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野球も、労組も、政治も、それだけで意味のある活動だ。
Date:2008-07-20(Sun)

昨日は、朝9時過ぎから自転車を飛ばして美浜の渓流の里へ。労組行事だが、若い世代の子連れの家族は私にはまぶしい。戻って、福井へ。これは車。準備30分遅れで到着、「鈴木こうじ塾」の開校式。政治家養成の私塾の始まりだ。20人を超える若者が集まる。これも私にはまぶしい。そして昼下がり武生へ。岩国哲人衆議を招いての民主党越前セミナーの準備と本番。集まる年代は団塊の世代が中心だが、この暑さの中にも予想外の観客。まぶしさと驚きに満足の一日。

ところで、野茂投手の引退の福井新聞一面の掲載は、ひとつの時代の終わりを感じた。野茂投手が大リーグで活躍した1995年は、今以上に閉塞感が漂った時代だったと記憶する。1月の阪神大震災、3月のオウム真理教の地下鉄サリン事件と、目の前の神戸三宮の廃墟、目の前のサリン事件での救急車と閉鎖された道路と、自分が、映像と違う現実は、まさに見てしまったという光景だ。当然、脳裏に深く刻み込まれている。そんな印象深い年だった。

その年の野茂の大リーグでの活躍は、アメリカンドリームそのものだった。衛星中継にくぎ付けになった。トルネード投法と、ストンと落ちる絶妙のフォークボール。本場の強打者をばたばたと打ち取る小気味よさは胸がスカッとした。もう13年も前のことだ。

話がころころと変わって申し訳ないが「本県の県職員や警察官採用試験をめぐり、県人事委員会と県警が県議の要請に応じ、事前に特定の受験者の合否情報を知らせていた」とのテレビと新聞報道は、事前通知の裏側に何かがあったのではという疑問は、誰もが抱くもの。

長年にわたって慣習的に続いていたと報道されているが、一般市民は、長年、口利きがあったとみている方も多い。

大分県教委で発覚した教員採用汚職事件の根は深い。これらの不正は長い間行われてきたようだが、慣習化すると良心が簡単に失われる点に恐ろしさを感じる。警察は、教育界だけではなく、県議会や国会関係者も視野に入れての捜査に入るとも。

と言うのも、末端の議員が書くのも変だが、教員の採用や人事をめぐって、政治家が口利きをするケースが全国的にもうわさが絶えないからだ。不正が後を絶たないのは、教育界独特の「一家意識」も背景にあることは確かだ。私の両親も先生だけに理解できる。死ぬまで誰からも「先生」と呼ばれる一種独特の世界だ。

市役所や県庁でも一般の職員は、複数の分野を経験し、行政全般への理解も深めると同時に倫理感も養う。しかし、教師はずっと同じ世界におり、派閥的なものも生じやすいことは確かだ。また、就職時から一生「先生」と呼ばれて大事にされるために、誤った権力意識を持ちがちだ。私の両親も、定年後もプライドもそれなりに持ち、それが逆に認知症になったときの、私のギャップとショックは大きかった。

私ごととは別だが、権力意識を持つ人ほど権力を誇示する政治家には弱く、不当な要求を断れない風潮は確かだろう。「口利き」はなかったとする教育委員会の説明と事前通知の矛盾は、一般県民、市民は信じていない方が多い。議員の口利きは、私も注意をするが、困っている市民を支援するのも役目と思っている。就職は、その方の生活そのものだ。口利きが、すべて悪いとは言わないが、それでも限度がある。

大分県教委の問題は、地方行政に与える波紋は大きい。それだけに膿を出す機会でもある。福井県も疑いがなければ晴らす機会でもある。解明と不正防止の観点でも、もう一歩踏み込んだ対応すべき時期でもある。

話を戻すが、野茂投手の最近の姿は、球団を転々とし、肘を手術し、黙々と投げ続ける。関西に私財を投じて、野球少年を育てている。周囲の評価とは無縁の、野球が何より好きな求道者のように映る。時代の空気は急速に13年前以上の重さを感じる。いまどきという言葉似合うほど、損得抜きで取り組む若い労組役員、私財を投じて政治家を育てる「鈴木こうじ塾」と、元気をもらう。野球、政治も労組活動も、それだけの意味のある活動だ。時代の重たさの中で、意味ある活動は大事にしたい。
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