浜のひとつの生き方の参考になる。

もう一度、データをみると市制発足後の55年の世帯数・人口は8422世帯、約3万8千人。これが2010年には1万1475世帯、約3万1千人となった。高齢化の進展と若年層の流出などから、世帯当たりの家族数が減った結果だ。にぎわいづくり、中心市街地活性化、企業誘致などが同市の重要課題であることは、この人口の変遷を見るだけであらためて実感される。

小浜市と敦賀市は、嶺南における兄弟市でもある、お互いの行く末は、近くて遠い間かもしれないが、少子高齢化、人口減少は変わらない。相互の協力し合える環境がいま必要があるように思う。
【2011/10/09】 | ページトップ↑
ニーズの変化に対応した高校再編、無関心ではいけない。
Date:2011-10-08(Sat)

昨夜、坂井市に出張してきた息子が帰り、遅かったのか、持ち込んだ花粉か、くしゃみが止まらない。それはそれとして、

敦賀高校には、現在、各学年1学級、在籍生徒78名(平成23年度)の普通科の夜間定時制がある。

ホームページから、引用すると、生徒の大半は敦賀市内から通学している。生徒の多くは就業しており、コンビニ・スーパーや飲食店などでアルバイトをしながら学業と両立させている。年齢も二十歳を超え、飲食店に働きながら学ぶ女性もいる。

教育課程は、普通科目のほか古くからある商業科目も取り入れ、実社会で役立つ知識の習得にも力を入れている。敦賀高校の伝統と言ってもいい。

教員構成は、教頭1名・教諭8名・養護教諭1名となっている。教員1人あたりの生徒数は約8人であり、多いか、少ないかは別にしても、いつの時代も必要なところだ。

中学時代に不登校ぎみであったが、高校入学後はほとんど欠席もせずに元気に登校している生徒も少なくない。私の育った四国にも、定時制教育はやりがいがあると、語る同級生もいる。

瀬戸内海の島には、今も、分校が数多くあり、定時制と分校の教師生活の中でも、格別な思いで取り組んだとか。先生も熱心に取り組むことができる環境があるとか。

現在、定時制は、家庭の事情もあるが、いじめや病気、不登校など、課題を背負いながら、歩む学生もいる。そして元気に社会人に育って行く。

信頼できる仲間や教員との出会いがきっかけ。周囲の支えに励まされ、変わる学生も多い。

調べると、定時制の制度は1947年にスタートした。敦賀高校も翌年の48年に定時制をスタートさせている。教育の機会均等の原則に基づく。経済的な理由で進学困難な生徒に就学の機会を保障するのが主な狙い。やがて昼は働き、夜に通学する定時制のイメージが定着した。今では経済的理由だけではない。ニーズの多様性ともいうべき存在になっている。

少子化と世の中の変化に対応すべく、高校再編の動きが嶺南でも敦賀市でも本格化する。高校は、地域を支える原動力でもある。私もそうだが、学んだ高校には人一倍、愛着をもつ。定時制もその一つだ。多様なニーズに対応するために福井県の高校再編、敦賀市民も無関心ではいけない。 
【2011/10/08】 | ページトップ↑
病児保育の新しいモデル
Date:2011-10--07(Fri)

携帯電話も変わりつつある。スマートフォン(多機能携帯電話)の普及は著しいが、老眼が進む私には利用が難しい。拡大出来るといえ、あまりにも字が小さいからだ。

確かに、スマートでかっこがいい。使える人がうらやましくもなる。ところで、このスマートがつく言葉が増えている。スマートシティ(環境配慮型都市)、スマートグリッド(次世代送電網)など、最近は頻繁に登場する。

