認知症の介護は、住み慣れたところで近所の助け合いで。
Date:2016-03-03(Thr)

認知症の徘徊、身につまされる。30年ほど前、敦賀から東京へ家族と高齢の母を連れて転勤したおり、散歩に出かける母が、最初は警察から連絡が入り、しだいに全く知らないからの電話。それも月に一度から週に一度、二度と頻度が、高まると、子育て真っ最中の女房はパニック状態におちいった。認知症とは言わず「ボケ」とか「痴ほう症」と言われた頃だ。

しかたなく母を家に閉じ込める結果となり、体調を崩すという悪循環となった。母には気の毒なことをしたとも思うが、誰にも言えない問題として数年たち、最後は施設にお世話になった。

ところで、先日の最高裁の判断は認知症をもつ家族には朗報だ。認知症の男性患者が徘徊中に線路に立ち入り、電車にはねられて死亡した場合、家族は鉄道会社への賠償責任を負うのか—。愛知県で起きた事故をめぐる訴訟で、家族の監督責任について初判断を示した。

一審判決は男性の妻の過失と遠方に住み介護方針を立てた長男に民法が規定する監督義務を認めた。二審判決は長期間別居の長男に監督義務はなく、夫婦に協力扶助義務があるとする民法の別の規定を引用して妻だけに賠償を命じた。

そして、一昨日の上告審判決。最高裁は妻や長男に民法が規定する監督義務はなく、容易に監督できる場合などは責任を負うことがあるが、監督困難なこの家族に賠償責任はないとの判断を示した。ただ、事故とはいえ、大きな宿題を残したとも思う。認知症患の監督責任もあるとも思う。一方で二審の判決もうなずける。

話を戻すが、当時でも、母のことで精神科の医師に相談をすると、「否定しない。怒らないが、認知症患者に接する際の基本です」とも教わった。奇異な言動が繰り返されても、ぐっとこらえて受け入れる。だが、元気だったころの親の姿を知っているだけに、たまらず声を荒げてしまい、自己嫌悪に陥る、ここに家族の葛藤がある。

介護する家族は心身とも休まる暇がない。徘徊があればなおさらだ。介護をする家族の日々は、通り一遍の言葉では語り尽くせない。ひとつだけ言えるのは、認知症の介護は、住み慣れたところで日々、寄り添う家族とご近所の助け合いで日々、暮らすこと。これが女房の両親の介護を通して私の経験でもある。


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