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冬の恵みと四国遍路
Date:2011-01-24(Mon)

市内各地で一月いっぱい団体、地区、後援会と続く。今年は選挙もあり、事務所開き1月から2月と続く。議員という仕事柄か、いつも以上に力が入る。ところで、ある新年会には、分厚く切った寒ブリの刺し身が、お出ましになった。我が家にもその安さからか、スーパーですぐに手が出る。記録的な豊漁で、懐に優しい値段であることを実感する。

脂の乗ったうまさは格別だが、食べ慣れない舌には、強く当たる。フクラギの方が好き、などと知ったかぶりの食談議も楽しい。セイコは終わったが、北陸の冬は、海の幸の天下である。京阪神、名古屋からの敦賀でもカニの日帰りツワーは、いつも人気のナンバーワンだ。 さかな街のバスも後を絶たない。カニさまさま、北陸の幸さまさまでもある。

冬の言葉として、「タラ汁と雪道は後がよい」と、56豪雪のころ教わった。タラの美味に出合える冬である。タラは確か「鱈」と書く。なぜかと疑問も解けた。雪道は踏み固められると歩きやすい。雪道を知る人は、タラの味も知るのである。

敦賀に来て、56豪雪の頃か、つらい雪国と穏やかな四国との違いをあるお寿司屋さんから教わった。四国にはこれといった冬の恵みはない。冬の食の恵みと冬の厳しさは不公平ではないと実感した豪雪だった。

冬の恵みと違って四国の道は雪とはほとんど無縁だ。四国のタクシー会社はまずスノータイヤを持たない。持つ必要もない。お遍路さんも寒ささへ我慢すればどこでも歩くことができる。ただ、私が幼少の頃か、昭和30年代頃まではお遍路さんを「辺土」というどちらかというと差別用語ととらえた方言があった。交通事情も悪く、お遍路さんも決して今日のような手軽なものではなかった。

現在では、その心理的抵抗は希薄になっているが、どこで倒れてもお大師のもとへ行けるようにと死装束であり、その捉え方も明るいイメージではなかった。これを道路事情が良くなることで、次第に観光化の道を歩み始める。最近では四国遍路は観光としてみなされたのだった。

遍路に出る動機は人さまざまだろう。だが、八十八か所を回り、日数のかかる「本四国」遍路の代わりとはなんだが、短期間で回れる小豆島の「島四国」もある。すべて1歩から始まる。観光気分も、物見遊山の気分で参加しても、次第に真剣さを増す人も少なくない。

比較的平たんな道もあれば、鉄鎖を頼りに登る崖もある。季節によって、沿道の風景も変化する。1度だけで終わる出会いもある。歩くうちに、健康なペースを取り戻す人も。新しい発見と苦しさと。遍路行が人生と二重映しになる。

寒風の中、お接待に出された小さな焼き芋や素うどんでも、その温かさが身にしみる。また、炎天下、夏ミカンの接待。ミカンは本来、こんな味だったのか、と思い知らされる。歩く行程で、日常生活に埋没していた欠点、間違いなどを突きつけられるのも遍路ならでは、かもしれない。

1番から88番までを巡る旅は88で終わらない。この敦賀からも何度も訪れる方も多い。自転車で回るお遍路さんもある。形式は様々だ。1回ごとに中身も変化する。時期も四季折々。遍路を「再生」に意味があると説く方もある。冬の恵みは北陸は食に、四国はお遍路に違った形で表れる。
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