英語のスマートには気の利いた、賢いなどの意味も有する。これが最近は発展してコンピューター化した、高性能のという形容詞としても使われるらしい。

昨日も飯田市に引き続き、議会の文教厚生委員会で視察を続けている。小中一貫教育、病児保育…と。

東京の飯田橋にNPO法人で病児保育事業を展開するフローレンスの事務所を訪れた。

『「こどもが急に熱を!」
保育園ではあずかってもらえない。でも今日は外せない仕事が・・・

こうした悩みを抱える、働く親御さんの割合は、実に86%!この圧倒的なニーズに対し、フローレンスは全国に先駆けて、全く新しい「地域密着型」病児保育事業を展開する。

病児保育はいわば、対症療法。フローレンスは、病児保育という社会問題の認知拡大だけでなく、子育てを、病児保育を「ポジティブなもの」ととらえ直し、新しいメッセージを発信していく。…』と説明が続いた。病児保育の申し込みは、電話ではなくパソコンや携帯端末からとか。ここにこのシステムの新しさがある。

病児保育は、この福井県では、福井市や勝山市が病院に併設して行っている。保育士、看護師、医師のスタッフと、なによりも隔離された施設が必要と思っていた。ところが、病児のお宅を訪れるシステムを確立して、NPOというよりもビジネス的に展開している。

病児保育という言葉は、行政用語、一般になじみがなく、行政としてスタッフと施設と、なによりも経費がかかることから、敬遠されてきた。

敦賀市も治りかけた病後児保育は実施していたが、急に熱を出した病児は制約が多過ぎて、取り組んでこなかった。核家族化が進み、共働きが多い敦賀でも、要望がある。ただ、要望は少ないと否定的にとらえるのではなく、市立敦賀病院に院内保育を設置すること契機に、検討することも大事と思う。

仕事と子育ての両立、ワーク・ライフばらんすが「当たり前」の社会の実現、行政がどこまで支援できるか、予算面も含め課題は多い。

冒頭に戻すが、スマートの意味はかっこいいだけではなく、裏には、軽薄な、見た目だけ-というニュアンスも含まれていると思ってい。子育て支援は、これからが正念場だ。支援の進んだ敦賀も成果も含め、どこまで支援するか、その中での病児ほいくでもある。

民主党代表選を制した際の野田首相の「ドジョウ”発言」はスマートの逆受けを狙ったと言えるだろう。スマートが全知全能でないことだけは確かだ。これはおじさんのひがみか…
【2011/10/07】 | ページトップ↑
飯田市の公民館活動
Date:2011-10-06(Thr)

昨日も熊本や長野で地震。震度5と言っても慣れてしまっているのは怖い。慣れと同時に、自信とか、元気を出すことが少なくなっている。

自信ではないが、鯖江のシネマコンプレックスで映画「はやぶさ/HAYABUSA」の上映が1日から始まった。奇跡の生還を果たした小惑星探査機を題材にした競作3作品の先陣となった。来年3月に全米公開するとか。

公開中の映画は、科学者を目指す女性(竹内結子主演)を通して、開発や運用に関わった多くの人々の苦闘や喜びを描く。竹内さんの演技もさることながら、西田敏行さんが重要な役柄を演じており、親しみが増す。

それぞれが、自信を失いかけている日本人のためにも、諦めないことがなによりも大事だ、と語る。

探査機は、小惑星で採取した微粒子の入ったカプセルを持ち帰る。ただ、約60億キロを7年かけて旅した本体は、大気圏突入で燃え尽きた。本体は、燃え尽きてもしっかりと役目を果たし、結果をあとにつないでいる。

前置きが長くなったが、昨日、名古屋よりバスにゆられて飯田市役所を訪れた。目的は、飯田市の公民館活動を学ぶためだ。

飯田市の公民館活動は、全国的に高く評価されいる。戦後の公民館活動の先鞭を切って地域に自信と元気を与えてきた。

公民館は、社会教育法に基づき設置されている。飯田市では、平成19年から地域自治組織の中に位置づけられ、住民自らが地域を経営し、住民相互の学び合いが相乗効果を生むことにより、さらなる地域活性化を進めての公民館活動を行っている。例えば町内会費を敦賀でも誰もが払っているがそれ以上に、祭の準備はもとより、公民館活動に年間、一世帯三千円程度、出し合っている。

