「人道の港」敦賀を訪れた米国証券界の大物
Date:2014-07-04(Fri)

敦賀市は港、交流都市、鉄道の街と、地勢学的な特徴を持つ。それにドラマが生まれる。

第二次世界大戦中、杉原千畝・駐リトアニア領事代理が発給した「命のビザ」で、ロシア・ウラジオストクから敦賀港に降り立ったユダヤ人難民の一人、82歳のレオ・メラメド氏が3日、73年ぶりに昨日、敦賀市を訪問した。市役所で出迎えたが意外に小柄で若い印象を持った。

メラメド氏は米先物取引所大手「CMEグループ」の名誉会長。「金融先物市場の父」としても名高い。今月1日には首相官邸で安倍晋三首相とも面会し、日本への謝意などを示した。 
メラメド氏はナチス・ドイツの迫害から逃れ、「命のビザ」で九死に一生を得た。敦賀へたどり着いたのは1941年2月、同氏が8歳のころとか

敦賀港を訪れたポーランド系ユダヤ人のその後の人生も波瀾万丈だ。メラメドさんのように大成功をおさめた方もいれば、上海に渡って、その後、戦争に巻き込まれ、どうなったのか行方定かでない方も多い。ただ、6千人の難民がが子供を持ち、何万、何十万と命をつないでいる。

ユダヤ人難民を敦賀港に迎えた歴史などを紹介する資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」でボランティアガイドとして、メラメドさんなど、その後人生を語ると、杉原氏の功績と敦賀港が果たした役割の大きさが伝わる。

話は変わるが、敦賀港を出港した船は北朝鮮のチョンチン港にも寄港する航路をもっていた。このため、商店を出していた敦賀市民が、戦争末期、財産そのままに敦賀に戻っている。

拉致問題では、チョンチン港は、地村夫妻が拉致された後、着いた港でもある。ここにも敦賀港の隠れたドラマがある。

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