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がん患者100万人時代
Date:2019-01-19(Sat)

昨日は連合福井嶺南地域協議会と敦賀市職員労働組合の旗開きがプラザ萬象の大ホール、小ホールであった。同時刻の開催で両方のかけもちは失礼だがある意味、都合よく行き来できる。今日も含めそろそろ新年会も終わりに近い。
ところで新聞によると2016年にがんと診断された人は99万5千人で過去最多を更新した。施行された「がん登録推進法」に基づき、全てのがん患者を追跡する「全国がん登録」のデータを厚生労働省が初めて分析して分かった。
患者の増加は高齢化が主な原因で、当面この傾向は続くとみられている。ただ、早く見つけて治療すれば生存率は高まる。
女房の両親は膀胱ガンを何度も経験していた。義母は最後に膀胱の全摘出となり体に袋をつけての不自由はあったが、転移が発見され抗がん治療で肺炎になり亡くなった。

 
 
話を戻すと ガンは、予防や治療以外にも多くの課題が浮かび上がっている。

国立がん研究センターが昨年末に公表したがんの終末期医療に関する調査では、患者の42%が亡くなる前の1カ月間に痛みや吐き気、呼吸困難などの苦痛を訴え、介護した家族にうつの症状が出る例も17%に上った。経験するとの本人も大変だが家族も向き合っていると精神的にも不安定になる。

終末期の痛みも悩ましい。完全に取り除くのは難しいにしても、緩和ケアを強化し、患者や家族とのコミュニケーションを充実させていくことで改善は図れるはずだ。

がんは日本人の2人に1人がかかり、3人に1人が死亡する国民病だ。「新規患者100万人」の時代と真正面から向き合う時代になる。。

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【2019/01/19】 | ページトップ↑
備える力、インフルエンザから地震まで
Date:2019-01-18(Fri)

インフルエンザが増えてきた。市内の中央小学校、松原小学校で学級閉鎖中のクラスがある。県内ではインフルエンザ警報も出された。

ところで、昨日は阪神淡路大地震から24年。昨年は、豪雨による水害、巨大台風、そして大地震とさまざまな災害がこの国を襲った。「災害列島」に住んでいることをまざまざと思い知らされた。

阪神大震災の死者の9割近くは、倒れた家屋や家具の下敷きになったことが原因だった。被害が集中した、1981年以前の旧耐震基準で建てられた住宅の耐震化を進める必要があるが、敦賀市も旧市街地を中心に耐震化された住宅は少ない。

また、昨年7月の西日本豪雨では、地域の助け合いがいかに大切かを改めて胸に刻んだ人が多かったろう。浸水した倉敷市真備町地区などで住民による救助が力を発揮し、自主防災組織がいち早く避難を呼び掛けたところもあった。いざというときに支援を要する高齢者や障害者がどこで暮らしているかを、日頃から地域が把握しておくのが大切だ。防災意識は高まったが、地域によってのその差は大きい。

被災者支援は国や自治体がまず担うべきなのは言うまでもないが、大規模災害が相次ぐ中、行政による公助に限界があるのも事実だ。阪神大震災の教訓として自助、共助の意識も高めたい。














【2019/01/18】 | ページトップ↑
終末期医療と緩和ケア
Date:2019-01-17(Thr)


横綱稀勢の里が、現役を引退した。稀勢の里は新横綱優勝を飾った2017年春場所に左胸などを痛め、その影響で翌場所から8場所連続休場、そして本場所の3連敗など、本当につらかっただろう。

ケガや病気は家族にも悩みとなる。義母、義父ともには膀胱がんになり10年以上、闘っていた。国の統計によれば、2017年の死亡原因の1位はがんで心疾患、脳血管疾患と続く。いずれも経過が年単位に及ぶことが珍しくない病気であり、認知症とも向き合っていた。家族が介護、医療と選択も含め重い選択を背負う。

ガンといっても治療の選択肢は近年、医療の進歩もあって増えている。ただ多くはプラス面マイナス面があり、自分の事情と照らし合わせて選ぶ必要がある。その自己決定を支える仕組みが、今の医療現場ではとても十分と言えない。

