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ときとして試験が人生を変える・・・。
Date:2011-03-05(Sat)

中学生の頃か、井上靖の「敦煌」を読んではまった。謎だらけの敦煌の仏典。石窟から発見された。全部で4万点。様々な言語で書かれた仏典は古語研究にとって新たな道を切り開くことになった。シルクロードの魅力もあり、何度も読み返した。

「敦煌」は科挙の試験を受け、眠ってしまい人生の目標を失った主人公から小説が始まる。「科挙」は、史上最も厳格な試験とされた。それでも二重、三重の身体検査や持ち物検査をくぐり抜け、不正が行われていた。替え玉受験、賄賂は当然、襦袢に参考文をびっしり書き込む手口もあったとか。当然、不正が見つかれば、受験者は無論、監督官も死刑とされた。それでも不正は横行したとか。

京都大などの不正入試事件、毎日、トップニュースだ。インターネットを巧みに操る手口にびっくりする。隣の答案を盗み見る程度のカンニングしか知らない私には青天の霹靂だ。弁護するつもりはないが、捕まった受験生は今後、どんな人生を送るのか、毎日、繰り返されるテレビや新聞報道で社会的、精神的な制裁は十分に受けたに違いない。

昨日の敦賀市議会でいじめ問題が一般質問で取り上げられた。この種の問題は根が深く、個々人の問題を議場で取り上げるのが妥当か、どうか判断に苦しむ。本日、新聞やテレビで取り上げられた。報道の怖さは、社会的な制裁になり、問題が解決の方向に行くのであればいいが、当事者それぞれが深いキズとなって残ることもあるから注意しなければならない。

議員になった当初、ある議員研修で「議場での議員発言は重く、ときとして裁判にもなる。それだけに、個々人の要望を受けてもできるだけ、一般化するか、政策としてできるだけ、全体の問題として取り上げるように」と教わった。

冒頭の話に戻すが、調べると、試験勉強の「勉強」の「勉」は、もとは「免」の文字。狭いところを抜けるという意味で、自分にむち打って無理やり頑張ること。一方の「強」は文字通り強いること。

試験勉強は、まさしく自分にむち打つしかない。私も入学試験、資格試験を何度受け、何度落ちたことか。落ちた要因を分析すると、家族や仕事など周辺事情はあげて言い訳をしても、最後は自分に返ってくる。試験はときとして人生を変える。変わった人生も自分に返ってくる。
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