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過去を大事にする風潮・・・・。
Date:2008-03-21(FrI)

子供に頃の焼きついた風景は忘れることはない。私の印象に残る風景は、海峡。海峡と違って、海と島が重なる瀬戸内の風景は、心を落ち着かせる風景だ。津軽海峡、関門海峡、潮の流れの速さと厳しさは格別だ。ところが瀬戸内海は違う。厳しさよりも優しさが優先される。それが、技術と時代の欲求で、積み重ねた風景をいとも簡単に変えてしまった。瀬戸大橋ができて20年、風景も暮らしも徐々に変わりつつある。

話を敦賀に。敦賀港の旧港も少しずつ変わり始めた。フェリー埠頭が鞠山に移り、昔の活気はなくなったものの、観光客がちらほらと増えつつある。金ヶ崎緑地の変化も速い。敦賀港駅舎、きらめき港館、大和田別荘とほぼ整ってきた。レンガ倉庫も今年中に方針が示される。

大和田別荘は、港の発展に貢献した大和田銀行創設者・大和田荘七氏が1920年に建てた、急勾配の三角屋根などが特徴の木造3階建ての瀟洒(しょうしゃ)な洋館。私は正直見たことがない。敦賀で育った大半の人の心には焼き付いているほど、貴重な建物だったとか。老朽化で解体。それを金ヶ崎緑地に6年前に半分の規模で再現。このほど、「人道の港」をコンセプトに常設展示を、この29日にオープンする。その名もポーランド語の博物館の名称を入れる。

私も杉原千畝については、岐阜県八百津町やリトアニアのカウナスに行くなど、それなりに知識を得たが、ポーランド孤児の話は、敦賀港駅舎での展示から得た知識だ。

大正から昭和初期にかけ、窮地にあったポーランド孤児やユダヤ難民を受け入れた史実から、敦賀港駅舎での展示の成功と国際港敦賀を「人道の港」として見直す機運の高まりが、常設展示をなった。

1920年頃、シベリヤで混乱に巻き込まれたポーランド孤児たち、粗末な服を着た孤児は敦賀に上陸後、松原公園で休息を取り列車で東京や大阪へ。そして、遠くの祖国ポーランドへ。敦賀港には、12、13歳の孤児ら763人が計8回にわたり上陸、市民と日赤などが協力して温かく迎えた歴史は、ほとんど人は知らない。

私は、一度、ポーランドの首都ワルシャワを訪れている。東欧の中でもプラハとともに、なぜか印象に残る古い町並みだ。古いといっても古さが違う。第2次世界大戦でずたずたに破壊されたが街並みが、「煉瓦のヒビに至るまで」復元して往時の町並みを回復した古さだ。

大和田別荘をいとも簡単に破壊した敦賀だが、過去の歴史と建物を大切する機運が生まれてきた・・・・・。
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【2008/03/21】 | ページトップ↑
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