市立敦賀病院では多職種で構成する緩和ケア委員会(緩和ケアチーム)を中心に患者さんの症状に応じた緩和ケアをガンになったときから行っている。また、緩和ケアチームが主体となってキャンサーボード(症例検討を行う会議・ミーティング)を開催し、患者さんの症例に応じた最適な治療を行っている。地方病院としても頼もしい。

先日、新聞を読むと、人生の終末期にどんな医療やケアを受けたいかについて、日ごろから家族や医療者と話し合いを重ねる「アドバンス・ケア・プランニング」という取り組みを厚生労働省が広めようとしている。

昨年11月には公募で「人生会議」という愛称を決めた。これから毎年11月30日が「人生会議の日」になるという。

社会の「高齢多死」化が進み、単身の高齢者も多い。本人の意向を知る人がいなければ、拒否したかった医療行為が終末期に行われることも考えられる。

ただ気にかかるのは、話が一足飛びに終末期に行くことだ。多くの人は、死亡する前に病む。終末期もできれば、受けたいケアを自分で選びたい。だがそこに至るまで、納得いく決定を積み重ねることがなければ、なかなか難しいのではないか。
【2019/01/17】 | ページトップ↑
平成の新成人
Date:2019-01-16(Wed)

成人式を迎えた新成人と話をする機会を得た。意外に失礼だが明るくしっかりしている。

新成人いわく、「ある新聞で新成人が[将来に希望を持てない]と書いていたが大人の論理で語らないでほしい」とのこと。

確かに新成人が生まれた1998~99年は、バブル経済がはじけ、日本が暗いトンネルの中でもがいていた頃。景気は一時、持ち直したが、リーマン・ショックで世界は同時不況に陥り、敦賀市は東日本大地震の影響を受けて、8年近く景気や雇用、人口減少が続いている。

余談になるが、昨年12月28日現在の敦賀市の人口は6万6千人ちょっきり。これを切るのも時間の問題だ。

「失われた20年」から経済成長はずっと続き、今日より明日の方が給料は上がり、暮らしは良くなる。そう信じて走ってきた我々、昭和世代の「昭和」の価値観は崩れた、と語るが、ホントにそうだろうか。

この間、人口は減り、高齢化が進み、それが「平成」という時代というだけで片付けられない。。

古いが、私の好きな宮崎駿監督のアニメーション映画「紅の豚」の主人公が操縦する飛行艇は木でできていた。その図面を見た若い女性設計士が驚く。

「木の性質をよく知ってる」と。

私には見えないが意外に新成人に「しなやかさと強さ」が備わっているように思う。看護大学でアルバイトをしながら苦学生として大学生活を姿がある。









【2019/01/16】 | ページトップ↑
放課後児童クラブの条件緩和
Date:2019-01-15(Tue)

先日、高齢女性から現金600万円をだまし取ったとして、滋賀県警彦根署は1月9日、詐欺の疑いで敦賀市児童家庭課の臨時職員が逮捕した。事実関係は不明なのでこれ以上の言及は避けたい。

まったく関係ないが、放課後児童クラブのニーズが年々、高まる。敦賀市も条例に基づき運営し、全国一律で一カ所につき二人以上の職員の配置が義務付けられる。2020年度ごろから独自の判断で条例を改正し、一人が可能となる見直しが国で検討されている。

共働きなどの留守家庭の児童を放課後や学校の長期休暇中に預かる。児童は宿題をしたり、遊んだりして過ごす。日常生活の一部となるため、学校とは異なる子どもの素顔が出やすい。一方でいじめなどの問題もあると聞く。

基準では、一カ所当たりの児童数は、おおむね40人以下としているが、職員のうち一人は保育士や社会福祉士の資格、教員免許などが必要となる。私の友人も定年後、職員となって働いているが、それなりの問題も多いとか。

どこかで頭打ちから減少に転ずるが今は利用希望は年々伸びている。

基準の緩和は昨年12月末に閣議決定された地方分権改革の対応方針に盛り込まれた。提案募集方式により全国知事会や全国市長会などから寄せられた改革案を、政府が認めた。提案した理由の一つは、職員のなり手が少ないことだった。職員を一人にする分、施設を増やせる。人手不足や待機児童の多さに悩む市町村は恩恵を受ける。
 
