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「くろよん」の感動
Date:2010-11-01(Mon)

昨日、「黒部の太陽」の舞台となった黒部川をトロッコ電車などでのぼった。この映画が上映されたのは1968年。文部省推薦映画かなにかで、高校の郊外学習で観た。石原裕次郎、三船敏郎と俳優もよかったのか、男たちのロマンとそのスケールの壮大さが高度成長の真っただ中か、振り返ると、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」と合わせた、その後の自分に人生に影響したのではないか。

くろよん建設の1950年後半頃は、高度経済成長期の前段か、地方都市の高松の、わが家に冷蔵庫、洗濯機が数年の間に来たことを思い出す。日曜より7時に月光仮面の番組を近所にいつも見に行くのを、ふびんに感じたのか、遅れてテレビがわが家に来た。

冷蔵庫、洗濯機、テレビの「三種の神器」は、庶民のあこがれ。豊かさのシンボルだった。暮らしのための電化製品の普及はめざましく、買いそろえるのが夢だった。共通点はいずれも電気を使うことだ。

当然、この当時の電力事情は産業復興とものの豊かさで急増した。それが間に合わないとなれば業界も必死なった。それが黒部第四発電所(くろよん)となった。

くろよん建設の要となったのは、資材輸送の要となった関電(大町)トンネルの工事が、最大の山場となった。今でも映画で石原裕次郎が箸を割って示したフォッサマグナを覚えている。その破砕帯突破が最大の見せ場というより難関だった。この工事を熊谷組が担当した。1957年5月、トンネル施工中に岩盤の中で岩が細かく割れ、地下水を大量に溜め込んだ軟弱な地層である破砕帯に遭遇し、この破砕帯を突破するまでに約7ヶ月もの月日がかかった。くろよん全体工事で171名の犠牲者がでた。黒四の現場には171名が刻まれた慰霊碑がある。手を合わせた。

映画を観ての感動は17歳頃か、いまでも覚えている。その後、原作の木本正次の「黒部の太陽」を本で読み改めて感動したものだ。昨日のくろよんの展望台でこの本と出合い買いなおした。

時代が変わり、2009年3月には、フジテレビ開局50周年記念ドラマ「黒部の太陽」がSMAPの香取慎吾・主演で放映された。子ども時代を呼び起こしてくれる作品でもある。

話を冒頭に戻すが、父が買ってきたテレビは、後で話を母から伺うと、どこでも買い始めたことから、私のためよりも、見栄とか、自分がほしかったからとかで、当時、相当無理をしたようだ。

冷蔵庫も、簡単で自家製アイスクリームを作ってもらい食べたのが、きっかけとか。冷蔵庫とアイスクリーム製造器があわせて我が家に届いた。余談だが、冷蔵庫は、スーパーも庶民の食生活を変えた。冷蔵庫が最近、新たな役割を担うことになった。核家族化と高齢化社会のゆえ、である。一人暮らし高齢者らに、持病や服薬の情報を記した紙を専用容器に入れて冷蔵庫などで保管している。女房の実家でも実践している。

昨日も認知症の最前線のテレビがあったが、高齢者にとって、老いの命の情報を託す機器にもなっている。「三種の神器」の時代からすでに半世紀。豊かさを追い求めてきたこの国の、電力事情も落ち着いてきた。

黒四は、中部国立公園のなか、地下発電所の皮切りでもある。環境問題がこの頃からも考慮され、いまは地下発電所は当たり前となった。ただ発電所そのものが、水力から火力、そして原子力と主役が変わってきた。

数年前の紅白31日、100人のスタッフを連れて中島みゆきの「地上の星」の歌った隧道など通りながら、50年の歳月と壮大さを感動を呼び起こしてくれた「黒部ずくし」の一日だった。
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