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大和田さんの遺産がまた取り壊される・・・・。
Date:2010-11-27(Sat)


臨時国会が終わろうとしている。最大の課題と位置付けた補正予算がなんとか成立。予算員会が何度か放映されたが、補正以外に、与野党はののしり合いに終始した印象だ。与党の責任も重いが、首相や閣僚を口汚く責めたり、揚げ足をとる姿に、うんざりとしたのではないか。

仙谷、馬淵の問責が可決、来年の通常国会がどうなるのか、国の政治が進まない。来年度予算をはじめ、重要法案があまりにも多い。敦賀市で言えば、原子力関係の特措法の期限が切れる。特措法の延期は与野党ともに一致した案件だ。地方議員個人にすれば、議員年金を担う懐がパンクする。速やかに、廃止の対応をとるべきものだ。

ところで、昨日の福井新聞で報じられた『大正時代に建てられた福井県敦賀市縄間の洋式木造建築物「旧農商務省獣類検疫所神戸支所敦賀出張所」が、12月初めから取り壊されることが25日分かった。所有企業が11月中旬、老朽化を理由に文書で市に解体の意向を伝えた。市は別の場所に復元しての展示ができないかなど活用策を検討する』とのこと。

戦前の敦賀の栄華の基礎を築いた実業家である二代目・大和田荘七(1857~1947)による朝鮮牛の輸入計画の為に設置された建物である。大正5年の築造(1916)で、しばらくはオートキャンプ場の管理事務所となっていたが、敷地がある事業者の資材置き場になり、その役目もなくなり、いつ壊されるか、心配をしていた矢先でもある。

フェンス越しに眺めただけだが、長年の潮風にやられて、青い外装はかなり傷んでいた。敦賀の繁栄の歴史は刻まれ、大和田荘七翁ゆかりの建物がまたひとつ失われる。

私も何度か足を踏み入れたが、二階に上がる階段の手摺やギボシにも、彫刻がなされ、二階会議室天井中央の照明の土台には見事な漆喰の装飾が残され、天井の四隅にはやはり組木の装飾がなされ、古いながらにも、当時の建築のセンスを垣間見ることが出来る。

朝鮮半島から輸入された当時、赤牛といわれた独特の牛が縄間の桟橋から道路下を通って運び込まれたとか。往事の偲ばせる風景でもある。この建物の存在価値、存在意義は、縄間にあってこそと思うのだが、どうだろう。
敦賀市にとって、歴史的には、重要な価値をもつが、建物として洋風建築としての価値、その後の管理運営を考えると、致し方がないと諦めざるを得ないのかとも思っていた。

結果として、明治、大正、昭和と敦賀の一時代を築いた大和田さん残した建物、敦賀市役所や大和田別荘が取り壊され、検疫所も同じ運命をたどる。取り壊しの通知を受け、25日に開かれた文化財保護審議委員会でも、建物の古さから現地での保存や移築して残すことは難しいと判断し「解体はやむを得ない」との意見でまとまったとか、妥当だとも思うが、どこかに寂しさが残る。

大和田さんを研究する方は市内にいらっしゃるが、遺品も含め多くは残っていない。現在の市立博物館こと大和田銀行が唯一トいっても過言ではないだろう。

戦後になっても何度か光を当てたが、語り継ぐにはそれだけの気運と残す努力も必要だ。敦賀青年会議所が30周年記念で大和田さんの生い立ちや業績を映像で取り上げている。戦後の提言などいまでも生き生きとの光を放つものもあれば、北海道の地名になった大和田さんの足跡を刻銘にわかりやすく伝えている。

福井新聞のインタビューで文化財保護審議委員会の外岡慎一郎委員長が語る「市は文化遺産としての価値を生かし、まちづくりにもつながるような展望、理念を持って建物を復元させてほしい」との言葉は、私も同感だ。建物は縄間にあるのが一番だが、取り壊しのやむ得ないとすることに賛成だが、敦賀の多くの足跡と残した大和田さんの偉業を伝え、展望、理念をもった復元を考えることが、少なくとも大和田さんの偉業に報いる恩返しではないか。
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