施設の職員減少には不安の声が残る。あくまでも施設の子供の安全、安心が最優先だろう。

政府は今年の通常国会に関連法改正案を提出する。
【2019/01/15】 | ページトップ↑
晴天の船出(675名の成人式)
Date:2019-01-13(Mon)

昨日の天気。雪なく、風なく、冬の暖かな日差し。私も何度か成人式に来賓として出席させて頂いたが、これほどの晴天はない。

プラザ萬象にて、敦賀市の第70回成人式。敦賀では昨年より5名多い、男性336名、女性339名の計675名の成人、あらためておめでとうございます。

荒れた成人式も各地であったが、ヤジこそあったが、今年も落ち着いた雰囲気でご家族で友達同志で写真におさまる風景はいつみても微笑ましい。

私の成人式は冬の玄海灘の乗船実習の真っ最中で男ばかりなかでゼンザイで祝ってくれた。これも思いで深い。ゆれる成人式は体が覚えている。

同じように、大人への船出に新成人がこぎ出すこ社会には多くの困難が待ち受けていることは確かだ。

日本は人口が次第に減少する一方で、「人生100歳」時代を迎える。若者の数は激減し、若い世代への負担はますます重くなる。敦賀市も同様だ。

確率的には南海トラフ巨大地震はいずれ、この列島を襲うだろう。今に生きる私たちは、これまでの教訓を次世代につなぐ使命を負う。

貧富の格差が拡大し、分断と対立をあおる言動は深刻さを増している。人工知能(AI)などの情報革命は歴史的な転換を社会にもたらすだろう。そうした中で目標や希望を抱き、自分らしく生きるには、自ら行動して考え、歩く道を判断するほかない。

「18歳選挙権」は既に導入された。今年実施される地方統一選が4月には行われる。選挙は一人の選択がより良い社会を築く礎となる。

余談だが大相撲の稀勢の里、いきなり土、前途多難だがぜひ復活を、願わざる得ない。
【2019/01/14】 | ページトップ↑
原子力人材の維持と敦賀の役割
Date:2019-01-13(Sun)

先月、三菱重工業神戸造船所を久しぶりに労働組合のひとつの団体であるゆうあい倶楽部の皆さんで訪れた。神戸造船所は三菱重工業発祥の地であり、ものづくりから日本の象徴である造船、そして原子力の二見工場も加わり、その発展拡充は、敦賀市での港と原子力の発展ともつながる。

ただ、三菱重工は、グループ間で事業集約を進め、神戸造船所からは、花形の造船部門撤退、その代わりジェット機部門、そして原子力部門の二見工場集約化へと。その二見工場はかつては蒸気発生器など大物機器がならんでいた。それが原子力発電の事故対策用のタンクくらいで、かつて、狭いと感じた工場も広々と感じた。

一方で、政府と企業が一体で進めてきた原子力発電所の輸出政策が行き詰まった。三菱重工業がトルコで、日立製作所が英国でそれぞれ進める建設計画は費用の増大などの理由で継続が厳しくなったとの報道が伝えられた。

政府が原子力発電の輸出を成長戦略の一つに位置付けたのは、インフラビジネスとしての規模の大きさもさることながら、新設計画がない国内では維持が難しい原子力発電の技術を人材も含め輸出で守る狙いがあった。

日本が原子力発電を使い続けるためにも、どのように技術を高め、担う人材を育てていくのか。技術・産業基盤を維持するための方策を早急に考えねばならない。

一方、新興国の原発導入に際して、資金の提供や燃料の供給・処理まで丸抱えで請け負う。実績を積み上げる中国やロシアとの競争力の差は開くばかりだ。

エネルギー利用の指針となる政府の「エネルギー基本計画」は、30年の全電源に占める原発の比率を20~22%と定め、重要電源として使うことを確認した。

そのために当座は既存原子力発電所を再稼働させても、老朽原発はいずれ廃炉の時期を迎える。その先はどうするのか。原発の建設には長い時間が必要だ。しかし、今年のエネルギー基本計画の見直しでは、新増設の議論を素通りし、敦賀3、4号の本格着工は見送られたままだ。

