鯖街道、ノーベル街道ともに出世街道
Date:2015-10-13(Tue)

高校の映画教室が石原裕次郎の「黒部の太陽」。鮮烈な印章だった。週末、黒部ダム訪れるにあたって調べるとダムの高さ(堤高)は186mで日本一を誇り、現在でも破られていない。

富山県で最も高い構築物でもある。総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人を超え、労働災害による殉職者は171人にも及び、いかにダム建設工事が苦難を極めたのかがうかがえる。その恩恵を電気と言う、無形のもので受けている。

大きな成果には大きな困難が必要だとの先人の教えにも通じる、ところで、その富山から岐阜まで、「ノーベル街道」とのテレビ報道。ある意味、現代版、出世街道。若狭「鯖街道」、実は、これも京都に通じる道で「出世街道」とも。これも、後で説明する。

「ノーベル街道」とは、国道41号の一部区間、富山市から岐阜県飛騨市、高山市に至る90キロ区間がそう呼ばれており、梶田隆章・東京大宇宙線研究所長がニュートリノの研究でノーベル物理学賞を受賞したことから、再び脚光を浴びている。

富山市出身の田中耕一さんが化学賞、梶田さんの恩師にあたり飛騨市神岡町の実験施設で研究に打ち込んだ小柴昌俊さんが物理学賞に選ばれた2002年、富山県が「ノーベル街道」の称号を与えた。化学賞の白川英樹さんと医学生理学賞の利根川進さんもそれぞれ高山市、富山市で幼少期を過ごし、街道にゆかりがある。

街道はかつて、富山で水揚げされた出世魚のブリを塩漬けにして山間に運ぶルートで、縁起物にあやかって「ぶり出世街道」とも呼ばれたとか。。

元鉱山跡地の神岡町まで、一度、通ったが山あり谷あり、現代ではスーパーカミオタンデの実験施設の存在が大きいな存在だ。この困難な自然豊かな道を「出世街道」を歩ませるということか。

一方、若狭の鯖街道も軍事上も大きな役割を果たしており、戦国時代には、織田信長が豊臣秀吉や徳川家康を引き連れ、この街道から越前朝倉攻めに向かったことで知られる。それが、敦賀の金ヶ崎城での浅井の裏切りで、天下人たちが逃げ帰った道でもある。「出世街道」にも困難はつきもの。

寒露を過ぎ24日の霜降を迎えれば、秋の日は釣瓶(つるべ)落とし。夕焼けを楽しむ間もなく日は暮れる。そう言えば英語で10月のオクトーバーは、末広がりのタコの八本の足にも通じる一方、良質なビールの意味もあるという。苦労もせず、黒部ダムを見る我が身、少なくとも、もののあわれを感じながら、今宵ビールで一杯。紅葉近い、秋深しである。

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