大半の公民館が貸し館的な要素が強くなる中、あくまでも住民の活動の拠点とする公民館を目指している。館長の民間委託など敦賀と同じ歩みをしながらも、活動の歴史と歩みは全国屈指である。詳しくは長くなるので後日、書きたい。

とは言っても飯田市でも高齢化は進み、地域の絆は、ここも同じように失われ、街にはシャッター街が目立つ。それを、工夫と知恵で行政が行う公民館活動ではなく、住民による専門家集団をつくって、何度となく掘り起こしを行っている。

古くは、明治5年の小学校区制定をベースに自治組織や消防団などが創られながらも、中央集権的に一律的に教育が文科省を中心に行われ、地域社会を育んできた。

今、こうした日本社会が揺らぎ、逆に江戸時代にあった、それぞれの地域で生きる自信や元気ともいうべき、地域力が失われはじめて久しい。だから地方分権とも言っても進まない現状がある。そこに東日本大震災、地域そのもの崩壊という現実を突きつけられた。

大げさかもしれないが、「はやぶさ」の自信と飯田市の公民館活動は、足元からの日本を見つめ直す機会になった。

余談だが、飯田市の「イイダ」は、「結いダ」の意味とか。結(ゆい)が語源とか。結びつきが今、地域に社会に求められている。
【2011/10/06】 | ページトップ↑
冬の節電
Date:2011-10-05(Wed)

話題に苦労している。感覚的な言葉で始める。月替わりと同時に、とりわけ朝晩は肌寒いくらいである。布団から出るなり、思わず「寒っ」と独り言。

天気予報でも今週は気温の低い日が続くという。市役所では月末まで、クールビズで、今年は取り組むとの方針。だが、市内企業ではネクタイをはめた姿が目立ち始め、複雑な感覚だ。

昨日、敦賀市議会に訪れた成田市議会のメンバーもネクタイ姿、迎える側として、これも空気が合わない。旧27号線沿いのユニクロをのぞくと、秋ものから冬ものへ、動きは速い。

夏の節電効果が、北陸電力より数%と公表された。市役所は先導的役目か、10%を超える。ただ、これからむかえる冬の節電は夏場より難しいといわれる。

理由はストーブからエヤコンの流れが急なのと、早朝から深夜まで暖房需要がある上、電力需要のピークも朝と夕方に2度ある「ふたこぶ形」のためだ。それでも、冬の電力需要を考えると、節電が大事になる。

ユニクロでは、家の中で着られる肌触りの良いダウンジャケットや、最先端技術を導入した保温肌着など、あったかエコライフをサポートする商品が次々と登場している。
 
市役所は先導的役割でこれからも徹底した節電が要求されるが、一般家庭では、どうなるか、国民生活センターの全国調査で、全年代で男性より女性が夏の節電をしっかりと実践している。私は、寒さに弱い。自転車ウエアも冬ものを用意する。仕事もウォームビズならぬネクタイをして、明日から、飯田市へと行政視察に向かう。

ところで、河瀬市長は昨日、文科省で中川正春文部科学相と会談し、本年度中の40%出力確認試験が見送られた高速増殖炉「もんじゅ」について研究開発の継続を要請した。中川文科相は「少し休憩して、安全をもう一度確認していきたい」とあらためて説明する一方、運転再開に向け努力したいとも述べたという。

最終的には、原子力委員会の原子力政策大綱見直し、経済産業省の総合資源エネルギー調査会のエネルギー基本計画見直し論議を踏まえ、野田政権として方針を決めていくとした。中川大臣は、副大臣時代からもんじゅには、力を入れて頂いた方だけに、その手腕に期待したい。

原子力は、福島の事故で、原子力ルネサンスの時代から一挙に冬の時代へ。現場としては、さらに安全性を高めることは当然としても、東京の各種会議では、いままで続けてきたことを冷静に見つめ直し、日本の実情にあった選択を期待したい。