廃炉技術も大事だが、地球温暖化を考えると福井大学附属国際原子力研究所や白木に建設予定の試験研究炉など、人材育成は、敦賀3、4号など新増設が始まったときの人材の確保、技術水準の視点から重要だ。


【2019/01/13】 | ページトップ↑
兼高かおると新ムゼウムのこれから
Date:2019-01-12(Sat)

白黒テレビで子供の頃、日曜日の午前中になんとはなく魅力にとりつかれて観ていたテレビ番組があった。パンナムの旅客機の映像とテーマ音楽が流れてくると、条件反射のように胸が躍った。優雅なナレーションとともに、世界を飛び回るさっそうとした日本女性が映し出されるた。

田舎の四国でいながら未知の国へ。「兼高かおる世界の旅」。異国の様子もさることながら、何よりもまぶしかったのが、案内役の兼高かおるさんだった。おぼろげな記憶だが、リトビアか、リトアニアのバルト三国まで足を兼高さんは足をのばしていたように記憶する。

話は変わるが、東京新聞に「模造「命のビザ」救いの証し リトアニア公文書館が保管」と題してーーー

「命のビザ(査証)」を発給した杉原千畝(ちうね)(一九〇〇~八六年)が領事館を退去して以降も、他の人物が模造する形でビザが発給され続けたことはあまり知られていない。その「模造ビザ」が、リトアニアで保管されていることが分かり、記者が現地で確認した。ユダヤ人らの手による精巧な模造ビザは、杉原の知らないところで計五百通近く作成されたとみられ、数百人が出国を果たした可能性があるという。ーーーという興味深い記事があった。

新ムゼウムの建設もさることながら、「杉原千畝」の研究を進めていく上で学芸員の存在も欠かせない。小さな敦賀市だが中身の充実は大事な要素だ。


話は戻すが兼高かおるさんと言えば、世界の著名人と臆することなく対話したかと思えば、路地や山村の人々の家をアポなしで訪ねて一緒に食事する.ただ単なる旅行番組ではなかった。庶民感覚というか、その国の普通のおばさんの会話も伝えていた。また、その国の背景やら時代の変遷も伝えていた。

訪れた国は150カ国超。出掛ける前に必ずその国の習慣、タブーを聞いた。「違う」ということを認め合う。世界平和を考えるヒントも旅から得たという。新ムゼウムに必要な要素だ。

世界は広いのとどこか平和の尊さを教えてくれた兼高さんのご冥福をお祈りいたします。
【2019/01/12】 | ページトップ↑
栄光の歴史にひとつの区切り(敦賀港線の廃線)
Date:2019-01-11(Fri)


8日に現役引退を表明した女子レスリングの吉田沙保里選手昨日、記者会見を開き、オリンピック3連覇や国民栄誉賞受賞など数々の栄誉に彩られた現役生活を振り返った。吉田さんらしい生き方ではなかったか。

後輩からも「今の私があるのは沙保里さんのおかげ」「肩の荷を下ろし、少しゆっくりして、新しい人生でも不屈の精神で前向きに明るく頑張ってほしい」と、持ち前の明るさと得意の「高速タックル」で、第二の人生に突き進むに違いない。

同じと言わないが、敦賀の歴史にひとつの幕が降りた。120年あまりにわたって走り抜き、現在は運行停止となっている敦賀市のJR貨物の専用線「敦賀港線」が、ことし4月に正式に廃止されることになった。敦賀の鉄道と港のひとつの栄光に終わりとも言える。さみしいがこれも歴史だ。

JR敦賀駅と敦賀港駅の2.7キロを結ぶ「敦賀港線」で、戦前には東京とロンドンを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が走った。まさに敦賀の栄光の歴史でもある。

