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小布施まちづくりの奇跡
Date:2010-12-25(Sat)

「ゲゲゲの鬼太郎」の境港市のまちづくりを参考に、敦賀市もまねて、ヤマトやスリーナインの像になったが、・・・。JR直流化から4年、中高年の観光客も増えたが、リピーターにはならなった。

参考にと「小布施まちづくりの奇跡」(川向正人著、新潮新書)を読む。敦賀市の六分の一、小さな街、長野県小布施町の人口は、1万1千人ほど。総面積も敦賀市の7分の一、19.07平方キロほど。長野県の市町村でもっとも小さい町。

毎年120万人の観光客が訪れる。敦賀市の200万人比べればと思うが、交通の結節点・敦賀を考えれば、あまりにも多い。この小さなまちの何に、人々は惹きつけられるのか。私も数回、訪れているが、なぜか、飽きない街だ。

本を読むと、「修景」というまちづくりの手法が意外に新鮮だ。伝統的な町並みに固執しすぎない。まちの歴史をまったく無視した再開発でもない。いまあるもの、そこに暮らす人々の思いを大切にしながら、少しずつ景観を修復して、まちをつくってゆく。

葛飾北斎が晩年を過ごした街でもある。伝統的な町並み保存と異なり、少しずつ景観を修復してまちをつくっていく修景事業が始まってからでは20年。

江戸時代後期、既に80歳を超えていた葛飾北斎がこの町に足繁く通い、パトロン的存在だった当地の豪商・高井鴻山の元に起居しながら多くの作品を残したことは有名だ。小布施に観光客が来るきっかけとなったのは、1976年開館の北斎館である。当時、田んぼの中の美術館とマスコミに大きく取り上げられた。その後、建築家の宮本忠長氏がアドバイザーとなり、街ぐるみで取り組んだ「修景」事業がさらに観光客を呼んだ。この事業は、市村次夫氏らを中心に行われた。

市村氏は、高井鴻山の末裔で、地酒の老舗「桝一市村酒造場」と栗菓子匠「小布施堂」の社長でもある。地酒とスイーツ、口コミがテレビとなり、観光客が倍増した。民間人が地道にもうけながら、まちづくりに参加していることも大きい。

行政も高速道路を利用した。スマートインターの採用だ。観光バスも多いが、マイカーで来る少数のグループ客が特に増えている。2006年に、ETC搭載車に限り通行が可能で、パーキングエリアやサービスエリアの敷地内に設置される1台分程度のインターチェンジ「スマートIC」が小布施PAに設置され、街の中心部に高速道路からアクセスが便利になった。まさに、舞鶴若狭自動車道の粟野の南部インター(仮称)、このことを考えるとぜひ実現したい事業だ。

スマートICが設置されてから、PA自体も地場の農作物を中心に出店で賑わうようになった。観光バスからマイカーへ、小布施の観光客にはリピーターが多いのも特徴だ。夏に来た人がまた別の季節に訪れたり、友人を連れて出かけ直したりする人もいる。魚まちでは、意外にリピーターが多い。観光バスからマイカーへ。京都、大阪にない海産物を集中的な扱う市場、ここにもヒントがありそうだ。

歴史、地酒、スイーツ、それに交通アクセス。地道なまちづくり、民間と行政の協力。境港、小布施、それぜれに、違った魅力がある。それはそれだが、時間をかけ、じっくりと魅力を生み出す「修景」という手法謙虚に学びたい。まだまだ、敦賀はこれからの街だと思っている。
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