秋のつるべ落とし的な議論は、ごめんこうむりたい。
【2011/10/05】 | ページトップ↑
冬が近い実りの秋
Date:2011-10-04(Tue)

10月を迎えて、急に寒くなった。自転車を走らせると、起きたてに風を切ると寒さは冬並だ。今日は15℃を切っている。円高も高止まり、景気も寒さをましてきた。

こんな中、菅前首相は四国霊場八十八カ所を巡る「お遍路」を再開、昨日は、愛媛県今治市の57番札所「栄福寺」などを訪れたとか。四国は四つの国と書くほど、言葉も文化も違う。それだけにお遍路は苦行というよりも楽しみとなる。年金未加入問題で党代表を辞任した04年以来、自分を見つめ直す目的で始めた巡礼は今回で6度目。

宿坊などに泊まりながら9日まで歩き続けるそうだ。多少は、パフォーマンス的なところもあろうが、前首相と言えども「同行二人」と書かれたすげがさに白装束姿は、誰もが似合う。特に秋の四国路に似合う。私もいつかは巡ってみたいと思っている。

ところで、先日、訪れた高岡市は、海とともに、三千メートル級山々が見えるところだ。それも雪が見え始めると美しさを増す。海から三千メートル級が見えるのが、世界で三ヶ所とか、イタリアと米国とか。外国は見ていないが、「海・立山」は、素晴らしい風景だ。

また、山形県の蔵王も初冠雪とか。富士山の初冠雪は、2003年に麓の河口湖測候所が無人化されてから甲府地方気象台が観測で行ない、曇っていると観測できず、24日早朝になって確認したという。敦賀測候所がなくなって何年がたつだろう。桜の開花宣言はなくなった。野坂山の初冠雪はいつだろうか。

いずれにしても、今年は冬が近いのではないか。秋を感じ、少々大げさかもしれないが、新米を食べるとつくづく、日本に生まれてよかったと思う。やはり近所で採れた地元産コシヒカリの米が一番うまい。

炊きたての新米はきらきらと光り、口に含めばみずみずしい甘みが広がる。おかずはシンプルな方がいい。と言いながら、この寒さでなにより熱燗がうまい。新米も日本酒もうまい。秋刀魚もうまい。ついつい飲み過ぎてしまう。

かくして「天高く…」のことわざが身に染みることとなる。

最後に、一昨日の角鹿中学校の吹奏楽部の壮行発表会で参加者を「800人近い」と書いたが、実際は800人を超えていた。この場を借りてお詫びしたい。選挙の動員で800人を集めることは相当難しい中、北地区を中心に地域の方々中心に老若男女が集い、それもほとんど経費をかけることなく、これほどの集まりができ、聴衆も中学生の演奏に感動を得て帰っている。暗いニュースが多い中、学校と地域が一体となった元気のでる活動に敬意を表したい。
【2011/10/04】 | ページトップ↑
地方都市の現状と増税論
Date:2011-10-03(Mon)

昨日は、午前中、高岡市の視察、しらさぎの特急で敦賀に戻って立石と自転車を走らせると、風はいつの間にか秋を通り過ぎての寒さを感じる。夜は、文化センターで角鹿中学校の吹奏楽部の壮行会発表会。全7曲に加えアンコールを聴かせてもらった。中でも、コンクールの自由曲の交響組曲「風の谷のナウシカ」3章は、感動ものだった。参加者800人近い聴衆は、拍手を繰り返していた。練習の成果はあがっている。成果を待ちたい。

午前中、視察した高岡市。昨年11月に「歴史都市」の認定を受けている。詳しくは、高岡市策定の「高岡市歴史的風致維持向上計画」(市歴史まちづくり計画)が、「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(通称:歴史まちづくり法)に基づき、国の認定を受けた。補助金を受けて歴史的資産を整備する。

