古代からみるハーモニアスポリス構想
Date:2016-11-01(Tue)

先日、国道8号の新道と国道161号の追分を結ぶ深坂道を通ってみた。ほぼ役目を終えた古道だが興味深い。深坂峠の標高370m、この深坂峠を貫き、敦賀・琵琶湖を結ぶ運河計画が、計画だけだが、真面目に何度か試みられた。

峠近くの深坂地蔵も趣がある。この地蔵には塩を供える習いがあるとか。敦賀湾、若狭湾各地の製塩がこの峠を越え、琵琶湖の水運で上方に運ばれたことも伝えるとも。古代に県境はなかった。

長期的な視点では敦賀市を中心に、南越前や美浜、滋賀県の高島、米原、長浜の計6市町と地域間協調構想であるハーモニアスポリス構想を市長は打ち出した。 

敦賀は平野部が狭小な上に、山に囲まれ近隣市町と隔絶されているように思うが、古代から交易は動いていた。それも活発だったと伝える。

もっとエリアを広げると、歴史、特に考古学の時代となると面白い。先日、報じられた、淡路島の南あわじ市と島根県出雲市で出土した銅鐸が、同じ鋳型生まれの兄弟という。製造から配送までの銅鐸ネットワークは想像を超える規模だったかもしれぬとさえ思える。

どこを、どのように運んだのか。古墳時代の船団を描く線刻画が但馬の遺跡から見つかったことがある。そこまでの仰々しさはなくても、丈夫な船で瀬戸内や日本海を慎重に運んだのだろうか。

日本海といえば、新潟産のヒスイが青森の三内丸山遺跡で見つかっている。こちらは縄文時代の遺跡である。ヒスイを積んだ小舟で日本海を600キロも旅したのだから、交易へかけた思いにうなるしかない。

淡路の兄弟銅鐸に誘われての夢想が広がる。モノが動けば人も行き交う。人が動けば文化も交じると思えば、古代の列島が生き生きとして見える。ハーモニアスポリス構想はどう広がるか、時間とエリアと、あせる必要もない。それに新幹線、高速道路と加われば、古代よりも広がる。
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