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レノンの死から30年・・・。
Date:2010-12-08(Wed)

12月8日は、まず、思い出されるのは1941年の真珠湾攻撃の日。重ねて思い出すのは、ジョン・レノンが、ニューヨークで凶弾に倒れたのも1980年12月8日。なぜか衝撃だった。30年前のこと。レノン享年40歳。

この年は、確か、大平正芳首相の急死で自民党大勝。四国香川の出身だけに鮮明に覚えている。ニュースをあげると、レーガン米大統領が誕生、ソ連のアフガン侵攻。身近では、この年、12月末からしんしんと雪が降り始めた56豪雪の始まりの年。四国生まれの私には、56豪雪は強烈過ぎた。いずれにしても、あまりいいイメージのない1980年でもあった。

私も一応ビートルズ世代の終わり、レノンの死は、私には衝撃でもあった。レノンでいえば、平和運動とかで、公然と、オノ・ヨーコとのベッド・インがニュースで報じられたり、5歳の息子をいとおしむ歌を作ったり、男の家事育児といった新しいライフスタイルを身をもって示したり、いま風に言えば「イクメン」の先駆的存在だったかもしれない。1980年、結婚2年目の私も、このころから女房の尻に引かれ、家事育児を共に行うようになっていた。

レノンの死から30年だが、生誕70年でもある。話をがらりと変えるが、今日の議会の一般質問で大和田荘七翁を取り上げる。今年ではないが、再来年の2012年が、大和田荘七と深く関わった記念すべき事項が目白押し。100年、110年、120年、130年の記念の年を迎える。

古いものからあげると、ひとつは、敦賀市と滋賀県長浜市間に日本海側初の鉄道が開通して2012年に130周年。1872年に日本初の鉄道が開通した10年後の1882年3月10日、日本海側の重要拠点である「敦賀港」への接続を目的に、金ヶ崎(現在の敦賀港)‐長浜間の鉄道が開業。この路線から北に鉄道が延伸し、現在のJR北陸線になった。いわば敦賀は「日本海鉄道発祥の地」でもある。

ふたつは、1892年の大和田荘七が大和田銀行を設立から120年。

三つは、1902年 2月には、これまた、大和田荘七の努力により敦賀・ウラジオストク(ロシア)間に日本海命令航路が開設されて110年。

さらに四つは、1912年 ウラジオストク航路(ロシア)に接続する欧亜国際連絡列車が新橋~金ヶ崎で運行されて100年周年。

明治以降の敦賀にとって、これだけとっても画期的な出来事が続いた時期はない。それもすべて、大和田荘七が関わっている。まちづくりを進める上でも重要な2012年と言えるのではないか。

ちなみに、2012年は、1882年3月10日 敦賀駅から130周年。1962年の北陸トンネル完成から50年周年と敦賀にとって、鉄道にとって記念すべき年でもある。

最近の鉄道ファンの動向を考えると、逃してはならない年ともいえる。それも、交通の要衝、敦賀の歴史を考えても、大和田荘七翁抜きには考えられない。

レノンに戻すが、「想像してごらん/みんなが平和な人生を送っている姿を・・・」の『イマジン』は、色あせない。死んでからの30年だけをみてもイラク、イラン戦争、バブル崩壊、テロあり、大和田荘七さんの北陸線130年から、もっと激動だ。ふたつの世界大戦。70歳のレノンの目にはどう映るか。イマジンの旋律は、単純なメッセージが、時代を経ても色あせず、むしろ時を経るにつれ重みを増している。

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