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結果責任と連帯責任…
Date:2013-03-10(Sun)

「結果責任」という言葉がある。ある行為によって発生する結果に対する責任のことである。原則として全ての行為において結果責任が発生するが、ある行為を行った者と責任を負担する者が常に一致するわけではない。

法的な責任においては過失責任主義が原則であるので、結果責任はしばしば道義的責任にとどまることも多いが、無過失責任のように法的に規定される場合もある。とあり、重くもあり、身のふるまい方はそれぞれでもある。

「政治は結果責任」という言葉をよ。「責任」を辞書で調べるとおおむね二通りの意味が載っている。①人が引き受けてなすべき任務、②政治・道徳・法律などの観点から非難さるべき責(せめ)・科(とが)とある。

安倍首相はこの言葉をよく使う。最近は、「TPPは政府の責任において判断する」という。一方で、民主党前政権の政策を「無責任」と次々切り捨てる。

原子力政策に関しても「責任あるエネルギー政策」という言葉をよく首相は使う。確かに民主党のエネルギー政策は、日本や立地地域のことは考えず、無責任にも、選挙間際に迎合主義になったのか、脱原発ゼロに大きく舵を切った。

選挙の結果責任か、安部首相は、無責任と言った言葉は聞かないが、1年程かけたエネルギー政策の議論が最近は、水疱の如く消えている。ただ、その無責任さの延長で敦賀に大きな試練が訪れているとも思ってしまう。

一方で、東京電力の福島の事故に伴う責任は、あまりにも大きく、東京電力だけに、とどまらず、原子力界、それとともあった敦賀市もおおきな影響を及ぼしていることは、確かだ。破砕帯問題に関する原子力規制委員会の調査と議論、これで本当に妥当なのか、と思ってしまう。

責任は、多くの場合①の意味で使っている。しかし、福島の事故の責任は、②の責任でもある。「連帯責任」という言葉がある。今月末をもって、敦賀発電所を去る方からは「これも原子力業界の連帯責任ということですか」との言葉が私にむけられた。このことは、連帯責任とは明らかに違うと思うが、仕事を失うものにすれば、切実な環境変化だ。

敦賀2号機の破砕帯の問題は、原電の経営や従業員のみならず、関連会社やそ派遣社員まで、その雇用と生活を変えている。なかには敦賀を去る方もいる。

福島の事故の影響はあまりにも大きく、責任をとれる範囲に収まるものではないことは、確かなようだ。明日で東日本大震災と福島の事故から2年だ。気が重い週の始まりだ。
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