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原子力と敦賀人気質
Date:2013-11-22(Fri)

昨日は、午前中、原子力機構 敦賀本部 アトムプラザ2階アトムホールで「第4回レーザー共同研究所成果報告会」。

内容は 福島の事故で溶融した核燃料等の取出しに向けたレーザーの利用 、原子炉廃止措置に向けたレーザーの利用 、レーザー技術の最新医療応用など、原子力機構が取り組んでいるものの報告会。最先端技術ばかりで、これを敦賀で、研究していることを改めて知ると嬉しくなる。

午後は、福井大学の原子力工学研究所で敦賀市立博物館館長の外岡慎一郎さんによる異分野横断セミナー、演題は「近畿三角地帯から読む敦賀の歴史的特質」で、市民にも開放したもの。

これも地震論から始まり、最後は敦賀人気質まで幅広く、敦賀を興味深く、納得のいくものだった。

なかでも敦賀商人を代表する言葉に「百両旦那、千両天秤」を聞かされた。セミナーではなかったが、滋賀の近江商人は勤勉で、千両稼いでも、天秤棒を稼いでもせっせと行商に励んだ。確かに近江から近代日本を代表する堤清次郎のような実業家や高島屋、大丸とか大百貨店が生まれたのだ。

一方、敦賀商人はたった百両貯めただけですぐ旦那意識をもつようになる。泉鏡花『高野聖』にも描かれるように、交通の要衝で港町として栄えた。

当然、ここには花街があった。遊郭は船乗りにつきものだが、敦賀の町衆も支えた、遊び人も多かったと。今も残る山車の幕は、当時の敦賀商人が惜しげもなく寄付したもの。大和田

外岡さんは、船による北海道交易は、海が荒れ、見通しがつきにくい航海だった。そのため近江商人や大阪商人が敦賀の船問屋に金と倉庫を預けことにより、敦賀商人は他力本願で蓄財が出来たと加えた。

これを自虐的とらえれば他力本願となるが、交流都市ならでは気質。数十年の敦賀居住者でもあっても、敦賀と出身が違えば「旅の人」となるが、逆に受け入れる寛容さは大きい。

原子力発電所もその延長線ではないか。原子力機構、福井大学附属国際原子力工学研究所もこれに続いている。そこには人材が集まる。 そして、結婚し子供も育てた仲間も多い。私もその一人だ。
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