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ドジョウらしく、泥くさく、そんな振る舞いが必要な敦賀市?
Date:2011-08-31(Wed)

昨日は、政権交代からまる2年。空気を変えることも大事だが、変わるだけで何も進まない、本当に難しい時代だ。2年前は敦賀市も高速増殖炉もんじゅの再開と敦賀3,4号の建設と、現実に歯車が動き始めたが、今、その動きが止まった。

もっと、ふりかえること、18年前。 1993年8月、自民党は政権から転落した。7月の総選挙で第1党は保ったものの、過半数には遠かった。新生党、日本新党など8党・会派が組むウルトラCで、細川連立政権が誕生した。仕組んだのは、小沢一郎・民主党元代表。

18年前は、私が東京に出て4年目。労働団体のひとつであった友愛会館で、はじめて小沢一郎・民主党元代表にお合いした。今と違って若く、黒幕的なすごさを感じた。敦賀市は、当時、もんじゅ建設の全盛期で本町が賑わった頃だ。

そして、2年前。巡る夏の終わりに政権交代が再び。民主党が単独過半数を超す大躍進、このときは、小沢元幹事長の役割は大きかった。長く難攻の城だった自民党の石垣はガラガラと崩れた。遠近の風景を映しつつ、また,歴史の歯車は大きく回った。回ったが、回ったまま、大震災と福島の事故で、戦後、最大の危機となった。敦賀市も原子力で難しい時期を迎えた。

そして、一昨日、 「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよな」。好きだという相田みつをの詩を引用しながら「ドジョウらしく泥くさく政治を前進させる」。民主党代表選の立候補演説で野田佳彦氏はこう述べ、昨日、第95代総理大臣にのぼりつめた。

苦労人らしい。演説では、飾らない言葉や話しぶりからも誠実さが伝わってきた。一方で、政策論争というよりも、またぞろ、小沢一郎元代表へのスタンスが、「親」か「反」かで党内がまた二分された。何度も繰り返された光景を再び見せられた国民は、どう感じたのか。

「怨念の政治を乗り越える」と強調していた野田氏。当選後のあいさつで、「ノーサイドにしましょう。もう」と語った。最後の「もう」に力が入っていたのが印象的だ。民主党に宿る業を取り払うか、利用するか。少し大げさだが、日本の浮沈はこの一点にかかる。

2人の民主党代表の前任者に比べ、野田氏は地味ながらどこかホッとするものも持ち合わせていると思うのは、私だけではないはずだ。原子力政策も、拙速に進む脱原発の世論、時間をかけた議論から、正常なる歩みへの取り組みに期待したい。

政変や政争で、めまぐるしく変わる政治だが、敦賀市は、もんじゅと敦賀3,4号で次の発展があるか、国の原子力政策によっては大きく影響される時期を迎えている。

とはいうものの、7月県内有効求人倍率1.04倍 4カ月ぶり好転、震災影響薄れ、敦賀市も1.17倍と県下最高が続き、駅前のホテルも満杯状態が続いている。この敦賀市の雇用は、原子力発電所で動いている。

情緒的に書き進めたが、昨日、議会の 敦賀短期大学調査特別委員会。県大の交野元副学長から大学化への想い伺った。これも決断が迫っている。医療、介護など生活とも関連する重要な課題だ。財政運営と深く関わっている。原子力発電の進み方で、この町の様相があまりも変わる。

昨日、午前中、私は、障害者福祉の中心である太陽の家を訪問した。幼児から高齢者まで切れ目ない福祉環境が整い始めている。これも原子力による財政運営と深く関わっている。

政治と雇用、暮らしと原子力は、敦賀はあまりにも直結している。原子力発電の安全・安心の確保はもとより、国の原子力政策の停滞から見直し気運が、強いだけに野田氏の言葉ではないが「ドジョウらしく、泥くさく」、ここは「じーと、ガマン」…そんな振る舞いが必要な敦賀市かもしれない。
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