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天皇と天下人
Date:2012-08-26(Sun)

昨日は、午前中、野球フェスティバル、連合のふれあい活動、午後は気史学会の市民歴史講座。藤井譲治さん(ふじい じょうじ )の講演。教授は小浜市出身で敦賀市史の編纂にもご尽力いただいたか。日本史学者で、京都大学名誉教授でもある。

講演は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、ときの天皇が織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という「天下人」たちとどのように接していたかが主体。
 
戦国時代末期の天皇・朝廷は、存亡を危ぶまれるほどの状況であったと指摘されている。しかし、巧みに時流に乗るしたたかな天皇像を語った。 

その特徴として、京都を政治的に支配する勢力に対して、天皇や朝廷は基本的にその地位を承認し、関係の構築を目指そうとしている点が挙げられよう。たとえば、信長を朝廷内に取り込もうとしたかと思えば、それを討った明智光秀を賞賛し、さらに秀吉に取り入ろうとする。

勝ち馬に乗ろうとするこうした振る舞いについては、場当たり的であるとか、定見のないものと批判されることもある。 しかし、中世の天皇や朝廷は、その存続こそ重要なものだったから、現代的常識でこれを判断するのは必ずしも適当ではない。彼らにとって京の荒廃は、何より恐れることだったのである。

興味を引いたのは、秀吉が、朝鮮征伐後、中国 の北京に天皇を移すと真面目に文書を送ったのに対し、天皇はやんわりとお断りを入れている文書を紹介していただいた。

天皇と「天下人」とのこのような関係性は、何もこの時代特有のものではなく、それ以前から続けられていたものであった。いわば、現代にも通じることがある。

ところで、高校時代の部活動で柔道に熱中していた野田佳彦首相。「押さば引け、引かば押せ」。柔道の極意とされる。相手との間合いをはかり、動きに自在に対応する動作が攻め手につながる。外交問題もそれに似て、「押さば押せ、引かば引け」では編み出すべき妙手も見いだせなくなる。

天皇と天下人の関係ではないが、たくみな交渉と粘り強い忍耐力が必要なことはいうまでもない。
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