「敦賀港線」は、貨物駅と港を結ぶ物流を担って全国でも珍しいモーダルシフトのできる線路でもあった。観光客移動の手段としても議会でも何度か、取り上げられたが、貨物の取り扱い量の減少にともに、平成21年から運行を停止していた。北陸新幹線の工事で一部、線路は撤去され事実上の廃線がつづいていた。

貨物駅はいまでは貴重な鉄道遺産もある。ランプ小屋と合わせて後世に残し、湊線も一部残し、新ムゼウムとともに新たな敦賀市の観光の拠点として復活を期待したい。
【2019/01/11】 | ページトップ↑
敦賀の昭和を語る一枚の写真
Date:2019-01-10(Thr)

敦賀の昭和を語る一枚の写真がある。敦賀市立博物館、当時は大和田銀行の外壁が空襲を避けるために黒く塗られ、屋上に米軍の星条旗。昭和20年頃の写真だ。これほど衝撃的な写真は見たことがない。

屋上に星条旗だが、戦後復興前の敦賀の力強さを感じた。一つの根から生まれた二つの時代をもつ。それが昭和と思う。

二つではありながら、表現はまずいが「臍(へそ)の緒(お)はつながっている」と思う。富国強兵と殖産興業。デモクラシー運動と大衆文化の華。明治、大正はおよそそんなイメージで語りやすいが、昭和という時代の色は敗戦の前と後とで劇的に変わる。といって、切り離そうにもそうはいかない。

人の記憶にも鮮烈さは残る。私の父は金沢の明治30年生まれ、明治38年の日露戦争のちょうちん行列を語り、母は東京で大正3年に生まれ、大正12年の関東大震災の光景を語っていた。

年明けからの新聞やテレビで、平成史とともに再び昭和が論じられている。30年の距離をおき、初めて見えてくるものもある。さらにいえば、その時どきの世相や価値観によって歴史はまた違った見え方をする。いまは輪郭さえおぼろで、ひと言では言い表せない平成時代を、30年のちの人々はどう振り返るだろうか。

今度の新ムゼウムは、敦賀の明治、大正、昭和を語る敦賀港駅舎と税関旅具検査所、大和田回漕部、ロシア義勇艦隊の4棟を復元した外観の建物を整備する。平成の時代を飛び越えてどんな顔を見せるか、語るか。
【2019/01/10】 | ページトップ↑
「人道の港 ムゼウム」の移転拡充案を賛成多数で可決
Date:2019-01-09(Tue)

「人道の港 ムゼウム」の移転拡充問題で管理費の収支赤字の削減を1220万円圧縮する再提案で臨時会が昨日、開かれた。

10時の本会議から予算決算常任委員会、午後4時半再開の本会議、提出された案を賛成多数で可決。午後5時に全での日程が終了。

議会冒頭、提案理由で渕上市長が「『ムゼウム』は北陸新幹線開業の受け皿として必要不可欠だ」と述べ、事務管理費の削減や広告収入などで赤字額を1220万円圧縮するなどとした提案があり、私はこれを評価し賛成した。

市では今後、移転後の「ムゼウム」を指定管理方式にするか、市の直営方式にするかなど運営方法について有識者などと協議した上で、今後の運営にあたる。

昨日の予算決算常任委員会の分科会で、金ヶ崎周辺整備計画の中でのムゼウムの存在や相乗効果やムゼウム本体建設費用など、まだまだ検討しなければならない課題は多い。

飛躍かもしれないがパスカルの言葉で「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と言って、思考する存在としての人間の偉大さを言い表した。

全体計画はまだまだ不透明な部分が多いが、国の景観刷新まちづくり支援を受ける敦賀市の立場で今回の否決は全体計画の中核だけに金ヶ崎周辺整備がすべてなくなるといっても過言ではない。

考えながら走りながら、計画、設計、実施もありうる。そこには財政事情予算獲得という難しい局面を考慮しながら関係者の今後の計画立案に期待する。

なお、昨日のブログで国境スキー場の営業が停止されたと書いたが、いま、中止することなく盛況に営業されている。昨日のブログを一部訂正し、お詫びします。
【2019/01/09】 | ページトップ↑
スキー人口の減少と敦賀
Date:2019-01-08(Tue)

