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黒部の太陽と軍艦島
Date:2012-05-22(Tue)

私の高校時代、年一度の映画教室があった。3年生は「ある愛の詩(うた)」。1年生は「黒部の太陽」。いずれも感動した作品で「黒部の太陽」はその後、一度も観る機会がなかった。

石原裕次郎が遺言で「大型スクリーンでしか見せないでほしい」と言ったとされることで、その後の映画館の衰退やビデオの普及で観る機会もなく幻の作品となったらしい。

今年が石原裕次郎没後25年にあたることから、映画「黒部の太陽」が全国でチャリティー上映される。また、その売上は、東日本大震災の被災者へ義援金として寄付される。ぜひどこかで観たいと思っている。

一昨年、久しぶりに黒部第四ダムをみる機会を得たが、木本正次の小説「黒部の太陽」もさることながら吉村昭の黒部第三発電所建設を扱った「高熱隧道」もエネルギー確保に、どれだけ苦労があったか、感動と元気をもらえる作品だ。黒部第一、第二も戦前ということもあり多くの犠牲者を出している。

戦後の高度成長など、発展の基盤にエネルギーの確保があったことを忘れているような気がしてならない。

もうひとつ紹介したいのが長崎県の通称「軍艦島」。1890年から海底炭坑の本格操業がなされ、国のエネルギー政策の転換で1974年に閉山した。閉山直前に乗船実習で遠くから観た。まさに軍艦のようなごつごつさが脳裏に残っている。南北480メートル、東西160メートルの島にはピーク時5000人以上がひしめき合って暮らしたとか。廃虚ブームもあり、2009年に近代化産業遺産群として世界遺産暫定リストに記載された。犠牲者も多く、戦前は強制連行もあった。夕張炭坑と同様、産業観光の動きがある。

「黒部の太陽」の同様に、高度成長期へのノスタルジーとして見るのではなく、エネルギー確保の苦労と難しさとともに、隠れたエネルギー確保の苦難でもある。

日本という国のエネルギー政策は、資源を持たない国が、水力、石炭、火力、そして原子力といずれも平坦な道のりではなかった。軍艦島、夕張、磐城、筑豊の炭坑の跡地は、ノスタルジーとは縁遠い、苦労の遺産と言える。原子力発電も例外ではない。

エネルギー確保を再生可能エネルギーや電力自由化と言った安易なムード先行の議論が多くなっている風潮が、将来の日本を考えるとこれでいいのか、と思っていまう。敦賀もその延長線上にあることは確かだ。

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