FC2ブログ
「人のお世話にならぬよう、 人のお世話をするように そして、報いを求めぬよう」(後藤新平)」
Date:2011-07-13(Wed)

名勝「気比の松原」の入口、松原小学校前横に「松原公園」と書かれた石碑が立つ。後藤新平の書とある。大正9年11月と書かれている。ここは、かつては、水族館や小さな動物園もあったとか。公園にふさわしい場所だったのではないか。

調べると、翌12月に東京市長(現・東京都知事)に就任する直前で、前々年に外務大臣を退いてからしばらく政界を離れていた時期のようだ。

後藤は、明治中期から昭和にかけて東京市長や内務大臣などを歴任し、都市政策などで数々の功績を残した政治家でもある。公園を大事にし、東京は、皇居をはじめ意外にも緑が残る。

関東大震災の直後、内務大臣兼帝都復興院総裁として震災復興計画をまとめたのが後藤新平。今、注目されている人間だ。大規模な区画整理と幹線道路の整備などを計画に盛り込み、必要な予算を13億円と見込んだ。

当時の国の予算の約1年分に匹敵する規模だったため、後藤は「大風呂敷」と揶揄され、実際に予算化されたのは4割強にとどまる。それでも実行に移された復興事業は、今日の東京の基礎を築いたとされる。

調べると、またまたおもしろいのが、大震災の翌年、1925(大正14)年3月、日本初のラジオの仮放送が開始された日に、東京放送局の総裁として、あいさつが電波で流れ、その年の昨日、7月12日、86年前、本放送が始まった。その後、大阪、名古屋に誕生した放送局と合併して、26年に日本放送協会(現在のNHK)に再編され、ラジオは一気に全国へと普及していった。

後藤はラジオ放送の父でもある。大震災の教訓から、信頼される情報を伝えれば、不要な混乱を防ぎ、庶民の暮らしや社会にも大きな価値を与えると、時代にそくして機敏に対応している。

以前に、後藤の名言で「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。
仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。
よく覚えておけ!」を紹介したが、

もうひとつ名言で

「人のお世話にならぬよう、
人のお世話をするように
そして、報いを求めぬよう」

を後藤のようにはなれないが、かみしめたい名言だ。

東日本大震災の余震が残る現場で、ボランティア活動で注意しなければならないのが、地震からくる津波。陸前高田市のボランティアで指示を受けたのが、ラジオ情報。常にスイッチONでがれき撤去にあたった。

ラジオは、携帯に便利な上、停電でも電池さえあれば情報を入手できる。敦賀市配給の防災ラジオは、寝床に置いている。5月の笙の川の洪水警報で夜12時前に一度だけ緊急放送が流れた。テレビもいいが、ラジオも見直されている。

後藤新平がどういう由縁で揮毫したか、「松原公園」の石碑と後藤の経緯を私は知らない。調べてご報告したい。
スポンサーサイト



【2011/07/13】 | ページトップ↑
| ひとことトップ |