北陸では平成21年1月に認定された石川県金沢市に次いで2番目。計画の認定で「歴史都市」を掲げることができる。これで認定都市は全国で計26市町となった。平成26年度の北陸新幹線開業と合わせ、観光振興にも期待が高まっている。

一方で、合併で20万人あった人口が、現在は17万人に減少。駅前商店街もシャッター街が目立つ。

現在、JR高岡駅周辺の整備が続けられている。敦賀駅前にもあるマンテンホテルも新しい。立体駐車場や駅前ビルと整備が続けられている。駅整備と合わせ、細かくは避けるが敦賀駅駅、駅前整備の参考になることが多い。高岡駅前整備もまだ地域に馴染んでいない。歴史都市と駅前整備、新幹線26年開設と合わせ、懸命に生きようとする地方都市の実情を垣間見た。敦賀市の状況も環境は違うが同じような状況だ。

ところで、テレビ報道では増税論がにぎやかだ。増税を口にした途端、逆風が強くなる。記憶に新しいところでは消費税を導入した竹下内閣、消費税を3%から5%に増税した橋本内閣。選挙によって即座にしっぺ返しを受けた。

今回の野田内閣。東日本大震災の復興財源を賄う臨時増税案を打ち出した。社会保障・税の一体改革による消費税の増税も俎上に上っている。「増税原理主義者」の異名がある野田首相にとって、環境が整っているともいえるがどうだろう。

筋金入りの増税論者である与謝野馨前経済財政担当相は、「大国が滅びる時は必ず財政悪化がある」。国の借金が1千兆円に迫ろうとしていることを思えば、それはそれなりに説得力はある。それでも、逆風の議論は、続く。

日本全体の状況と疲弊する地方都市、相通ずる中で、どう生きて行くか、選択肢は、それほどない。いずれにしても、全体をみて、それも長期的な視野をもって、敦賀を考えなければならない時代だ。これまで通りの成長路線ではないことを肝に銘じよう。
【2011/10/03】 | ページトップ↑
自転車の安全ルール
Date:2011-10-02(Sun)

昨日は民主党北信越ブロック議員団研修会。富山県高岡市にいて、新潟、長野、富山、石川、福井県の地方議員団が集まり、研修を受ける。テーマは2つ。ひとつは、原子力防災。2つは、新幹線・並行在来線対策。このテーマは、また後日、書きたい。

今日は、一昨日、プラザ萬象で行われた秋の交通安全大会を取り上げたい。来賓の挨拶で議会を代表して祝辞を述べることとなった。昨日も、朝、自転車を走らせると、道路の左側で自転車が対向することとなった。つまり自転車は右側通行をしていたわけだ。乗っていたのは、高校性だ。

自転車は道路交通法で「車」(軽車両)として扱われ、車道の左側を走るのが原則とされている。だが現実は右側通行の自転車が結構多く、原則が周知されていないことを日々危ない思いをしながら実感している。l

道交法はまた、自転車が歩道を通行できるのは(1)道路標識などで指定された場合(2)幼児や児童らが運転する場合(3)車道や交通の状況から、やむを得ない場合-と規定。その際、車道寄りを徐行しなければならないとしている。

しかし、自転車は通行可の所に限らず歩道を走ってよいと勘違いしている人は少なくない。そこから、ベルを鳴らして歩行者を追い立てたり、スピードを出して追い越したりといった迷惑で危険な行為も生じる。自転車は自動車に対しては弱者だが、歩行者にすれば強者である。

夜間の無灯火、携帯電話を使いながらの走行、傘差し運転、横並び走行…。こうした違反も相変わらず目立つ。飲酒運転による事故は事件となる。また、最近では、かっこよさを求めて、ブレーキを外した自転者もあらわれた。

一昨日、9月30日で終わった秋の全国交通安全運動の重点の一つは、「自転車乗車中の事故防止」だった。車のドライバーはもちろん自転車の利用者にも、引き続き交通ルールの順守が求められる。

自らも含め、ルールを守ること誓い合いたい。  
【2011/10/02】 | ページトップ↑
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