大震災の記憶と対応
Date:2016-03-14(Mon)

 阪神淡路大震災の後遺症を背負って生きている方もいる。救出されるまでの数時間の暗闇の精神的後遺症が残っているとか。

人の記憶は、「痛み」とともに得た情報が一番強く残るという。ケガの痛から逃げられない、食べ物も得られない、ひいては死に至るという警告信号。生存本能が記憶を強くするとも。戦中、敗戦直後のひもじさを認知症になっても母はよく語っていた。

3月11日、高度情報社会の日本で起きた東日本大震災で、津波の映像は遠くにいる人の「痛み」を呼び起こし、強い記憶が残っている。それより前の阪神淡路大震災の火災の映像も記憶に新しい。

生存に関わる重要な記憶としても、後遺症は意識とは別の引き出しにあるかもしれない。被災直後兵庫県は被災地の要請を待たず支援物資を現地に送った。私が2ヶ月に行った陸前高田市には神戸市水道局の職員が水道の開栓に動いていた。話を聞くと、「我々のできる恩返し」との声がすぐさま帰ってきた。

福井県も福井豪雨の体験か、陸前高田市にボランティア送り込んだ。私も気持ちがボランティアへと走る。

いま、原子力発電所の情報発信もまず一報と、自治体への通報は速い。人は未来のためにも行動できる。四国など南海トラフ地震に備え、避難対策に取り組むんでいる。

被災地から自治体職員やボランティアが持ち帰った体験は、全国の防災政策に生かされた。その一つ一つが東北の被災地からもらった、貴重な「生きるための記憶」。時の流れで多少は色が薄れはしても、決して忘れてなるものか、とも思う。阪神淡路もなおさらだ。

自助、協助、公助というが、まず「死なないこと」。そのために危ない場所には近づかない、水や食料が手に入る場所を覚えておく、それは「防災」の大原則、自治体はまず、耐震、洪水対策と敦賀市もやるべきことは残っている。
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