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「いつか、落ち着いたら戻る」
Date:2011-04-12(Tue)

昨夜の福島、茨城の地震の連続は、「怖さどころか、恐怖そのものだ」という。それでも敦賀に避難した方は、「故郷へ再び戻る」と語る意識は何だろう。

ところで、昨日は、朝から統一地方選挙の第一陣が終わり、選挙事務所の片付けを行った。投票日の翌朝の選挙事務所の片づけは、いつも複雑だ。「兵(つわもの)が夢のあと」ではないが、終ったという達成感と選挙戦の緊張感の残像が複雑に絡み合う複雑な心境だ。事務所への不思議な愛着が生まれている。

「夢のあと」とはまったく違った跡が災害の爪痕だ。阪神淡路大地震、福井豪雨と私も見てきたが、津波の経験はない。敦賀から復旧に行った関係者の話を伺うと「想像を絶するとはこのことか」と語った。

本来、津は「港」を指し、それをものすごい力で破壊する波のことを「津波」というようになったらしい。日本の沿岸部は昔からその被害を被ってきた。敦賀には、幸いその痕跡は、歴史上、文献上にもないとか。敦賀半島の突端の「白木」は「新羅」に由来すると言われるように地名は、過去や歴史との縁が深い。

自然災害の痕跡を先人は地名に残す場合も多いとか。今回の津波の大災害で何度も登場する福島県の浜通り、歴史上も、津波や洪水に幾度も襲われてきたとか。その種の地名はあちらこちらに見られるとか。

東日本大震災から昨日で1カ月。津波で壊滅状態に陥った地域では、引っ越しを決めた人も多い。この敦賀にも、原子力発電所の関係で家族を連れてきた方も多い。

これだけの被害だ。津波が怖くてもう住めないと考えても何の不思議もない。だが一方で、話を伺うと、「いつか、落ち着いたら戻る」と語る、今回ほどではないにしても、この地域の人々は、これまで何度も津波の被害を受けてきた。その怖さも、そこに住み続けることの危険性も知らないはずがない。それでもこれまで多くの人がそこに居を構え続けてきた。

なぜか。仕事の関係で敦賀に家族そのものを避難して、「戻る」という言葉の重さには、その土地に対する愛着そのものだ。幼いころから見続けた海や山があり、よく知った人がいて、忘れられない思い出がある。たとえ津波でまちが流されたとしても、それらはその土地に深く根を張り流されない。だから再びそこに住みたいと思うのだろう。

敦賀市民が、敦賀に住み続ける理由も、きっと同じだ。家庭や仕事の事情があったとしても、それはいつしか2番目、3番目の理由になっている。何となく暮らしているつもりで、実は東京ではなく敦賀を選んでいるのである。

私も敦賀に住んで30年を越えても、まだ「旅の人」とよく言われるが、けっして否定はしない。四国の望郷の念は誰もが同じだからだ。また一方で、敦賀に生活の糧を求めて長く住み続け一生を終る、市民も多い。私もそうだが、敦賀が第二の故郷になっていることも確かだ。

新しく選ばれた敦賀市選出の県議3人、そんな思いに応える義務があることは確かだ。昨日には選挙ポスター用看板がこれまでの知事、県議から市長、市議用とすべて変わった。統一地方選の第2段が17日から始まる。この土地を愛している人が、この土地に住み続ける人が、できる限り長く住み続けられるよう努める義務がある。この敦賀の将来を考え、子孫に継承していくためにも、政治、行政の役割は大きい。我が身も含め、気を引き締める。
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