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酒税と元気度
Date:2012-09-25(Tue)

巷の元気度を示すデータを探している。増加と言えば敦賀での、ここ10年のコンビニの店舗の増加は大きい。逆に過当競争にも陥っているのではないか。経営する店主も今が正念場と話す。原子力発電所の定期検査と密接に関係する店舗もある。

我々年代での元気度は、やはり本町の飲食店の数と屋台のラーメンの数ではないか。データ的にも敦賀税関の酒税のトップは、高速増殖炉もんじゅ建設が終了する間際の平成8年度。これをピークに現在は右肩下がりだ。見事にデータが示している。

もう一つのラーメン店は、定かではないが、昭和50年代初期の頃ではないか。産業構造的に語ると製造業の従業員がピークを迎えたのが昭和40年代中頃、工場で働く従業員が多い頃でもある。また国道8号線とフェリーターミナルの郊外化も影響している。

また、中心市街地の駅前から相生までの商店街の店舗数なども平成8年頃から減少速度を増している。逆にこの頃から新木崎通りなど周辺市街地の店舗数が伸びてき、現在は飽和状態になっている。

冒頭の酒税と元気度に戻すが、私はかなり関係していると思う。歴史的に見ると、日本で清酒が造られ始めたのは戦国時代という。武将らが豪快に飲み干す姿が浮かぶ。

先日、滋賀の浅井長政の小谷城を散策したが、城内から多くの杯ととっくりが、出土している。ろう城3年、信長が落とせなかった理由がここにあるのかとも思ってしまう。

ものの本によると、江戸時代後期には灘など上方で大量生産が可能になり、回船が大消費地の江戸に運んだ。江戸の華やかさが高じたとか。幕府の財政基盤のひとつが酒税とか。

明治時代は戦費増など国家財政支出が増大。酒税も3回増税されて、1899(明治32)年からは国税の税収第1位に。これが明治日本を支えた原動力とも。

それから100年以上過ぎたが、敦賀酒造の歴史は、もっと古く、四百年近い。芭蕉よりも古い。ぜひ守りたい敦賀の財産、観光資源と思うが、うまくいかない。

それはともあれ、秋の月は風情がある。月見で一杯いい。忘れてならないのは「飲んだら乗るな」。適度な飲酒は百薬の長だが度を越せば害になる。

理由はいろいろあろうが、酒離れも重なり、敦賀税関での酒税の減少はたばこ税よりも大きい。どれほど元気度と関係するか、これは難しい。
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