「父の日」の今昔
Date:2016-06-20(Mon)

少子高齢化が久しいが、私たち子供の頃は、近所、どこに行っても子供がいて草野球は日常茶飯事だった。ガキ大将もいたし、雷親父もいた。まさに昭和の時代のど真ん中だった。

また、「地震・雷・火事・おやじ」は怖いものの代表である。子どもにとって父親はそれほど強大な存在。普段は無口で泰然と構え、悪いことをした時は容赦なく叱る。威厳に満ち、おいそれと近づけないが家族からは全幅の信頼を一身に受ける。おやじの雷は愛情の裏返しだったのかもしれない。一方で感謝の言葉や贈り物などまったくなかった。昔、私の家もそんな生活だった。

私が仕事を得て子育て真っ最中の頃は、仕事中心であっても家庭では優しいタイプが多かったように思う。

それから育児をする「イクメン」、家事をする「カジメン」のお父さんが増え、少子高齢化が定着した。

ところで、「母の日」が過ぎると百貨店やショッピングセンターの売り場は、昨日の「父の日」に向けた陳列に早変わりして、団塊の世代は、それをささやかな楽しみする父親もいる。母の日に比べて影の薄い日、せめて父親の存在感は薄くしたくないが、どことなく薄い存在。

ある世論調査だと、父の日のプレゼントを「贈らない」とする回答が過半数を占め、調査開始以来初めて「贈る」を上回ったという。分析だと、ホントかどうかはさだかではないが、財布のヒモを締める家庭も多くなっており、プレゼントにも影響しているとの評価。

安倍政権の経済政策アベノミクスの足元で必死に働くお父さんへの恩恵は、地方にはまだまだ届いていない。どこへ。福井新聞の景況感の調査にもアベノミクスの限界が読み取れる。

「地震、雷、火事、おやじ」などの災害に匹敵するほど親父がだったはずが、最後の「親父」は、台風を意味する「大山嵐(おおやまじ)」が変化したという説もあるが、さだかではない。「親父」の代わりに「女房」や「津波」など、怖いと思うものに置き換えて使われることが妥当か。とにかく移り行く「父の日」
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