政局が急を告げるとき、福井県の政治家が昨夜、世を去った。
Date:2008-09-06(Sat)
自転車のよさは、視界と風と音を歩くより多く感じることができるのである。それも瞬間的に変化する。ただ、自転車はこがなければ、倒れる。自転車の宿命だ。私が感じるのは政治家も自転車のようなものだと最近、思うのである。 それはさておき、昼間はまだ残暑が続くが、夜は涼しさを増し、草むらから漏れてくる虫の合唱も大きくなってきた。百家争鳴の総裁選を演出してメディアでの露出を競い、支持率回復を狙う魂胆がみえみえだ。片や民主党内から聞こえてくるのは歯ぎしり。小沢一郎代表に恐れをなしてか代表選では音無し。すっかり影が薄い。 もっと、影も姿も見えないのが福田首相。記者団のぶら下がり取材を拒否し、自衛隊の重要会議も欠席。職責を放棄して、「国民目線」もありはしない。突然とも言うべき、解散風が吹き始めた日本列島。パフォーマンスはもう飽き飽き。国の将来を託せる政治家か、秋の夜長、政策や本音に耳を傾けたい。それには、選挙ということになるだろう。 政局が急を告げるとき、福井県の政治家が昨夜、世を去った。辻一彦元衆議院議員だ。御冥福を祈る。民主党福井県連の創始者でもある。経歴を紹介すると、大正13年福井県小浜市谷田部生まれ。千葉農業専門学校(現千葉大学園芸学部)卒業。県立遠敷農林学校教諭を皮切りに、昭和30年日本青年団協議会会長、昭和44年参議院選挙福井地方区に初当選(3回目)、平成3年日中青年友好センター落成式、呉学検副総理(元外相)と祈念植樹、平成7年衆議院運輸常任委員長、平成12年22年8ケ月の国会活動に終止符をうち、引退を表明。農政に生涯をかけた。著書に「ある国会議員の政治奇跡」など数冊ある。 私も平成12年の最後の選挙に携わった。状況は出遅れも影響して敗北。社会党時代、原電も辻さんに相当苦しめられた。予算委員会などでの追及は厳しかった。原子力反対の急先鋒であった。それが、なぜと自問自答も繰り返した。 話をし、関電出身の足立良平元参議は「辻先生ほど原子力の裏表を知る方はいない。安全を第一に進めようとする真意を汲んでほしい」と、賛成反対ではない、奥深さを感じ、選挙活動を進めるうちにファンになっている自分に気がつく。原子力についても欧州の原子力発電所をよく見て、原子力情勢は相当詳しかった。 衆議院運輸常任委員長時代の敦賀港建設の予算付け、阪神・淡路大震災以後の舞鶴若狭自動車道復活にも尽力され、特に福井県の減反問題などの農政には専門的に取り組み、見えないところでの功績は多い。 嶺南の農道整備にも尽力されている。地元の要望をきめ細かく農水省などに伝え、実現してきた。けっして演説はうまいと言えなかったが、その仕事と地元を大事にする姿勢は、今も根強いファンが敦賀にも多い。一日に東京と福井県を3度往復した逸話の持ち主でもある。敦賀まつりで汗をかきかき、民謡踊りのまん中を歩いていたことを思い出す。忘れることのできない政治家の一人だ。昨日の昼、福井に見舞った。何とか間に合った。ひとつの時代の終わりでもある。 |
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