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都市間格差に潜む文化
Date:2010-11-06(Sat)

「百聞は一見にしかず」とよく言ったものだと最近つくづく思う。ネット社会で多くの情報は手にすることができる。しかし、その場での雰囲気、感覚はその場でしか感じることはできない。なかでも文化という有形無形の存在は、その場、その土地で感じることできる。

格差社会と言われて久しい。所得格差そのものも、日常化するホームレス社会を米国で見せつけられた。ところが、派遣村ではない日常化された食事を提供する、教会を中心とする「奉仕文化」が意外と根付いている。

日本においても、都市間格差、地方格差も地方都市へ行けば行くほど感じる格差だ。東京と地方都市の活気度は違いは歴然としてきた。地方都市間でも、その格差は、丹念に観ればよく理解できる。

温泉地では別府と由布院。動物園であれば旭川動物園と各市の動物園。市の経営では夕張市と各市。観光であれば、境港市、富良野市さらには先ほどの由布院市と各市。

原子力発電立地市町にも共通点と格差がある。格差といっても千差万別。かつては産業政策による街の変容だ。典型的なのが夕張市、かつての石炭産業の衰退と共に人口は10分の一へ、そして市の破綻と格差はそこに住む住民と話せはよく理解できる。それでも映画祭など自らの復興に努力する力は音楽祭に行けば感じることができる。

最近、つくづく思うのが格差の中に潜む、そこの文化性というか芸術というか、「文化を育む力」だ。繰り返しになるが観光政策だけではなく九州では湯布院市と別府市、北海道では富良野市。とくに、夕張市に隣接する夕張山地一つ隔てて東の富良野市と西の芦別市。この三つの市を比べれば、いかに「文化」の自律的な格差という「育む力」が大事かだ。

湯布院は温泉地に新しい感覚と芸術性を持たせて観光地として花開いた。街には東京など都会から不況とはいえ、多くの観光客が訪れる。

富良野市ではラベンダーに夢を託した一人の農家の執念を軸に、観光産業が花開いた。地元が誇る農畜産物の商品開発や雄大な景観をロケ地に生かすことなどによって、強固な「富良野ブランド」を確立。街には年中、観光客がひしめく。

一方の別府市は。一律的な観光政策から抜け出せず、長い低迷が続いている。夕張市は夕張メロンなど自律的な地域おこしに励んだものの、テーマパークなど中央資本に委ね過ぎ、市そのものが経営破たんをした。その借金はもとより、日常生活で病院や学校という社会的インフラのつらさが市民につけとして残った。ご存じのとおりだ。

夕張近くの芦別市も、中央資本に活性化策を委ねた。カナダの街並みを再現したカナディアンワールドは13年前に経営破綻し、市営になったものの、夕張市までとは行かないまでも街の活気度は地方都市そのものだ。

湯布院市、富良野市、境港市に共通するのは、「誇るべきもの、守り育てていくもの」の存在だ。そこに意外と基本になるのが「地域文化」と感じるのである。

それも10年、20年と長い年月をかけてと取り組んだ成果が、都市間格差として出始めている。近くでは長浜市、彦根市がそのお手本だろう。

長々書いたが、文化を大事にしない地方は、人口減少も含め、市場原理は末端ほど荒々しく働くという現実だ。地方の商店街は衰退し、コミュニティーや文化的機能を担った空間が次々と消滅している。中央との経済格差だけではなく、文化格差も深刻化しているというが現実のむごさだ。

この敦賀市も商店街など市場原理は、各地方都市と変わらない、歴然とした地方都市を演じている。原子力発電所の立地で雇用や活性度、数字で言うと人口減少はなんとか維持はしている。

一方で、他力本願的な風潮がはびこってしまっている。そのキーは、文化ではないかとも最近、つくづく感じるのである。

とはいえ、博物館の大谷吉継に象徴される歴史文化や、小さな施設ながらも、人道の港「ムゼウム」の意外な発展性だ。館のボランティアガイドをしていて、先日のスウェーデン記者の遭遇や先日2日もイスラエルからお客さんを多く招いたなど、人道という文化とは違うかもしれない有形無形の意外な発展性だ。そこに敦賀が古来より育んだ港町文化というか、人道の背景に港町ならでは文化性があるのに気がつかされる。

港ひとつとっても、食一つとっても地域なりの文化がある。借り物や人任せでは通用しない。育てる文化度の大切さを感じる。まちづくりのキーは、市場原理も大事だがそれ以前の文化度にもありそうな気がする。幸い敦賀市は港文化、歴史文化、食文化と素材には事欠かない。
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