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喫茶店の今昔
Date:2012-05-08(Tue)

どうも入院が一週間程度長引きそうだ。理由は耳の手術の縫目の一部から水分と多少の膿がでるからだ。当面はこの傷口の様子をみて退院となる。私の不徳の致すところと申し上げるしかない。昨日は外出許可を得て、原電の発電所と敦賀市役所を退院の延期を報告に行った。迷惑をかける事をお詫びしたい。

ところで、昨日は、高速道路から敦賀市内に入ると不思議と気持ちが落ち着く。わずか17日ぶりの敦賀だが、顔見知りが多いせいか、居心地のよさを敦賀の空気で感じた。

居心地のよさ、落ち着く場所と言えば、住みなれた場所もそうだが、私たち世代は喫茶店がそのひとつだ。福井大学病院内に喫茶のドトールコーヒー店がある。入院しているとシャバというか、世の中の接点がどうしても恋しくなる。院内でコンビニ的なショップで本や雑誌を買い、喫茶のコーヒーと本を読んで過ごす、つかの間の憩いとなる。

我々の世代の象徴的なのが、ガロの「学生街の喫茶店」のフォークソングが流行っ頃でもある。私が二十歳の1972年と記憶する。デートにしろ待ち合わせは喫茶店が大半。♪あの頃はお茶を飲み、訳もなく…時は流れた…♬のフレーズがピッタリだ。

ゴールデンウイークが明けると学生寮の近くの居酒屋、パチンコ店、喫茶店にたむろするのが定番の居場所となった。敦賀に来た当初、多くの喫茶店があった。気比神宮近くには懐かしいジャズ喫茶まであった。知り合いもいないので、日曜日となると、よく入りびたることとなった。

調べると、総務省統計局「事業所統計調査報告書」よると、日本で喫茶店は、ピークの1981年を境に減り続けている。データーによると現在、スタバなどの出現で減っている印象は少ないが、ピーク時の半数近くになっている。

ここまで書き進めたのも、友人が先日、出身地の四国の喫茶店を閉じたとの風の便りだ伝わったからだ。四国の高松では、コーヒーも出すが、さぬきうどんも出すと言った、純喫茶とはほど遠い存在だが、それでも経営が難しくなっていた。

敦賀でもなじみの店が少しづつ、閉店していったが、逆に客層もかつての若者から熟年世代と変わり、定年や脱サラで、喫茶店を営む仲間もいる。

歴史を振り返れば、17、18世紀、ロンドンのコーヒーハウスやパリのカフェにはいろんな情報がもたらされ、政治や芸術をめぐり活発なやりとりがあり、日本でも同じような現象となって、それが発端で世論が形成されたとの記録もある。

敦賀ではどちらかと言うと、居酒屋の議論が巷の世論となることもあるが、喫茶店も市民感覚を確認する上で、これほどいい場所はない。昨今で言えば、原子力発電の安全・安心から再稼動問題まで、ただ単なる居場所だが、それとなく市民感覚というか、本音も語ってくれる。駅前の喫茶店となると市外、県外の方とも話ができる。

居酒屋、ショットバー、喫茶店と意外と、不思議な議論空間が形成される。それにはなじみになることから始めることとしている。だだし、院内喫茶は今の境遇からの逃げと憩いの場に過ぎない。
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