鈍感とケセラセラ
Date:2013-09-26(Thr)

中学の先生と話す機会を得た。現代の子供たちの世代では、インターネットや携帯電話は離せない存在でもあるが、逆に、ネット依存症でいじめや精神異常がなるとか。

なかでも、子どもたちの間で、インターネットを使った「ネットいじめ」が深刻化している。無料通信アプリのLINE(ライン)では、友人のメッセージを読んだら早急に返信しないと仲間外れにされる。当意即妙な反応を強いられ、閉じた世界の中で疲れて、不登校に、引きこもりと、マイナス面も多い。

対応策ではないが、クラブ活動は狭い人間関係にしがみつかない意味で有効とか。いじめに悩む子どもを学級や学年といった既存の枠組みから解放する役目があるとか。

30代の先生方が学んだ時期は「ゆとり教育」がさけばれそれなりに意味があったという。この世代も「ゆとりが大事」と言われて育ち、いざ就職しようとすれば超氷河期。やっと勤めても、現代の先生自身も忙しく、精神的に追い詰められる方も多いとか。

携帯電話やネットは、もはや欠かすことのできないのか社会だ。学校現場も子供も先生も時代が変わっての違った意味でストレス社会だ。

先生曰、いいか悪いかは別にして、「ケセラセラ」的な考え方も必要だともいい、私も最近読んだ本で、敏感であることの優位性に疑問を投げかけた渡辺淳一さんのエッセー「鈍感力」がいい。健康を保ち、才能を開花させるには、いい意味での鈍感さも必要だ。

効率性、敏感性が優位な時代だが、長い意味ではケセラセラ、鈍感も大事だ。 
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