敦賀港でのポーランド系ユダヤ人の第一歩
Date:2016-06-16(Thr)

昨日の一般質問で別所議員の「人道の港ムゼウム」のポーランド系ユダヤ人の敦賀港で第一歩の足跡が話題になった。

確か2012年10月頃か、金ヶ崎緑地で「敦賀・鉄道と港」まちづくり実行委員会による「歴史研修会Vol、2~敦賀みなとを復元しよう~」が行われ、実行委員会が作成した「金ヶ崎周辺復元地図」を基に、命のビザで上陸したユダヤ人が降り立った場所の推察も行われ、マーキングしたのが最初だったと記憶する。

そこにプレートがはめ込まれ、敦賀の隠れた観光スポットとなっていた。ムゼウムを訪れた観光客に時間があれば案内した。先日もそのポイントに案内すると、その横に北陸新幹線のトンネル残土が盛られ、ポイント周辺の歩道は雑草がそこかしこに。

観光客から「敦賀市は観光には無頓着ですね」と一言。正直、恥ずかしい思いをした。

ところで、第2次大戦中に発給したビザで、数多くのユダヤ人難民を救った杉原千畝・リトアニア領事代理(1900~86年)が死去して、今年で30年となる。敦賀港のユダヤ人の第一歩に光りを与えたきっかけは、1999年に敦賀市で開かれた「つるが・きらめきみなと博21」が敦賀市で知られる第一歩と記憶する。

杉原の生誕地・岐阜県八百津町所有の「命のビザ」を会場で展示、これが最初の第一歩。その立役者の一人が古江孝治さん。当時の史料が市内にほとんどなく、所属する「日本海地誌調査研究会」のプロジェクトチームで目撃情報を集め、2006年から07年にかけて開いたパネル展「人道の港、敦賀」でユダヤ人難民の足跡を紹介。

当初は1か月間の予定だったが、好評で延長した。2008年3月に展示施設「人道の港敦賀ムゼウム」が開館までこぎつけた。丹念に聞き込み調査を繰り返した成果にほかならない。

そして、昨年の映画化、今年の世界記憶遺産の国内選考通過などで、杉原への注目度が高まっている。
 
難民を温かく受け入れた敦賀市民の歴史、一般質問で話題になった足跡は、形のないものに光りをあてたもの、大事にしたい。伊勢志摩サミットで配付されたリンゴ型タオルもそのひとつ、かたちにないものを形にする、まだまだ奥深い人気スポットの形成だ。
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