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「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」(後藤新平)
Date:2011-02-03(Thr)

日本原電の森本浩志社長が昨日、市役所を訪れて河瀬市長と面会。森本社長は、着工は、耐震安全性をめぐる国の審査の関係で平成24年3月と1年5か月遅れに、また営業運転の開始は3号機で平成29年7月、4号機で平成30年7月といずれも1年4か月遅れるとする計画の見直しを伝え、延期せざるを得なくなったことを謝罪。
直接的なコメントはさけたいが、敦賀市内の現在の景気状況を考えれば、敦賀3,4号の本格着工の期待感は大きい。

・・・・安定的な雇用の重要性・・・・・

一方、日銀福井事務所は、先月11日に、「福井県の有効求人倍率が全国で最も高いのはなぜか」と題した経済調査資料を発表した。福井労働局による2010年11月の同倍率が0.94倍で5カ月連続全国1位となったことを受けたリポートで、背景として「経営者は利益より雇用を重視、勤勉な労働者との絆は強く『労使一体』経営である」ことを挙げている。

調査資料では、本県の有効求人倍率が全国平均を上回る改善を続け、11月には全国の0.57倍を3.7ポイント超えていることや、7~9月の完全失業率の推計値が3.1%で全国の5.1%を大きく下回っていることなどを指摘し、その背景を考察した。

その中で、福井県の景気が全国以上に回復しているとする経済データは多くなく、業況判断でも「厳しい」とする企業が多いとした上で、福井県の労働需給の現状について▽原子力発電関係の雇用が安定▽製造業で人材確保の動き▽卸・小売業で(人材確保に)前向き―との見方を示している。

全県的な評価の中で、雇用状況の第一の要因を原子力発電の雇用の安定をあげており、「ハローワーク敦賀」管内の有効求人倍率1.28を考えれば納得できる分析だ。もっと語ると、敦賀市の雇用、景気が原子力発電所で左右され、逆に安定しているともいえる。

景気も雇用も「民間」の活力が結果として数字に表れ、それを誘致し、半世紀近い、敦賀市の歴史とも言える今日の結果でもある。原子力発電所は建設、運転、廃止を考えれば50年を超える。敦賀1号機から3,4号機を考えれば百年を超える大事業であり、それには、当然、雇用が伴い、市民生活がある。発電事業は、消費する電気がある限り、買い手があるという特殊性がある。それがゆえに、「民間」でありながら競争より、安定という要素が強くなるということでもある。

・・・・・民間主導でできた原電・・・・

古い話で恐縮だが、日本原電は、1957年5月に、東京電力他8社の社長会で、九電力会社が出資して『原子力発電振興会社』を設立する案が打ち出されたのがその始めである。この時に九の電力会社は、原子力開発は民間主体で行うことを考えており、当時の原子力委員会委員長であり、巨人軍をつくった正力松太郎氏はその方針を支持していた。

一方、同年7月には、国が主体となって設立された電源開発株式会社が原子力開発を政府主体で行う意見書を発表し、真っ向から対立することとなった。さらに、当時の経済企画庁長官であった河野一郎氏が政府主導の開発方針を支持し、正力と対立することとなった。これが正力ー河野論争で民間主導か、政府主導かと当時、話題を呼んだと聞かされている。

結局、正力が河野の意見を受け入れる形で、九電力会社が80%、政府電源開発が20%の出資で、民間主導の「日本原子力発電株式会社」が設立された。

民間主導の土壌の中で、敦賀1号機、2号機の運転から今日の敦賀3,4号の建設となっている。その中で、敦賀市ではふげん、もんじゅの日本原子力開発機構が千人を超える雇用を生み出し、交付金などの果実が、産業団地となり、駅前に福井大学附属原子力工学研究所の設置と続く。

・・・・・経済効果を長期的な視点で還元・・・・

2004年に経済産業省資源エネルギー庁はモデルケースとして、出力135万kWの原子力発電所(環境調査期間:3年間、建設期間:7年間、建設費:4,500億円)の立地にともなう財源効果を2004年に試算している。内容は「環境影響評価開始の翌年度から運転開始までの10年間で合計約391億円、その後運転開始の翌年度から10年間で合計約502億円である。20年間では、電源立地地域対策交付金が545億円、固定資産税が348億円で、合計約893億円になる」というもの。

交付金、補助金は今後、制度がどうなるかは別にしても、建設効果、運転効果が着実に敦賀市の景気、雇用の安定につながることだけは確かだ。

これだけの経済効果を市民にどう還元していくか、短期的視点も大事だが、長期的視点でのまちづくり、それも削減も大事だが、将来への投資という百年の大計で考えていくことが大事ではないか。

これは、余談だが、原電設立に尽力した正力松太郎氏は、関東大震災の東京の街を復興させた後藤新平(当時、東京市長)の故郷、岩手県水沢町(当時)に寄付をして、この資金で日本初の公民館が建設された(1941年)。というのも、正力氏が、読売新聞の経営に乗り出したとき、上司(内務大臣)だった後藤は自宅を抵当に入れて資金を調達し何も言わずに貸した。

その後、事業は成功し借金を返そうとしたが、もうすでに後藤氏は他界していた。そこで、正力氏はその恩返しとして後藤氏の故郷である水沢町に借りた金の2倍近い金を寄付したという経緯だ。後藤氏は空襲にあったとはいえ、今日の東京の街を再興し、その都市計画の世界的に有名。また日本ボーイスカウトの設立者でもある。あまり関係ないが、水沢町は、小沢一郎氏の育った土地でもある。

その後藤新平氏は、死ぬ間際に「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」と語ったという。

敦賀市は地方自治体と言う団体だが、原子力発電から資金を生みだし、仕事こと雇用を生み出し、敦賀短大で人材を育成し、最近では、福井大学附属原子力工学研究所とつながっている。敦賀短大と市立看護学校の合併もこの延長線で考えていいのではないか。

いずれにしても、敦賀市は、長期的視点で考えることができる全国でもまれな地域でもある。ここはじっくりと腰を据えたまちづくり、ひとづくりを考えてはどうか。あまりにも削減、削減だけが美徳となり、短期思考が目につく昨今だ。
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