「寒の入り」を過ぎ、寒さを増してきた。いよいよウインタースポーツのシーズンが本格化する。

だが敦賀にあった国際といったスキー場は営業を停止、国境スキー場は経営者は変わったが、今も盛況に運営を続けている。ただ、スキー全盛の頃を知る我々世代にはどこかもの足らない。スキー人口の減少も大きい。それに温暖化でスキー場には雪もない。子供をつれて国境に国際にマキノへと行ったのが懐かしい。冬はスキー、夏は海水浴と行ったのが懐かしくなってしまった。

ところで、懐かしいと言えば昨日は「七草」。一年の邪気を払い、万病を除くとして、朝に7種の野菜や野草を入れたかゆを食べる習慣が古くから伝わる。スーパーで七草をまとめて買える。

「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、春の七草」と五七五七七のリズムで覚えやすい。家でも手軽に七草がゆを楽しめるが、どこか懐かしくなるくらい、時間がたっている。

夏は夏らしく、冬は冬らしくあってほしいものだが、そう思うのも温暖化などの異常気象の影響があるのかもしれない。夏の暑さが尋常でなかったり、暖冬と思いきや極端に寒くなったり、長い時間の経過とともに進むものはどこか怖い。

 
【2019/01/08】 | ページトップ↑
災害に強いまちづくり
Date:2019-01-07(Mon)

昨日は海洋少年団の初訓練から始まり町内の新年会と続いた。今日まで「松の内」、これからも各種団体の新年会は続く。

とはいえ、正月気分も昨日の日曜日でお別れだろう。それと昨日は小寒、寒の入りだ。節分までのおよそ1カ月が、寒さが最も厳しい時期とされるが、この正月も含め、比較的穏やかな日々が続いている。新年会の挨拶で災害の話は必ずといっていいほど出される。

ところで穏やかな新年のなか、熊本は3日夕、震度6弱の地震に見舞われた。不意打ちである。亡くなった人こそいなかったものの、多くの住民の脳裏に、3年前の熊本地震の記憶が悪夢のようによみがえったのではないか。地震現場の空から報道記者が「電気はついています」という言葉が北海道地震の大停電を思い出させる。

また、西日本豪雨から昨日で半年になった。5700を超す世帯が半壊以上の被害を受けた倉敷市真備町地区で、住宅の明かりが戻り始めているとも。

1月に発生した阪神淡路大震災で神戸市の停電はほぼ一週間で復旧、それにより火災が発生した家屋もあったと聞くが、当時、神戸市の三ノ宮にいた私は電気の一斉点灯の拍手で明かりをみんなで祝う光景はまさに感動的だった。

家々の明かりに導かれるように、復興に弾みがついたのも現実だった。胆振東部地震で甚大な被害を受けた厚真町も電気の復旧はひとつの足掛かりとなって復旧に向かっているとも。

本格的な冬を迎え、将来への不安尽きないガ、なにかにすがり、気持ちを奮い立たせようとする被災者の姿と電気のありがたさを最近は特に感じる。なにもない穏やかな日々に感謝のひとごとだが、これからの自治体や地域はー備えあれば憂いなしーとまではいかなくとも災害の準備はこれからも大事なことだ。
【2019/01/07】 | ページトップ↑
漆の大鳥居
Date:2019-01-05(Sun)

年末、お伊勢参りをした降り、干し柿を食べる機会があった。外側は白く粉を吹いて、中身はとろりと甘い。もとは渋柿なのに、不思議な食べ物だ。

干し柿は寒風にさらして作る。風は冷たいほどよいらしい。ブラシをかけ表面に細かい傷をつけると、そこから粉を吹く。それがさらに甘くさせるそうだ。
「苦難」が大きいほど豊かな味になるとは、何やら人の一生にも重なる。

敦賀で初詣と言えば氣比神宮。入り口、大鳥居はいつみても味がある。美しい朱塗鳥居は、国の重要文化財(以前は国宝)に指定されており、奈良の春日大社、広島の厳島神社とともに「日本三大鳥居」とも言われるだけのことはある。

