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大震災の教訓は、あまりにも大きすぎる・・・。(市庁舎の耐震化、敦賀FMの存在意義など)
Date:2011-03-29(Tue)

 物理学者の寺田寅彦が残した言葉「天災は忘れた頃にやって来る」。かみしめたい言葉だ。昨日は、米国スリーマイル島で深刻な原子力発電所の事故が発生してから32年。79年3月28日のことだ。炉心の水位が低下して燃料棒が露出し溶融した事故。どうしても原子力の話題にキーボードが動く。あまりも今回の福島の教訓は大き過ぎる。書いたものを切り取って後回しにする。・・・・

 東日本大震災の教訓は、大き過ぎる。各市町の庁舎が破滅的な被害を受けた地域の惨状を目の当たりにする。なかでも、たびたび津波被害に遭ってきた三陸地方は防災意識が高い。壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の佐藤仁町長は、議会で「災害に強い町づくり」を話していたとき、揺れに襲われた。まさに象徴的な話だ。

 町長は、隣の3階建て防災対策庁舎に移って避難を呼びかけ、屋上に上がった。そこにも濁流は押し寄せた。屋上にいた職員約30人のうち20人ほどが流された。佐藤町長は屋上に立つアンテナにしがみつき、九死に一生を得た。
 
 1960年に町を襲ったチリ地震津波は高さ5・5メートル。防災計画もそれが基準で、10メートルを超える津波に防災庁舎も骨組みだけになった。

 この災害の教訓は、災害に強い庁舎が必要であることを痛感する。同時に庁舎を1カ所に統合することで、多大なリスクを伴うことも指摘される。大規模な地震で倒壊の危険性がある敦賀市の庁舎の耐震問題は、ここ数年、私も議会で取り上げてきた課題でもある。

 敦賀市庁舎は、昭和49年建造のために耐震性は、阪神淡路大震災の規模ではほぼ全壊とか。そのため、まず、現在の防災センター建設を提案し建設された。時期を得たものであったことは確かだ。笙の川の水害対策、消防署の耐震性がないことと、市庁舎の耐震化には、予算も相当かかることから、当面の措置として対応したものでもあった。

 また、JR敦賀駅前の駐車場を中心とする新しい建物は、駅前の賑わい創出とともに、耐震化による市庁舎機能の分散化を狙ったものでもある。今回の教訓を生かして、本体の市庁舎の耐震化は急がねばならない課題と感じた。今回の大震災の教訓の一つは、災害に強い地域づくりが急務ということだろう。そのためには、庁舎に限らず、まだ残る男女共同参画センター、ハートフルスクール、市立体育館(松原)、松原公民館など、災害時の司令塔、避難場所としての検証、見直しも大事だ。

 「木を見て森を見ず」ということわざがあるように、地域全体を見渡した対策と危機管理が求められる。災害がないとされる敦賀市でも、この教訓を生かした6万9千人が安心して生活できる地域づくりを目指したい。
 
 ・・・・敦賀FMの存在価値・・・・
 もうひとつの教訓は、ラジオだ。テレビ報道をみてもその重要さが指摘された。多くの人が避難先や自宅でラジオから流れるニュース、情報に耳を傾けた現実は大きな教訓でもある。被災地では今も大切な情報源となっている。
 
 コミュニティーFM、敦賀FM・ハーバーステーションの存在意義、存在価値を改めて感じている。デジタル化への対応だったが、市の施策として間違っていなかった証しでもある。

 震災関連の地域情報の発信に各地で頑張っている。例をあげると、津波と火災で壊滅的な被害を受けた気仙沼市に臨時FM局を立ち上げ、23日に放送が始まった。局名は「けせんぬまさいがいエフエム」。被災者の安否、ライフラインの復旧状況、給水車の巡回ルートといったきめ細かい情報を24時間態勢で放送する。市全域をカバーする見込みとか。
 
 市民から寄せられたメッセージ、食料品店の開店情報も盛り込むという。敦賀市では、災害時には防災センターでの敦賀FMの放送も計画されている。阪神淡路大地震の際も、市民が必要とする情報は時間の経過とともに変わって、随時、必要な情報を流して、どれほど勇気づけられたか。避難所で高齢者が肌身離さずラジオを聴いていたことを思い出す。情報だけでなく、励みにも憩いにもなる。
 
 現在、被災地ではラジオが足りず、救援物資として東北に送る取り組みが行われている。敦賀市が配布している防災ラジオのありがたみをかみしめている。まだ普及は50%とか、市民の早めの登録を望みたい。いずれにしてもまだまだ多くの教訓が生まれるだろう。災害のない敦賀市だが、寺田氏の言葉を今一度、かみしめたい。


・・・・・冒頭、教訓をテーマに書こうとした内容は以下の通りだ。
・・・・
79年、スリーマイル島事故当時、国の原子力安全委員会の方針に基づいて、通産省は、加圧水型原子炉で唯一運転中であった大飯原子力発電所1号機を停止の措置でのぞんだ。沸騰水型原子炉も停止の措置はなかったが、数多くの改善点が指摘され改善策に対処した。当時、私も20代後半の頃、敦賀1号機の改善にあたった。今回の教訓は、あまりにも大きい。どう対応するか、原子力発電で大事なことは、安全第一。何よりも安心をどのように生みだすか。並大抵な努力では足らない。

福島の周辺の土壌からプルトニウムが検出された。ほぼ、これまで原爆実験などと同レベルとか。一方、敦賀発電所で、福島第一の事故を受けて敦賀発電所の敷地内に観測装置を設置して、大気中のチリなどを調査したところ、今月21日から28日朝にかけて採取したチリの中からごく微量の放射性の「ヨウ素131」が検出された。検出された「ヨウ素131」の放射線量は、レントゲン1回あたりの放射線量の15万分の1程度と極めてわずかなもの。
 放射性物質は、微量でも検出されるところにその特徴がある。チェルノブイリ事故の際も、数日で日本に飛来して検出している。
 
・・・・ここで、冒頭、書きながら手がとまった。原子力の事故、トラブルの教訓は、繰り返されているが、その都度、対策、対応して乗り越えてきた。今回の事故は、まだ進行中でまだ論ずるのは早すぎるが、あまりにも大きな教訓だ。原子力は何よりも安全第一、また安心という命題をどうするか、あまりにも難しい課題を今回の事故は関係者はもとより敦賀市民にも突き付けられてことになる。
 
 地球環境問題の対応、資源小国の対応と声高に関係者が唱えても、敦賀市民の反応は、今は冷ややかだ。安全・安心という命題以上の不安が先行している現実を謙虚に受け止めなければならないことも確かだ。

 日本での原子力発電の位置づけなど、報道では、福島の事故を受けて、国のエネルギー政策の見直しも報じられているが、当面は早急にできる対策と腰を据えた中長期に分けて対応することが肝要だ。その動きで敦賀市も大きく影響される。
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