今日は戦艦大和の沈没の日、その延長に敦賀の戦災の惨状がある。
Date:2015-04-07(Tue)

今日、70年前の1945年4月7日昼過ぎ、戦艦大和が、3千人を超える将兵を乗せ、沈んだ。

昔、神戸で当時の乗組員からその惨状を伺ったことがある。船好きの私には、船の構造そのものに興味があったが、巨大な船体も沈むべくして沈む。今にも通じる教訓だ。

「海上特攻」として「勇んで行ったものの、沈没までの戦場は地獄だった」と。瀬戸内海で訓練を続けていたものの、のんびりとした気持ちが「突然の出撃、それも末端には告げられないままの出撃で、沈没の日に海上特攻と聞かされた」と。まったく知らされない悲劇も怖い。

生還者はわずか二百数十人。大和が運良く沖縄に到達したとしても、あまりに荒唐無稽な出動命令にかわりない。

かつて、鹿児島県の知覧基地を訪れたことがある。「航空特攻」を中心とした約4千人の特攻隊戦死者のうち、20歳以下の割合は陸軍が23・5%、海軍43%で、最年少は陸軍が17歳、海軍は16歳だったとか。何も知らない若者たちを戦場へと送り込んだ戦争指導者の罪は大きい。

戦艦武蔵がフイリピン沖で見つかった。戦後70年を迎え、貴重な発見だ。

70年前、首都が焼かれ「不沈戦艦」が沈んでも戦争は終わらず、沖縄地上戦、この年7月にも敦賀市も米軍に襲われ、多くの市民が死亡し、市内の大半を焼失、敦賀港は大打撃を受けた。敦賀の爆撃の惨状も、戦艦大和の沈没の延長線上にあったことは現実だ。止める勇気も重要だとの教訓である。

その後、原爆、ソ連参戦と続き多くの命が失われた。平和への思いを新たにしたい。 
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