FC2ブログ
釜山港視察
Date:2011-07-19(Wed)

昨日は朝から忙しかった。福岡から釜山へのフェリーが欠航したため、飛行機に変更。なんとか釜山へ。昼から興亜海運とパンスターラインの海運会社を訪問。

いずれも敦賀港と定期航路を持つ会社だ。コンテナ船はもとより、RORO船と海外貿易の重要な相手先だ。ここ1年の取扱量の伸びもこの会社におうところが大きい。 

現在、敦賀港は、定期コンテナ船は韓国(釜山)航路が週2便、更に2010年RORO船での韓国(釜山)航路が週2便就航、合計週4便に航路が拡充し、その主役が釜山港だ。

海運会社だけに、商売の厳しさを語っていた。燃料費の高止まり、円高による荷役費用の支払いなど、航路維持だけでも大変だとも述べていた。

興亜海運からは、24時間港、荷物量の確保、そして、補助金の復活を要請された。パンスターラインからは、東海市ーウラジオストックと敦賀港を結ぶ提案をするDBSクルーズを批判し、今、敦賀港の関心は高まっており、中京、阪神へのアクセス道路の改善や福井県の敦賀港に対する姿勢に改善などがあれば、もっと発展の余地はあるとも指摘を受けた。

ここで釜山港を紹介すると、コンテナの取扱量が年間1200万TEU(2006年基準)で世界第5位の港湾で、近隣諸国の主要港湾を結ぶ北東アジアのハブ港として機能。地理的に欧州と北米を結ぶ主要航路上に位置していることから、両地域間を航海する船舶は船路を変更せずに釜山港を利用することができ、なによりも需要が伸びる東アジアの拠点港と位置づけは、もはや日本の相手ではない.。日本はお客さんに過ぎない。


また、国際競争力を強化すべく、2015年まで30バースを備えた釜山新港を完工する計画。

総91億5000万米ドルが投じられる同工事が完工されると、釜山新港は年間804万TEUを処理できる。また、22列の先端ツインリフトと最新システムが導入され、世界最高水準の港湾となる。

釜山新港の北側の物流団地もあり、外国人投資家は新港と流通団地に投資することができる。昨日は、この投資まで提案された。

70年代後半に私は、海運事情を大学で学んだが、この頃は日本もまだ日本はアジアの中心的な存在であった。しかし,80年代、90年代と急速にその地位を釜山港、上海港、シンガポール港へと明け渡していった。背景には、当時の運輸省など港湾行政の大きな誤りがあったことは事実だ。福井県が取扱量も格段に違う敦賀港ではなく福井新港に多額の経費を投入したこと同じだ。

パンスターラインは「もはや日本は手遅れ」ともはっきりと語った。

これは余談だが、はでしこJAPANの沢選手が、かつて、米国のプロリーグで鍛え、学んだことは、「自分の考えをはっきり言うこと」とか。昨日のパンスターの役員は、韓国人らしく、はっきりとものいってくれた。1時間の予定が30分もオバーした。

沢選手に戻すが、彼女曰く「激しく言い合ってこそ絆は強まる」。チームの主将沢選手が座右の銘を明かしている。「夢は見るものではなく、かなえるもの」。

今、敦賀港に何か戦略があるだろうか。パンスターの役員からは国の拠点港の地位を得ても「何が得られますか」と鋭い質問が飛び込んで来た。彼曰く「国内だけを見ていてはダメだ。世界を見ない」と。

釜山港には日本の各県は連絡事務所を置き、情報収集や観光宣伝など、もはや極東アジアの中心は釜山港。福井県の県知事や職員の顔はほとんど見たことがないとの指摘だ。日頃の努力なしではけっして実らないとの指摘でもあった。

大輪の花を咲かせたなでしこには、80年代から壁にぶつかり、試合に負けて、悔し涙を流した。それも、世界を見ての結果だった。試練を乗り越え、かれんななでしこはたくましさを増した。

日本の海運は、80年代から戦略を誤りが、国内ばかりに目がむき、もはや手遅れとなった。しかし、それでも活路はまだまだあるはず。それには港湾整備も大事だが、日頃の情報収集や戦略が必要とも感じた。
スポンサーサイト



【2011/07/20】 | ページトップ↑
| ひとことトップ |