30年ぶりの修復工事が終わり、風雨にさらされて劣化した赤い漆を削り取り、何重にも塗り重ねた漆は美しい。

実は、氣比神宮の社殿のほとんどは第二次世界大戦中の空襲で焼失していて、戦後再建されたも。しかし、この大鳥居は空襲を免れたため、寛永年間(1624〜1644年)に造られた時のままとか。風雨に耐えながら漆が美しさと鳥井を守っている。

漆と言えば、輪島で漆芸を学び、敦賀で働きながら活動を続ける青年もいる。敦賀短期大はなくなったが人材が残り、活動を続けてくれるのは嬉しい限りだ。

【2019/01/06】 | ページトップ↑
必要な冷静で透徹な目
Date:2019-01-05(Sat)

昨日は晴れた穏やかな日差し。仕事始め、そして恒例の新春市民交流会と続く。新年の早々の挨拶は、それなりにと思われる方も多いが、その年の断面を的確に反映するものとなる。

市長からは国体の成果、そして敦賀市が取り組んでいる北陸新幹線の受け皿づくり、教育の小中一貫、福祉の病児病後児保育など幅広く語られた。挨拶は和泉議長、高木衆議、副知事と続いた。

年始の挨拶は、希望の年として大半がいいことが多いが、そのなかで原子力発電の廃炉、市の財政の厳しさが語られる。また、今年の特徴は災害の対応が共通して語られた。
昨年に引き続き難しい時代であることは確かだ。午後のニュースでは熊本の地震と株価下落が伝えられいた。

正月はじめは楽観的にもなりたいが、昨夜の熊本の地震といい株価は現実だ。景気など年の初めに言い当てられるのは難しい。人工知能(AI)にしても、それをつくり、操作するのは人間である。

経済だけでなく、予測不能、不確実であることは世の常ではないか。自然災害はなおさらだ。

自分に言い聞かせる。常に精進、何があろうとも、うろたえず冷静で透徹な目を持つ努力を。
【2019/01/05】 | ページトップ↑
「ビアンキ議長の挑戦 年のはじめに考える」(中日新聞社説)を読んで
Date:2019-01-04(Fri)

昨日の中日新聞の社説「ビアンキ議長の挑戦 年のはじめに考える」は、地方議会を考えるに示唆に富む内容だった。

冒頭の「愛知県犬山市議会のビアンキ・アンソニー議長(60)が議会改革の旗手として注目されています。「前例より前進」をモットーとする改革のめざす先は-。」から始まり、

アンソニーさんのプロフィール、社説は「生粋のニューヨーカーで、仏教や禅に興味を持ち、三十一年前に初来日。犬山市で中学の英語講師として働いた経験もある知日派のビアンキさんだけに、日本の地方議会の病巣を象徴する言葉として、問題意識を込めて“前例”を強調したように映ります。

日本の地方議会で恐らく初の外国出身の議長です。市議四期目の二〇一七年五月の議長選に出馬し、劣勢予想をはね返し、一〇対九で議長になりました。」と異色も異色。

なかでも「ビアンキさんが市議の活動を通じ「議会の仕事は市長など執行部のチェック機能だけではない」と痛感してきた問題意識がありました。
(中略)

ビアンキさんは「米国では市民の相談窓口はシティーセンター(市役所)ではなく、カウンシル(議会)でした」と言います。米国出身の議長だからこそ、母国で経験した市民と議会の距離の近さを思い起こし、市民が自分たちの代表である議会に、自由にモノが言える権利を大切にしようとしたのでしょう。」と続き、

敦賀市議会も基本条例に「身近な議会」という言葉がある。議会報告会など新たな試みを続けてきたが、高校生参加の市民議会など新たな挑戦も必要に思う。

社説は、最後に「 “しがらみ”を打ち破ったビアンキ議長の“前進”から、勇気と経験を学びとれるのではないでしょうか。」と結ぶ。

敦賀市議会も議会基本条例の制定など議会改革に取り組んできたが、まだまだ、やるべきこもあることは確かだ。

全国的に人口減少や高齢化が進むなかで、敦賀市も同じだが、地域独自の課題も多い。

1月8日の臨時議会、新ムゼウム建設問題はひとつの課題ではなく、将来の敦賀市とも絡む問題でもある。新幹線開業にどうそなえるか、さらには財政問題、景気や雇用などただ単なる賛否では片付けられない問題でもある。




