FC2ブログ
防災とボランティアの日
Date:2011-01-18(Tue)

大参事の記憶ほど鮮明なものはない。平成16年7月の福井豪雨災害の災害復旧は、暑さと共に体が覚えている。この頃からか「熱中症」との言葉もあり、1時間作業をして15分休憩、水分補給。掛け声できっちりと守った。敦賀市も市役所から休暇をとったボランティアがバスで現地へ。

豪雨がえぐった堤防、土砂に埋まった家々。災害の惨状とぎらつく太陽は体が覚えている。16年前の阪神・淡路大地震もまさにそうだ。体に染みついている。暑さと違った寒さだった。寒さと倒壊した家屋、大きく傾いたビルの記憶が重なる。三ノ宮の惨状さることながら、長田区の惨状は言葉を失った。

災害6日目に長田区に入ったが、地震による火災現場だ。火の手が被災者を襲った。焼跡の惨状はなんと表現したらよいのだろう。地震と火災はつきものと肌で感じた瞬間だった。

そこに動きまわる若者に目がとまった。災害6日目、安否確認を神戸市の職員がボランティアと共に、一軒一軒回る姿を覚えている。台帳を市の職員が持ち、焼跡の表札をさがすのは難しい。確認、聞き取りなど20代の若者が行っていた。地味だが、大切な作業だ。

災害から4月まで、合計で約1か月、神戸の東灘区でボランティアとして働いた。どことなく現れる二十代の若者、それも黙々と力仕事を行い、動きも中高年とは違う。

また、東灘区の若い職員には頭が下がった。朝、早くから夜遅くまで、自宅が倒壊し家族が被災しているにも関わらず、ボランティアの窓口として調整にあたった。何度も「これが私の仕事ですから」言葉を聞いた。ロイヤリティというか、仕事に対する忠誠心と言うものではなく「使命感」さえ、感じた。

国は1月17日を「防災とボランティアの日」と定めている。9月1日の「防災の日」と別に設けたのは、大学生など大勢のボランティアが現地で支援活動をしたのと無縁ではない。

大掛かりな災害支援の奉仕活動は初めてだった。災害対策は公的機関による「公助」と、みんなで支え合う「共助」、自分たちで地域を守る「自助」が重要だとされる。一つ欠けても具合が悪い。

敦賀市の地域防災計画も、阪神・淡路の大地震が反映されている。毎年の防災訓練も最近は災害ボランティアセンターが、社会福祉協議会中心に立ちあがっている。それを運営するのも若い社協の職員だ。

敦賀市では、新年会などで、近所の人が気さくに声を掛け合う。大都市にありがちな隣人の顔を知らないということもない。震災の後、地域の絆を大切にする機運が一気に高まった。

被災地が震災の悲しみを乗り越えて、復興の柱の一つに据えたのは地域コミュニティーの再生だったに違いない。人間は人と人のつながりの中で生きている。現代人がつい忘れがちなことを、震災が気付かせた。神戸で強く感じたのは、被災時の弱者は、大半が高齢者であり、復興の原動力は若者だと。人間関係が薄れる傾向は大都市に限らず、地方都市にも山村漁村にも及んでいる。敦賀市も例外でない。それも高齢者が年々増え続けている。

昨日は、阪神大震災の惨事を振り返るとともに、もっと住みよい社会を築くために地域の絆の大切さを再認識する日でもある。書けば書くほど、浮かび上がる記憶は、暑さと寒さと重なって蘇る。それほど鮮明だ。
スポンサーサイト



【2011/01/18】 | ページトップ↑
| ひとことトップ |