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福井大学の敦賀進出と大和田荘七
Date:2012-02-26(Sun)

昨日、福井大学附属国際原子力工学研究所の竣工式、今後、どんな歴史を敦賀に刻むだろう。竣工式の後、図書館で気比史学会の講座を聴いた。演者は博物館館長の川村氏。題材は敦賀の偉人「大和田荘七」。

その遺構とも言うべき駅が北海道に残っている。その名も「大和田駅」。明治40年には巻き上げ機会を整備し、大和田から留萌まで馬車による軌道を整備し、当時一流の先進的な炭鉱だった。明治43年には斉藤炭鉱が大和田炭鉱に吸収合併され、大和田炭鉱株式会社として全鉱区を採炭する。

この大和田荘七の名前がその三年後に開通した鉄道留萌線の駅名になり、また大和田町という地名の由来になった。昨日の話では大和田音頭もあるとか。大和田荘七は大正7年には炭鉱より撤退した。その炭鉱も昭和34年、明治以来断続的に続いてきた大和田炭鉱が閉山。大和田駅のみが残っている。

銀行、海運、鉄道、そして炭鉱と明治、大正、昭和と、敦賀の繁栄の祖ともいうべき偉人の足跡をたずねるのも、敦賀の元気の元を発見できるかもしれない。

その北海道には、無人で小さな駅が多い。小さな無人駅「幸福駅」が注目を集めたのはもう40年近く前になる。帯広市と襟裳岬に近い広尾町を結んでいた国鉄広尾線。2駅隣の愛国駅からの切符がブームを呼び、歌謡曲の題材にもなった。

広尾線は廃止されたが、両駅の駅舎は観光スポットとして残る。NPO法人地域活性化支援センターが選定する。

最盛期には年間数百万枚売れた「愛国から幸福ゆき」は、縁起の良い駅名切符商品化の先駆けだった。昔ながらのはさみを入れる硬券はレトロ感覚も受け、変わった駅名でなくても各地のローカル鉄道の定番商品となった。

敦賀市議会で平川前議員は、新疋田駅を地区の愛発にあやかり「愛発駅」に駅名を改名してはと、二度ほど提案した。愛発(あらち)と「あいはつ」のかけるのも面白い。今、ここはトンネルが二つと微妙な線路のカーブが魅力とかで写真マニアの定番となっている。

各地のローカル鉄道の経営環境は厳しい。舞鶴若狭自動車道の2年後の開通で、小浜線の乗客数の減少も考えられる。少子化で通学の学生が減り、今後、どうなるのか心配でもある。

自転車で百キロ、東舞鶴まで走らせると、また自転車で敦賀に帰る体力はない。そこで小浜線のゆったりとゆれる心地は風景とともに、これも楽しい。

小浜駅には、地元の市民がつくった座布団がおかれている。ぬくもりを感じる話題も少なくない。生活を支える足として、地域に愛され続けてきた歴史を持つが故だろう。 

福井大学の敦賀進出と新たな一ページが開かれた。
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