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気比神宮の格式の高さと地方分権
Date:2014-07-30(Wed)

「気比神宮」を調べると格式の高さがわかる。北陸から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島・中国東北部への玄関口にあたる要衝。

気比神宮はそのような立地であることから、「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社とか。『古事記』『日本書紀』では早い時期に神宮についての記事が見える。

特に仲哀天皇(第14代)・神功皇后・応神天皇(第15代)との関連が深く、古代史において重要な役割を担うことは確かなようだ。

明治維新後、明治28年(1895年)には神宮号が宣下され、それ以後は社名を「氣比神宮」としている。まったく神社と格式が違う。

その全国の神社も100年ほど昔、明治39(1906)年に政府が出した神社合祀の勅令。宗教面における政府の中央集権化政策で、神社の合併・整理を進めた。

全国に約20万あった神社が7万ほどになったという。そのなかでの気比神宮の地方重視の特別待遇だ。その意味を考えたい。

ところで、地方分権一括法など、今も、国の中における地方の重要度が増している。

それでも、地方分権といいながら、行政面でも予算という観点からまだまだ、中央集権の国だ。もう一度そのあたりから地方分権を考えたい。

神宮、神社での中央集権と気比神宮の別格扱い。そこに明治以降の敦賀の重要性を港と共に地勢学的に考えると面白い。

まったく余談だが、全国高校野球で敦賀気比が序盤から大量リードして工大福井を破り、まったくの圧勝で5年ぶり6回目の優勝を決めた。8月9日に阪神甲子園球場で開幕する。ここでも敦賀の名が全国にとどろく。
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