気比さん祭りの露店に想う。
Date:2016-09-02(Fri)

気比さん祭りの露店が本町、神楽と顔を見せ始めた。昭和の時代を生きた私には露店は子供時代からわくわくする存在だった。

氏神さまの秋祭り、このときばからりは、お小遣いをくれ、夜の帰宅も許された。懐かしい存在だ。巨人、大鵬、卵焼きの時代、もうひとつがプロレス。力道山はヒーローだった。空手チョップはガキ仲間の共通のアクション。そのプロレスのジャイアント馬場さんを名誉市民に推す議案が5日、出身地の三条市議会に提案される。

市民団体が半年ほどかけて集めた約1万人分の署名が市を動かした。挫折を乗り越え高校を中退してプロ野球巨人に入団。病やけがが重なり、投手を断念。舞台をマウンドからリングへ。16モンキックは、これも八百長とは思ってもヒーローだった。

常勝巨人軍と同じように、昭和40年代から高度経済成長の象徴だった。敦賀市が今、目指す「敦賀再興プラン」は、何時の時代を目指すのか。

古いが、ウラジオストックとの定期航路で繁栄した敦賀、明治、大正、昭和初期と続いた。特に「大正ロマン」を代表する竹久夢二の美人画が大流行したのは、百年前の1916(大正5)年ごろ、日清、日露戦争勝利の余韻、第1次世界大戦の好況、そしてそれを支えたロシア貿易。ものの本によると、華やかな時代は長続きしない。節目は23(大正12)年9月1日の関東大震災だったとも。

太平洋戦争は決定的だったが、戦争後のもんじゅ景気に代表される本町の繁華街の賑わい、私の頭から、この頃の賑わいは忘れられない。

大戦後の恐慌もあって大正ロマンは徐々にしぼみ、暗い時代へ転落していく。大災害はしばしば時代の転換期になる。東日本大震災と福島の事故、「3・11」後の敦賀は、どうか、ながされる前に打つべき手段、少子高齢化、人口減少と明らかに時代の空気は変わっている。ききかんというより、道路での対応するか、そんなことを考えるべきではないか。

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