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待ちの姿勢もときには必要かも・・・。
Date:2010-11-17(Wed)

「京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの
神戸じゃ渚と 名乗ったの
横浜の酒場に 戻ったその日から
あなたがさがして くれるの待つわ
昔の名前で 出ています」

これは、一昨日、亡くなった星野哲郎の作詞だ。

神戸の三ノ宮で夜、バイトをしていたとき、流れていた曲だ。作詞は最後の「二行勝負」との言葉はよくいったものだ。「兄弟船」は、敦賀に来てから流行歌だが、当時、カラオケでよく歌った。「おれと兄貴のヨ 夢の揺り籠さ・・・」。「アンコ椿・・・」は、小学校の頃だが、「三日おくれの便りをのせて」と自然に出る。「函館の女」も中学か、「はるばる来たぜ函館」と。「三百六十五歩…」は高校時代、「しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」。と、何も見なくて書いてる。心に沁み込んでいる言葉が多い。港だとか、船だとか、一時、憧れただけに、いま振り返ると、何気なくカラオケか、なにかで歌っていた。昨日のNHKの放送を聞き流しながらふと思った。今日は何を書こうか思案していたがこのまま続ける。

星野さんは、官立清水高等商船学校の卒業(戦前、神戸、東京の商船学校が統合されていた)で私の大先輩でもある。乗船実習で当時,同級生の船長から、星野さんの逸話をきかされたことがあった。日魯漁業(現・マルハニチロ食品)に入社、遠洋漁業の乗組員となる。が、挫折と言うか、郷里、周防大島にて4年にわたる闘病生活。船乗りをあきらめて、看病してくれる母親を助けたい一心で懸賞に応募し、作詞家になったとか。

感傷的なるが、若いころの辛酸や経験が作詞になっている。何気なく流してきた歌が、意外に心に残っている。人生を重ねるようになったせいか、振り返ると不思議なくらい心にしみ込んでいる。

一昨日か、「はるばる来たぜ函館」の函館港は歌手になるために両親と別れた港。と北島三郎さんは語っていた。誰もが年を重ねると、歌と土地を結びつけていることが多い。「三百六十五歩のマーチ」は、当時、私の高校時代で、反発してか、変なマーチだ、くらいにしか思わなかった。が、「しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」と、歌詞は、あじわい深い。どれだけの人が励まされたか。私もしらずしらずに励まされたいたような気がする。

昨日の寒さで、秋がすっかり深まって敦賀平野の落葉する木々が増えてきた。市役所通りの歩道にイチョウの葉が散乱して「きょうは2回目」などと声を掛け合いながら掃き集める姿が見られた。落ち葉に悩まされる時季でもある。今朝も寒い・・・。

最後に、冒頭の歌、三番
「あなたの似顔を ボトルに書きました
ひろみの命と 書きました
流れ女の さいごの止まり木に
あなたが止まって くれるの待つわ
昔の名前で 出ています」と、待ちの姿勢もときには必要かも・・・。
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