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リバプールとビートルズ解散40年。....敦賀
Date:2010-12-31(Fri)

イギリス、イングランド北西部の街、リバプール。ザ・ビートルズ誕生の地として名高い。19世紀にはアメリカとの貿易および客船業務でイギリス第一の港へと成長した。最盛期は80万人近い人口を抱え、イギリス有数の工業都市・交易都市として栄えた。が、第二次世界大戦時にドイツ軍のはげしい爆撃にさらされ、1940年代後半、綿貿易と繊維産業は急速に衰退した。さらに、1950年代以降イギリス全体が長期の不況に陥るのと並行して急速に斜陽化し、次第にその地位を低下させていった。

私もこの街に30年ほど前に訪れている。規模的には違うが、敦賀と境遇も街の雰囲気もどことなく似ていた。私が訪れた70年代後半からさかのぼること10年前、60~70年代には大規模なスラム浄化と再建計画がはじまり、港町でありながら,産業と観光で生きている。現在は港湾部の各種施設やビートルズゆかりの建物などを利用した観光に力を入れている。

まちづくりには、人が関わり,その時その時の環境に応じて,街を変えて行くど努力が必要だ。言葉は悪いが,利用するものは、利用する。近年であっても敬うものは敬う。70年代の中ごろ、リバプール市議会は、リバプールの街の中心部にビートルズの銅像を建てることを決議した。そこから、まちづくりの方向が定まった。ビートルズゆかりの「キャンヴァーン・クラブ」をはじめ、観光地を整備した。

専門的に捉えると土地利用規制や物的環境整備に終始した英国の都市計画は、都市内部の衰退を招いた。その打開策として、地域の住民や専門家がまちづくり事業体(社会的企業)をつくり、企業・自治体と協力して収益事業と社会サービスの提供を行う「ガバナンス型まちづくり」が注目されている。そのひとつの代表例がリバプールだ。

敦賀市は、戦争により全国有数の港町の地位を失ってから、北海道貿易や火力発電の石炭などなんとか取扱量で全国四十数位を維持しているものの、港湾だけではなく、東洋紡を中心とする産業、原子力発電所、そして、最近は大学,研究所と言った総合的なまちづくりが行われるようになった。どことなく、リバプールのまちづくりと似てはいないか。

ただ,気になるのは、企業、市民、自治体にまちづくりの一体感が感じられないことだ。他力本願的な要素が強く、それぞれがバラバラに動き、足し算ではいいのだが、かけ算的な発展性が感じられないのだ。

話をがらりと変えるが、BS-フジテレビで酒場放浪記に敦賀が登場した。敦賀酒造と駅前の「まごころ」が登場。2時間番組でテーマは芭蕉の「奥の細道」と居酒屋を結びつけたもの。確か25日の放映だったか。全国放送だ。

敦賀で食材が取り上げられることは、魚以外、皆無に近い。テレビをみながら、敦賀には、芭蕉や酒、居酒屋など、人を呼び込む素材がまだまだ隠されいるのではないか。古いものを大事しなかった敦賀、見直す時期でもある。

大和田荘七翁に関わる出来事が再来年、2012年には重なる。長浜ー敦賀間鉄道130周年。ウラジオストックー敦賀間定期航路開設110周年。欧亜国際列車開設100周年。戦前の繁栄を顧みることも大事だが、これからいかにまちづくりを行うか、リバプールは参考になる。

話を戻すが、今年はビートルズ解散から40年。ビートルズが解散直前の1969年に発表したアルバム「アビイ・ロード」は、ロック史上不朽の名作。ジャケットのメンバー4人が一列に並び横断歩道を渡る。英国政府は、ロンドンにあるこの「世界一有名な横断歩道」を歴史遺産に指定すると発表した。その理屈が、「文化的、歴史的重要性を考慮した」と説明したという。建物以外の指定は異例だ。

大和田荘七翁の名は、北海道にある。JR大和田駅。敦賀には、大和田銀行の建物は残るが、名前は「敦賀市立博物館」だ。私には、なにかを象徴しているようで、これからのまちづくりの基本を英国に感じる。
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