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中坊さんと敦賀の処分場問題
Date:2013-05-12(Sun)

四国の私の世代の少し後、粉ミルクに猛毒のヒ素が混入した「森永ヒ素ミルク事件」が起きたのは1955年。約1万3千人が被害を受け、翌年までに130人が死亡した。
森永の徳島工場でつくった粉ミルクにひ素が混入して乳児が死亡し、乳児が中毒になるという大惨事だ。それも加害者は森永であっても直接、飲ましたのが、母親だから、いっそう問題を深刻化させ、社会的な事件となっていた。

友人の妹に体に不調を訴える現実を幼少の時からみると、三つ子の魂ーとなる。私も森永の粉ミルクで育ったと母から聞かされ、時期が合えば、同じ運命をたどったかない。
この思いは半世紀たった今でも残り、不買運動的な後遺症をとどめている。

このミルク事件発覚の年に司法研修所に入り、後に被害者弁護団長となる元日弁連会長の中坊公平さんが83歳で亡くなった。

中坊さんという人間の原型は、森永までで出来上がったと回顧している。当初は弁護団長を断るつもりだったらしい。事務所経営が安定し始めたのに、それを失うのではないかと、ごく当たり前の人間として考えもしていたとか。ある本で詠んだことがある。

その中坊さんが四国、近畿一円の被害者宅を一軒一軒訪ね、聞き取った親と子の苦しみを法廷で40分間にわたって、原稿も見ずに弁じた。わが子に毒を飲ませたと自身を責める母親、「アホ」と差別される子の日常。裁判長が涙をこらえようと天井を仰いだのは語り草である。

消費者問題でも敏腕を発揮、「平成の鬼平」と呼ばれたが、後年、不良債権の回収方法をめぐって批判を受けたり、刑事告発されたりした。また、同じ四国の香川県の豊島の産廃問題にも中坊さんが取り組んだ。

私も視察で何度か訪れ、中坊さんの活躍ぶり本で読んだ。先日も豊島、直島を訪れた。かつてのゴミの島、精錬の島が、国際芸術祭として観光客が訪れ、産廃問題は、いったいどこに行ったのかと思うほどの変わりようだ。

敦賀の樫曲の処分場問題で、十数年前か、当時、中坊さんの助けを借りようと仲間で話し合い相談を持ちかけたこともあった。敦賀の処分場にはシートがくまなくかけられビスフェノールなど汚染物質も日々、管理され、その効果が確認されている。完璧では、何しろ妥当な解決策と思っている。その問題も豊島と同じように風化というより忘れ去られようとしている。

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