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間合い
Date:2011-01-10(Mon)

昨日は市内全域で各町内での新年会。成人式と重なり合う。朝は晴れ、午後2時を過ぎる頃からぱらつき始めた。夕方には雪ではなく雨が激しくなった。

4月の統一地方選もあり、市長選、県議選と、候補予定者が多い。新年会の挨拶は大切だ。何よりも市議から市長、県議への候補者予定者は「間合い」が大事だ。現職とかち合わないように「間合い」をはかって登場する。どうしても現職批判から始まるからだ。

「間合い」「間に合う」「間が悪い」など、日本には「間」を扱った言葉が多い。「間違い」はなぜ「間」と「違い」がいっしょになるのか昔から不思議でならなかった。生活のいろいろな場面で「間」という感覚を重視してきた日本社会。いずれにしても「間の取り方」は大事だ。武道の「間」の取り方は基本だ。剣道の「間」の取り方、拳法の「間」の取り方、ボクシングの「間」の取り方。それぞれに違い、いずれも中途半端に終わったような気がする。

剣道は竹刀、拳法は足、ボクシングは腕と、警戒する防御の「間合い」の距離感が違う。その「間合い」を最初からは教えてくれない。ボクシングでも個人差があるからだ。微妙な「間合い」を見つけられるかどうかが勝負の分かれ目ともなる。真剣ならば「間」が生死を分けることになる。

ところで、今年、成人式を迎える新成人が生まれたのは、1990年から91年のバブル時代から崩壊、忙しさで遊ぶ「間などなかった」、そんな時代だった。敦賀市内の白銀交差点付近の地価が確か百万円を超え、給料もうなぎ上りの時代だ。就職戦線は売り手市場で、日本中が高級車とリゾート開発ブームに沸いたバブル経済の絶頂、ピークから崩壊に向かった。失われた20年など考える「間がなかった」時代でもある。敦賀でいえば、敦賀短大も当時、敦賀女子短大として、学生がピークの400人を超えた時代だ。

世界では、東西ドイツの統一(90年10月)、湾岸戦争勃発(91年1月)などが大きなニュースだった。確かに時代の大きな変革期でもあった。その後の、格差拡大や就職難など国力が下降線をたどる「失われた20年」の中で成長してきた若者たち。バブル時代を知る者にとって、大きな『間合い』、エアポケットのような気がしてならない。逆に「忙しい」とは「心」を「亡ぼす」と書くが、バブル期、私も30代でがむしゃらに働き、がむしゃらに飲んだ時代でもあった。まったく「間」という時間がなかったような気がする。

もっと古くなるが、私が成人式を迎えたのは、1972年、田中首相の日本列島改造論に沸くバブルの始まりでもあった。第二次ベビーブームの時代でもあった。少子高齢化、人口減少など「間違えなく」考えなかった時代だ。

今年に戻すが、本来は今日が「成人の日」、心から人生の新たな門出を祝福したい。失われた20年から経済が縮小する中では、社会人になっている人も学校で学んでいる人にも、厳しい青春時代だ。逆風が吹いているといっても過言ではない。敦賀短大も失われた20年で学生数が減少の一途をたどり、100人を超えることはない状態が続き、十分な「間があり」ながらも、社会情勢が悪いのか、何度か改革もこれと言った効果が出ないまま現在を迎えている。それでも卒業生は2700名を超え、市内に約700名が生活している。大半が市外の学生だから「間違えなく」設置の効果は上がっていると評価したい。

本論に戻すが、今の日本社会を覆う閉塞感は、社会状況もあろうが、政治や経済の行き詰まりが主たる原因だろう。だが個々人が「間」の効用を忘れつつあることも、息苦しさに拍車を掛けている気がする。バブル期の「間」のなさとは違った「間」のなさを感じる。

道路上での携帯電話、電車内でのメール。携帯電話の普及で、まさしく無駄がなくなった。バブル期とは違い、生活の苦しさで余裕がない。まさに「間がない」という「忙しさ」を感じる社会にもなった。

この20年、40年を考えても、人生は悪いことばかりではない。前向きな気持ちを失わず努力を重ねれば、逆風はいつか追い風に変わる。挫折や苦労を糧にできる人は人間としての魅力も増す。まさに「間違えない」生き方ではないか。

成人になって得るのが選挙権。生まれた月によっては、4月の統一地方選を最初の選挙かもしれない。「間もなく」やってくる。ただ、20代の投票率は、敦賀でも低い。政治に少しでも関心を持てば、若い世代の思いを投票で示せば、地域も変わっていく。時代を変えるのは龍馬の時代もそうだが、若者だ。いつの時代も閉塞感を破るのは若者世代だ。私も気分は初心を忘れず、「間のない」もっといえば、「間抜けな」過ごし方はしないようにしよう。
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