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、「夢を持つ」「自ら学ぶ」「自ら行う」
Date:2010-12-17(Fri)

昨日は、衆議院第15控室へ。目的は、舞鶴若狭自動車道の粟野のスマートインターチェンジ設置の今年度の連結許可を求めて、河瀬市長と共に民主党の陳情要請対応本部の糸川正晃副幹事長(衆議)を訪れた。敦賀市として、来年2月、3月でも連結許可申請を行える準備をしている。
工事費は当然、本体工事と合わせて行うことで、安くなる。費用対効果いわゆるB/Cもなんとか確保できる。

もうひとつ、昨日の話題は、敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」。国は、運転を再開して出力を上げる次の試運転を来年度末までに行うとし、計画は予定より半年遅れることを明らかになった。落下した装置を引き抜くための大がかりな改修工事を来月から始めた上で、運転を再開して出力を40%まで高め発電する次の段階の試運転を来年度末までに行うとし、計画は予定より半年遅れるとのこと。資源のない日本にとって、独自の開発技術でもある。

研究開発の歴史は、苦難の連続が続く。もんじゅは、国が進める核燃料サイクル政策の柱、今回の計画の見直しで「もんじゅ」の本格運転も予定より遅れて、平成25年度にずれこむ見通しだが、じっくりと見守ることも必要ではないか。税金を使った技術開発は、ほんとに厳しいが、それだけの価値がある。

ところで、自転車技術が世界初のフライトにつながった日、今日17日は、ライト兄弟が12馬力のエンジンを搭載した飛行機(ライトフライヤー号)で初フライトに成功した日である。1903年のことだ。その日の4回目のフライトが59秒、256メートル。これが最長記録だった。それから5年後には2時間20分、125キロも飛ばすほどの飛躍的な技術革新があった。

調べると、兄弟の職業は自転車屋。苦労も相当だったようだが、自転車技術を駆使した。当時のアメリカ政府は、別に予算を含め設計、開発を行っていたばかりだ。政府のメンツはなくなった。当然、不思議にその業績をなかなか認めようとしなかった。

その後、ライトフライヤー号はその後、ロンドンの博物館に保管展示されていたが、それを知ったアメリカの国民世論は高ぶりをみせた。その迫力に圧倒された政府は、ワシントンで保管することを決め、兄弟に謝罪した。それまでに実に45年もの歳月が流れていた。成功の裏にはさまざまな歴史があるといわれるが、この話を知ると、成功した後も苦難の歴史があることが分かる。

もうひとつ、文化勲章を受章した建築家、安藤忠雄さん、建築家になる夢を抱き、独学で建築を極めた。普通ではあり得ない苦労と体験があった。自伝『建築家安藤忠雄』を読むと面白い。自分を磨く手段は建築にかかわる本を読むことと旅をすること。

世界の建築を巡る10カ月におよぶ放浪の旅に出たのは24歳の時。横浜港からナホトカまで船で行き、シベリア鉄道でヨーロッパの国々、アフリカやインドまで足を延ばした。安藤さん曰く「最も心が飢えていた時期に、建築と風土、人間を含めた“世界”を、自分の目で視て、体験出来た・・・」と。ところが、生い立ちは、大阪の下町に生まれ育ち、ガキ大将で成績は悪かった。高校時代にボクシングを始め、プロのライセンスを取ったが、自分と次元が違うファイティング原田のスパーリングを見て、ボクシングを断念した。

ライト兄弟も、安藤さんも自転車、ボクシングを通して何かを学び、「夢を持つ」「自ら学ぶ」「自ら行う」の姿勢を貫いている。生き方も意外とシンプルだ。昨夜、敦賀に戻って、18歳から58歳、職種もカメラマンからさまざまで、ある若者の送別会をおこなった。敦賀の未来を担う若者は、それぞれの道を歩んでいく。粟野のスマートインターも、もんじゅも50年後、どう敦賀に役立っているのか、想像はつかないが、敦賀なりの発展のサイクルもあるようだ。
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