母子手帳の思い出と役割
Date:2015-08-10(Mon)

昨日は、あいあいプラザで、ある労働組合の定期大会で挨拶した。ちょうど70年前の11時02分に長崎に原爆が投下された時刻でもあった。朝から広島に続いて長崎の原爆の話題一色だ。

その日もさることながら8月8日には敦賀の3度目の爆撃が東洋紡績の敦賀工場であった。女学生など40名近い方が亡くなっている。。それも長崎の原爆の同型の爆弾。一説には訓練だったと言われる。戦後70年の節目だけに考えさせられる。風化させてはならないことでもある。

私も昭和27年生まれだけに、母親から高松空襲の話は何度も聞かされた。それと母からは、戦後まもない頃の米や砂糖の特別配給を受けるための配給の証明書を見せて、配給米の少なかった話。また、妊娠してから幼児期まで母子健診の結果や予防接種歴を記録する「母子健康手帳」を何度か見せてくれた。

母子手帳は戦後と思っていたが、どうも戦時下の1942年、国による妊産婦手帳制度が発足。戦時下においても物資の優先配給が保証されるとともに、定期的な医師の診察を促すことを目的としたとか。

生まれた時間、分娩所要時、体重まで書かれていた。助産師さんの一言も添えられたり、逆子だったので、医者を呼んでの分娩とか。きめ細かい記載を見ながら懐かしいそうに語る姿は、いまでも忘れない。予防接種、かかった病気など、生涯にわたって重要な情報源でもある。

どのページにも母の慈しみが詰まっているように見えた。親から授かった命を今度は自分の子供へとつないでいく。知らなかったが、この制度は日本独自の制度とか。

いまでは当たり前のように配布されるが、通常、妊娠していることが分かった時点で敦賀市であれば、市役所に「妊娠届」を提出するが、これによって市役所から渡される。国籍や年齢に関わらず交付を受けることができる。また、特に外国人の居住人口が多い市区町村、例えば神奈川県川崎市や横浜市、静岡県浜松市等、独自に外国語版の母子健康手帳が作成されている場合がある。

いつだったか忘れたが、インドネシア版の母子健康手帳を見せてくれたことがある。日本の手帳と比べて大型(A5ノートサイズ)で、イラストを多用するなど、たとえ文盲の母親が存在したとしても理解できるように工夫されており、簡易な育児書としても活用できるよう工夫されていた。

この手帳が東南アジアやアフリカを中心に30カ国以上に普及したとも。アフリカでは貧困や衛生の悪さなどで10人のうち1人が死亡する国もある。手帳を使った妊産婦健診により亡くなる子供が減り、母子の健康維持にも役立っているとも。

日本が世界で初めて母子手帳を取り入れたのは、最初は戦時下とはいえ、敗戦を経て戦後、次代を担う子供たちを大事に育てようという思いの表れとも受け取れる。戦後70年。命を慈しむ母子手帳の普及、平和主義を貫いてきた日本にはふさわしい制度とも思う。

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