「10年に一度」の大雨が毎年ーーー。
Date:2014-09-01(Mon)

今日から9月。朝晩、ヒンヤリし始めた。この夏、何度も大雨をもたらした低気圧が空気を「夏から秋へ」と空気を入れかえているように思える。

一方、この夏、列島各地では局地的な大雨による被害が相次ぎ、人命や暮らしに大きな打撃を与え続けている。

集中豪雨による大洪水や土砂崩れは年々、深刻化しているような気がする。

世界各地でも同様の傾向らしい。昨日のNHKの巨大災害の巨大台風、温暖化も含めて考えさせられた。科学や技術は進歩したが、頻発する災害は今も水を十分に管理できないことを示す。

幸いにして、我が敦賀市は水の被害はこれまで少なかった。河川の笙の川、井の口川も水位こそ、これまでの最高を記録しつつあるが、決壊という最悪な事態に至っていない。

内水氾濫といわれる福知山でみられた側溝、幹線が溢れることもあったが、床上浸水に至ることも少なかった。

ただ、どうも様相が変わってきた。側溝、幹線の基準、詳しく言えば、国の補助金が出るのが、時間雨量40ミリまで。これはを超える「10年一度」の大雨と言われたが、これも毎年のように聞くようになった。「災害は忘れた頃にやってくる」状態ではない。

県予算の関係で進まない笙の川の整備。一方で、住宅地の側溝、幹線の水も笙の川の安全を第一に考えて、自然流下で海まで無理して流し込む。この治水が敦賀市の現状だ。

悪く言えば「内水氾濫で家屋が浸水しても人がなくなることはない。河川が氾濫すれば、人の命に関わる」との県と敦賀市の攻めぎあいの結果でもある。

近くの福知山の災害は内水氾濫は、河川が切れなくとも、床上浸水が2000軒を超えた。敦賀市もその被害形態を考える必要がある。端的言えば、財産をとるか、生命をとるかとなるが、生命と財産を守るのも自治体の役目、難しい課題だ。

被害を抑えるには知恵を尽くす必要がある。と同時に、自然との謙虚な付き合いも大切だと多くの災害は教えている。
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