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県教委の問題とはすまされない・・。
Date:2008-08-08(Fri)

議員と職員、議員と教育委員会との関係を、まことしやかに問われる。「実のところ、どうなんですか」と。誠に心外でもある。大分県の教員採用試験をめぐる汚職事件をきっかけに、採用試験で特定受験者の合否について、事前に県議に個別連絡していたケースが全国で次々と明らかになり、福井県も例外ではなかった。教員の採用と人事権は、県教委の問題とかたずけられない。根が深い。

採用担当者が商品券を受け取った大分県のケースは論外だが、「口利きや金品の授受はない」としているが、公正であるべき採用試験では「李下に冠を正さず」の姿勢が求められるのは、当たり前。事前連絡と口利きがないと言っても市民には通用しない。「それでは、なぜ事前連絡するのですか」と、疑いを招きかねない行為と言われても仕方ない。本当に口利きはなかったのかという不信感は消えない。早く幕引きをしたいという思惑が透けて見えるのは下衆のかんぐりか・・。

本採用を目指して、高い倍率の採用試験突破を目指す若者を敦賀市には多い。敦賀市出身者の先生の比率を高めるようにと、議会でも何度も質問がでる。「調査もどき」でお茶を濁すことは許されない。県教委の見識が問われている。

こうした問題の根底には、教育行政の閉鎖的な体質もありそうだ。教育は地方自治の原点の一つとされながら、文部科学省を頂点に、都道府県、市町村を経て学校現場まで縦系列でつながり、教育課程を含めて縦割り、中央統制が、戦前、戦後と通じてというくらい、聖域的な存在であったことは確かだ。外部の声を聞くものの、先生という独自の世界であったことは確かだ。教育委員会、農業委員会、警察と戦後の改革の中で、県を中心に市町村も、独立扱いした。逆に目は届きにくくなる。けっして市教委が悪いわけではないが、市民の見方が厳しくなっていることは確かだ。

敦賀市も2学期制を独自で引いたものの、文科省のゆとりから脱ゆとり教育とめまぐるしく方針が変わり、現場はいい迷惑だ。一方、私が議員になっての10年間だけを見ても、全国で、児童生徒による殺傷事件、教員の不祥事、同時に学校給食費未払いに象徴される親の問題と、学校も、親も、教員も、生徒も、何かが狂い始めている。敦賀市での通学や遊び場での不審者の話も、忘れたころに発生する。何も敦賀市教育委員会が悪いわけでもない。ただ、より開かれたものと改革精神は必要だろう。

敦賀市でも学校評議員制がほぼ行き渡った。これから地域との関係など魂を入れていくべき時期に来ている。地域の学区制も、不問にせずに、話し合いを進めるべきだろう。中学校問題も耐震問題と絡め、公の中で、難しいが次のステップに入るべきだろう。

生涯教育、社会教育や公民館活動も重要な分野だ。議会でも提案したが、地域との関係を重視した市長部局への移管、総務部所菅への移行など、公民館を地域の拠点とする考えを明確にしてもいい。

学校給食費未払い問題など、身近なものから、しんどいが棚上げではすまない時代。一つひとつ結論を出すべき時期に来ている。厳しいときだからこそ、閉じこもらずに改革をすべき時期に来ているのではないか。



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