杉原さんの映画が終わるにあたって想うこと
Date:2016-02-22(Mon)

杉原 千畝さんもようやく知名度を映画で得たように思う。外交官で、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民を「命のビザ」で救出。

1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことは有名、戦後は明らかに外務省から解雇されたと思われる。まさに杉原さんと人道の港ムゼウムの真骨頂でもある。

また、映画では、日本軍部にいい印象を持たれていなかたったようだ。というよりも日本軍部の弱さも知っていたようでもある。一方、スパイとも優秀で中国でもリトアニアでも活躍した。独ソ戦の時期を明確に知らせてことは第一級のスパイ情報だった。

同時期、太平洋戦争前夜、北欧の中立国から日本に三十数回の秘密電文が打電された。「開戦絶対不可ナリ」。だが顧みられず、無謀な対米戦に突入した。

警鐘を鳴らし続けたのは、スウェーデン駐在陸軍武官小野寺信さん。開戦判断には同盟国ドイツのヨーロッパ戦局が大きな鍵を握っていたが、対ソ戦の劣勢を知り、日米開戦反対の意向を伝えたとか。

終戦前、ソ連の対日参戦が決まったヤルタ会談の密約も入手。だが、参謀本部内で握りつぶされた可能性が強い。日本はソ連を仲介に終戦を探っていたとも。

この時期のスパイの情報は一歩、間違えれば死刑。それが先の大戦で、判断を間違わなければ、「命のビザ」以上の国民や兵隊の命を救ったかもしれない。

不吉な情報や反対意見とどう向き合い、客観的判断を下すのか。政権を担当するものにとって、現代に通じる大きな課題だ。

敦賀市も新幹線、原子力という大きな波の中で、客観的にどう判断するか、大きな岐路でもある。

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