事故、災害の教訓の大事さ
Date:2008-08-09(Sat)

書く話題が多い日も困る。昨日は、「日本海六県港湾都市議会協議会総会」に参加した議員を「人道の港・ミゼウム」でお迎えした。どうしても7月27日のテント事故から始めることになる。事故と言えば、美浜町の関西電力美浜事故から今日で4年。4年前のけたたましい救急車のサイレンを思い出す。テント事故も4年前の事故も尊い命が失われた。事故の反省と教訓を決して風化させてはならない。いつの時代もそうだが、安全を最優先に実績を積み重ねていくことが何よりも大事だ。

7月に発表した関電の2009年度3月期の業績予想は、原子力のトラブルによる稼働率の低下や燃料価格の高騰の影響などで、過去最大となる550億円の赤字見込みとなった。東京電力、北陸電力も赤字だ。それでも「安全と信頼性」の向上は、何よりも優先させて取り組むべき課題でもある。

今日は、教訓という点で地震を取り上げたい。昨日早朝、小浜で震度3、敦賀で震度2、それでもズッシ起こされた。幸いそれで終わった。最近では、6月にあった最大震度6強の岩手・宮城内陸地震。13人が亡くなり、まだ行方不明の人もいる。全体の住宅被害は全半壊、一部損壊を合わせて千棟を超えた。

ただ、地震は大きかったものの、被害者には失礼だが、直接的被害は比較的小さかった。それまでのはるか沖地震の教訓が生きているとか。倒れれば怖いタンスは、寝室に置かなかったり金具を付けて固定する。割れた窓ガラスの破片が散乱しても歩けるように、寝る場所のそばにスリッパを置いておく。強い揺れがきても、すぐには動き回らない、などなど。

地震はいつ起こるか分からない。起こるのも防げない。突然の揺れで気が動転してしまい、冷静に行動できるとも限らない。でも、普段から備えていれば被害を大きくせずに済む。そんなメールをいただいた。

昨年七月の新潟県中越沖地震では、柏崎刈羽発電所の変圧器火災の様子が繰り返し伝えられた。だが、柏崎市では今も多くの被災者が仮設住宅で暮らし、傾いたままの家も残る現実は、あまり知られていない。

それに似ているが、防災意識をしっかり持つという地味だが大切な心構えが、被災現場の強烈な印象の陰に隠れてしまって軽視されないよう気をつけたい。

中越沖地震の教訓でもうひとつ忘れてならないのが、地震後、わずか1分で本来のプログラムから被災情報へと切り替えたFMピッカラがある。スタジオの扉が開かなくなるなどのトラブルはあったものの、後日から24時間体制でテレビニュースでは伝えることが困難な「開店店舗の情報」や「物資の支給先」、「炊き出し時刻」と言った末端の情報を伝えた。

中国語、韓国語などで外国人の被災者向けにも放送。パーソナリティーの多くは被災したが、休みなしに交代でスタジオ入りしている。
95年6月に開局したFMピッカラは柏崎市の主要部と刈羽村の一部が放送エリアだ。地震をきっかけに始めた24時間の生放送を続けた。

発生から1分後には音楽番組を中止し、「落ち着いてください」という呼びかけで独自放送を始めた。きめ細かな情報発信はコミュニティーFMだからこそ。地震時には、嶺南ケーブルネットワーク(RCN)と合わせ、貴重な情報源となるだろう。

私も阪神・淡路大震災のボランティア活動の中で、必要なのは情報。特にライフラインの復旧、中でも電気は、精神的な安定を与え、水の確保は冬の寒空でも貴重だった。困ったのはトイレ、女性はおばちゃんでも、かなり気を使っていた。事故と災害の身についた教訓は、いつまでも生きている。何が役立つか、何が教訓か、そんな積み重ねが、災害の少ない敦賀なればこそ、蓄積することが大事ではないか。
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