敦賀と戦争の悲劇。
Date:2015-05-15(Fri)

安保法制、関連法案が安倍首相から説明があった。戦後の大きな政策の転換点だが、私は国際社会の変化を受けての変更であり、安倍首相を支持したい。

ところで、戦争の悲惨な歴史も敦賀でも多い。明治維新も目前となった1865年,はるばる水戸(茨城県)から武士や農民ら約千名が動いた。脱落したものを多いが、そのうち、350人余りの大量処刑が行われた。この天狗党にも子どもや女性も含まれていた。この時代でもめずらしいほどの大量処刑だ。

その大量処刑も子どもが含まれていたことも歴史の中に埋もれ、意外に市民も知らない方が多い。。

また、7月に毎年のように繰り返している戦没者慰霊、敦賀の惨劇を語り継ぐことは大事だ。ご家族の方も少なくなっている。

終戦後、旧ソ連に抑留され収容所などで死亡した1万人余の名簿を厚生労働省が先月末、新たに公表した。シベリアのほか、調査が後回しになった北朝鮮や中国の大連、南樺太(現サハリン南部)で死亡した2130人が初めて含まれる。福井県民も含まれているのではないか。

厚労省のホームページにある名簿には女性とみられる名前が少なくない。軍人だけでなく、逃げ遅れた民間人もいる。

シベリアに抑留された敦賀市民もまだ生きておられるが、ごくわずとなった。戦争中、慰問団として満州に福井県民の一人として参加した、特定失踪者のご家族の山下きよ子さんの話も伺ったが、これも悲惨だ。

一方、北朝鮮に拉致された疑いの濃い特定失踪者の問題を調べると、戦前の敦賀港と北朝鮮のチョンチン港の定期航路があった歴史にいきつく。拉致された小浜の地村夫妻が最初に到着した港でもある。

終戦時、チョンチンに店を出していた敦賀市民が財産そのままで逃げ帰ったことも伺ったことがある、そこにもなくなった子どもや女性も含まれている。

沖縄に話を飛ばすが、糸満市の平和祈念公園に、70年前の沖縄戦で犠牲になった24万人の名前を碑に刻んだ「平和の礎(いしじ)」がある。訪ねた際、その中に福井県出身者の刻みがある。敦賀市出身者も事前に知らされていたので確認できた。沖縄戦との距離が妙に縮む。

知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)でも、戦死した陸軍航空特攻隊員1036人の遺影の中に、福井県の8人の若者を見た。

戦争の歴史や戦没者の名前を知ることで、それぞれの無念に思いが巡り、悲劇が現実的に迫る機会でもある。歴史の現実と安保法制など、考えるいい機会でもある。
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