【2019/01/04】 | ページトップ↑
国体の礼状
Date:2019-01-03(Wed)

年賀のメールで大分県の水泳関係者から丁寧なお礼を頂いた。引用すると
「小さい町ならではの一生懸命さが伝わって来ました」
「青空会場でしたが、手作り感満載の中にもテキパキとした対応はもちろん、民宿のもてなしや夜の本町での対応、どこか温かいものを感じて帰りました」

と。友人に頼まれて宿泊場所の手配をメールでしただけで、何の連絡もなく、顔も知らないまま敦賀を後にして、思い出しかのような新年の挨拶だが、どこか嬉しいものだ。

ふりかえると、人々の記憶にとどまるであろう国体だったようにも感じる。

国体はある意味、地方間の距離感を近づけることは確かだ。一方、災害復旧や復興の過程を経て有益な知恵を蓄積し、その後の災害対応に生かした誇れる事実も残る。阪神大震災を経験した人たちが東日本の救援に駆け付け、東北からも、例えば広島市の土砂災害や熊本地震の支援に出向いた。

5月頃だったか、福井県の災害ボランティアで陸前高田市に行ったとき、神戸市水道局の入った制服で水道管の復旧しているシーンに出会った。

民間ボランティアだけでなく実際に災害を体験した自治体の職員が現地に赴き、体験から生まれたノウハウを伝え復旧作業を手伝う。。思わぬ結果として地方と地方の関係が強まる果実を手にした。



【2019/01/03】 | ページトップ↑
夜のライトアップ
Date:2019-01-02(Tue)

金ヶ崎緑地のミライエは関係者の皆さんの努力ですっかり敦賀の冬の風物詩として定着してきました。あらためて敬意を表します。

敦賀でもライトアップが行われるようになったのが直流化の平成18年頃か。赤レンガ倉庫に、鉄道資料館、ムゼウムと金ヶ崎緑地のミライエをバックから支えるライトアップもいい。

確か東京タワーにライトアップがともったのは1989年正月のことだった。元号が昭和から平成に改まる。新しい時代の始まりを「新しい光」が彩る。
照明デザイナー石井幹子さんが手掛けた。まさに国内外で活躍する照明の文化は光の景色を各地に生み出す。

気比神宮の鳥居など照明も絵になる。新しい年、新たな世に敦賀にも光あらんことを静かに祈りたい。

【2019/01/02】 | ページトップ↑
「出度さも中くらいなりおらが春」(小林一茶)
明けましておめでとうございます。

新春をご家族揃って健やかに過ごされた方も多いと思います。

お雑煮とお節料理を食べ、新年の挨拶を交わす。
スマホなど便利になった今では、ことさら目出度いという気分には浸れないかもしれませんが、どことなく落ち着く。

幸せの感じ方は人それぞれですが、意外に人の幸せとはこんなものかもしれません。

「出度さも中くらいなりおらが春」

今から約200年前の句でも、芭蕉、蕪村と共に江戸の三大俳人と称された小林一茶の句ですが今でもいろあせない。

掃除をしたり、門松や注連縄飾りなどの迎春準備もしないで、ありのままに迎えた正月だから、本当に目出度いのかどうかは良く解らない。

また、正月だからと言って格段何かをするわけでもなく、通常の生活とあまり変わりはない。

決められたことを、決められた日に、皆揃ってしていた昔とは異なり、物が便利で豊かになり、価値観やライフスタイルが多様化した現在では、この句の様な思いをされている方も多いと思います。

一茶の句で

「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」と、言うのがある。忙しい年末の過ごし方だけでなく一年にも通じる。。

とかく世の中は思う通りにはいかない。どこか気持ちに余裕が必要に思う。

歌は違うが、寒い日が続きそうだ。「雪の降る街を」の歌詞が胸にしみてくる。人は悲しみを希望に変える力を持っている。そう信じて、過ごす、平成最後の新春。



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